2:転生と咲和ちゃん
ゆっくりと意識が覚醒する。目の焦点が合わない。何度か瞬きをして、ようやく視界がクリアになってきた。
木目の天井と、そこからぶら下がっている照明器具。四角い箱型のシェードの中に、リング状の蛍光灯が見える。大きい輪の中に小さい輪。引っ張ってオンオフ出来るヒモもついていた。
「懐かしい……」
じゃなくて。
俺は体を起こす。なんとも無い。だけど死の記憶は鮮明に脳裏に残っていた。体の芯から熱が奪われていく感覚。二度と覚めないと予感させる意識の喪失。あれらは絶対に、この身に起こったことだ。
……現代医療を以てしても助かるとは思えなかった。まして今、全く痛みの無い状態で目が覚めるなど。
「手の甲」
数年前に作ってしまった小さな火傷跡があったハズだけど。それもキレイに無くなっていた。それにさっきから、自分の声が妙に幼い。俺の声には間違いないんだけど、それこそ学生時代のような。
布団から起き上がり、部屋の中を改めて観察する。和室のようだ。青々とした畳と、隅には勉強机。タンスもあるな。病室という線は完全に消えたと見て良いだろう。
と、そこで。
「お兄ちゃ~ん。朝だよ~」
障子の向こうから、若い女性の声がした。理解が追いつかないまま、障子は開け放たれる。そこには10代半ばと思しき美少女が居た。淡い栗色の髪と、愛らしいドングリ目に、薄い唇。白基調のセーラー服の胸元には、赤いクソデカリボン。
「あ……」
驚きと、妙な得心が去来した。
彼女は『茜色モラトリアム』のパケ裏で見た少女。主人公の妹という設定だったハズだ。軽く確かめただけだったから、名前はウロ覚えなんだけど……常盤咲和とか見たような。
「なんだ、起きてるじゃん。おはよう、お兄ちゃん」
こんな学生さんに「お兄ちゃん」と呼ばれる歳ではないので、つい固まってしまうけど。
……多分、これは、そういうことだよな。異世界転生。正確にはゲーム内転生というのか。俺は死の直前に持っていた『茜色モラトリアム』の世界へと入ってしまった。ということじゃないか。
「…………」
そんな非現実的な。とは思うけど、一方でその仮説でしか俺が生きている説明はつかない。いやまあ、一回死んでるのは確定なんだけど。
「お兄ちゃん、どうしたの? お腹でも痛いの?」
「あ、いや」
妹ちゃんが斜め下から顔を覗き込んでくる。こんな可愛い女子高生と俺みたいな非モテオジサンが、こんな至近距離で親しげに会話を交わすなんて、(パパ活でもない限り)現実世界では有り得ないことだ。
……うん、やっぱりギャルゲー世界への転生ということで合ってるな、これは。
「えっと、咲和ちゃん?」
名前の確認も含めて、恐る恐る呼んでみたけど。
目の前の少女は「ぷっ」と噴き出した。
「なに? ちゃんって。本当に変な物でも食べたんじゃないの?」
「いや。そういうワケじゃないけど」
変な経験、それもとびきりのヤツはしたけどね。ていうか、現在進行形で経験中だ。
「……顔洗っておいでよ。ご飯できてるから」
咲和ちゃん、いや咲和と呼ばせてもらった方がスムーズか。咲和は、それだけ言って、リビングへと戻って行った。
「……ガチのマジ、なんだな」
妹に起こされる導入といえば……王様に呼ばれて魔王退治を仰せつかる勇者、悪の組織に大切な人を奪われるアクションゲームの主人公。ここら辺と並んで、レトロゲームの王道的スタートだ。
それを俺は主人公として享受したのか。
「主人公……で良いんだよな?」
パッケージに載っていた妹に「お兄ちゃん」と呼ばれているんだから、そうなんだろう。なんか間接証明じみているけど。
……とにかく今は、言われた通り、洗面所で身支度をしよう。
「あ。ちゃんと布団畳んでよ~?」
「あ、はい」
いそいそと布団を畳み(ていうか敷布団なんて久しぶりに使ったな)、俺は廊下に出る。少しウロウロした後、階段を発見。どうやら2階で寝ていたらしいな。そのまま1階に下りると、廊下に出た。左手すぐにトイレ。その先に洗面所、風呂場という構造みたいだ。目の前の大きなドアがリビングに通じているのかな。右手は少し行ったら玄関か。オッケー。大体の間取りは把握した。
というワケで洗面所へと入ってみる。洗剤や柔軟剤のニオイがする。
洗面台の鏡に顔を近づけて……え。
「前髪が……なんだこれ」
目まで掛かっている。そのせいで全く目元が見えない。鼻と口だけ。
いや、でも。普通に前方は見えてるし、目に髪が入ってチクチクするとかも無いんだけど……
「どうなってんだ?」
前髪を掻き上げてみる。若い頃の俺の顔が、そこに現れた。前髪を下ろす。やはり視界は遮られない。でも鏡の中の自分は、メカクレ状態になっていた。
「え。怖……」
謎現象すぎて、しばし固まってしまう。
けど次の瞬間、唐突にピンときた。
そっか。ゼロ年代くらいのギャルゲーだと、主人公の顔が隠れてるパターンが多かった。プレイヤーが自己投影しやすいようになのか、男を描くのが苦手な絵師さんが多かったからか、原因は知らないけど。確かにこういう主人公、よく見かけたわ。
「俺がそれになったのかあ……」
若かりし頃は「主人公羨ましい。そこ替われ」なんて思うこともあったと記憶してるけど。実際、替わってみたら……色々あるモンだなあ。
「まあ見えてるし、チクチクもしないから良いんだけどね」
かつての主人公クンたちも「目が痛い」とか「前髪切りたい」とか言ってた覚えが無いし、そういう仕組みなんだろうな。原理は全く分からないけど。
「お兄ちゃ~ん? 早くしないと遅刻するよー!」
あ、そうだった。ていうか、学校か。
「分かってる! ありがとう!」
返事をして、洗顔と歯ブラシ、髪も軽く整えて(前髪以外の部分ね)、俺はリビングへと向かった。




