第15話 仲間を信じるということ
お待たせしました、第15話です。
前話で北潟慎悟が咬覇との戦闘の末に重傷を負い、悪路漢を取り逃がすところまで描きました。
今回はその後日談です。
雨の校庭、駆けつける仲間たち、そして病室でのやり取り。
派手な戦闘はありませんが、十彩獣団というチームにとって、ある意味で一番大事な話かもしれません。
「守る」と「頼る」は、実は同じではない。
そのことに慎悟が気づき始める回です。
南海、友紀、健太、それぞれの言葉に、よければ耳を傾けてみてください。
それでは、第15話をどうぞ。
「待て……ッ」
声にならない叫びが、雨の中へ溶けて消えた。
咬覇が悪路漢を肩に担ぎ、校舎裏の闇へ消えた瞬間、慎悟の中で何かが焼き切れる音がした。地面へついた指先から、力が抜けていく。
灰色の空から落ちてくる雨は、もう暴力的な勢いを失い、代わりに執拗な湿り気だけを地面へ刻みつけていた。
歩美の「動かないでください!」という叫びが遠くから聞こえる。だが慎悟の意識は、悪路漢が消えた校舎裏の一点だけに向けられていた。
蒼王が数メートル先に落ちている。あれを拾えば、まだ追える。まだ間に合う。
そう思い込もうとした瞬間、塞がりかけていた脇腹の傷が、内側から引き裂かれるように痛んだ。
熱いのか冷たいのか分からない痛みが背骨まで貫き、視界の端から色が失われていく。耳の奥で自分の血液が流れる音だけが、やけに大きく響いた。
一歩も、前へ進めない。
悪路漢を逃がした。
負けた。
聖矢たちを、危険にさらした。
――それでも、追わなければならない。
その思い込みだけが、崩れかけた身体を無理やり立たせようとする。だが右膝が、意志を裏切るように地面へ沈んだ。
「慎悟くん、もう駄目。今は追っちゃ駄目」
南海の腕が、崩れ落ちる慎悟の身体を横から抱き留めた。
いつもの柔らかな声ではない。震えているのに、芯だけは絶対に譲らない声だった。
「悪路漢が……」
慎悟はそれでも名を口にしようとする。南海の腕に力がこもり、それ以上言わせなかった。
濡れた地面へ、慎悟は拳を打ちつけた。
拳の痛みなど、脇腹の痛みに比べれば何でもない。だが慎悟が本当に殴りたかったのは、地面ではなく、追うことすらできなかった自分自身だった。
雨粒が、握りしめた拳の上に落ち続けていた。
◇
福江東中学校の駐車場へ、奈緒の車が急停車したのは、それから間もなくのことだった。
美奈子はシートベルトを外すのももどかしく、ドアを開けて外へ飛び出す。
「脇出さん、待ちなさい!」
奈緒の声を背に受けながらも、美奈子の足は止まらなかった。銀玲が傍らを追うように空を切り、校庭の方角へ低く旋回している。まるで美奈子を導くように、あるいは、これから見るものへ心の準備をさせるように。
校門を抜けた瞬間、美奈子は息を呑んだ。
校庭の地面が、巨大な牙に噛み砕かれたように大きく裂けている。倒れ伏したままの恨卑や疾牙の残骸。衝撃で歪み、倒れかけたフェンス。
座り込んだまま動けない生徒たち。教師に肩を借りて歩く、頭から血を流した男子生徒。
雨水と混ざり合った赤が、白線の上を筋になって流れていた。
空気そのものが、まだ震えている。複数の霊気がぶつかり合った余韻が、肌を刺すように残っていた。
美奈子はその中を、必死に視線で探した。
見つけたくない光景を、見つけてしまった。
南海に支えられ、制服を赤く染めた慎悟が、そこにいた。
「慎悟君……!」
我を忘れて駆け出そうとした美奈子の前へ、奈緒がすっと立ちはだかった。
一瞬、奈緒の呼吸が止まった。指先がわずかに震え、いつもは動じないはずの顔色が、明らかに変わっていた。
だがそれは一瞬だった。
「脇出さん、私から離れないで。泣くのも怒るのもあと。今は負傷者の確認が先よ」
冷たい声ではなかった。むしろその逆だった。今すぐ泣き叫びたいのを堪えているからこそ、奈緒はそう言うしかなかった。
美奈子は唇を噛み、涙をこらえて頷いた。
「……はい」
◇
歩美はすでに膝をつき、震える手で回復札を慎悟の脇腹へ押し当てていた。歩美の白い制服の袖には、慎悟の血が幾筋も染みついている。
「出血は……抑えてます。傷口も、塞がり始めてる。でも脈が弱いです。刀から入った霊力が、慎悟くんの霊気を乱してて……このままだと」
声は冷静さを装っていたが、語尾が細かく震えていた。
美奈子は近づき、銀玲杖を強く握った。
「私にできることを、やります」
歩美の力は、傷口を、血管を、肉体そのものを癒す力だ。だが霊気の乱れまでは整えられない。美奈子と銀玲の力は、そこを埋める。
銀玲杖の先端から、雨粒のような銀色の光がこぼれた。光は水面に落ちた雫が波紋を広げるように、慎悟の身体を包んでいく。どこか遠くで、鈴の音のような響きが聞こえた気がした。
慎悟の脇腹に滲んでいた黒赤い霊気が、少しずつ薄れていく。乱れきっていた呼吸が、わずかに落ち着きを取り戻す。
歩美と美奈子、二つの力が重なることで、慎悟は命に関わる状態を、辛うじて脱した。
だが、それだけだった。
失われた血液は戻らない。削られた体力も戻らない。深く裂かれた筋肉は、すぐには元に戻らない。無理に動けば、また傷は開く。
慎悟は目を開けたまま、ほとんど身動きが取れずにいた。意識を保っているだけで精一杯だった。
奈緒はその様子を見届けると、震える声を抑え、スマートフォンを取り出した。
「――こちら福江東中学校です。重傷者が一人。至急、救急車を」
◇
やがて遠くから、サイレンの音が近づいてきた。
雨の匂いに混じって、赤い光が校庭の壁を照らす。
救急隊員が駆け寄り、慎悟の容体を素早く確認していく。ストレッチャーへ移される瞬間、慎悟の意識が薄れかける。
「慎悟くん……!」
南海の声が耳の奥で反響する。血の付いた両手が、離すまいとするように慎悟の手を握っていた。
「私も乗ります!」
友紀が叫ぶ。歩美が救急隊員へ処置内容を早口で説明している声が、断片的に耳へ届く。
「回復札で止血して……脈が……」
美奈子は銀玲杖を支えに、ふらりと身体を傾けた。力を使い果たした証だった。奈緒がその肩をとっさに支える。
「大溝先生は……」
「私はここへ残る。他にも負傷した生徒がいる。慎悟くんのことは、あなたたちに任せる」
奈緒は南海と友紀の顔を交互に見て、それだけ言った。
雨音が、少しずつ遠ざかっていく。
南海の声も、友紀の声も、水の底へ沈むように遠くなっていく。
意識が完全に途切れる直前、慎悟の頭に浮かんだのは、悪路漢の顔でも咬覇の姿でもなかった。
自分の後ろに立っていたはずの、仲間たちの背中だった。
◇
次に目を開けた時、聞こえていたのは雨の音ではなかった。
規則正しい電子音が、静かな間隔を刻んでいる。心電図モニタが描く緑色の線が、慎悟の鼓動をひとつひとつ律儀に数え上げていた。
白い天井。
消毒液の匂い。
わずかに身体を動かそうとしただけで、脇腹に鈍い痛みが走り、慎悟は小さく息を止めた。
――ああ、生きているのか。
そう思った瞬間、これまで張り詰めていた何かが、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
医師の説明はすでに終わっていたらしい。命に別状はない。だが数日の入院が必要で、当面は激しい運動を禁じる。傷はきちんと縫合され、腹部には白い包帯がきつく巻かれていた。身体を締めつけるその感触が、自分がどれほど深く斬られたのかを、今さらのように教えてくる。
ベッドの横に、南海が座っていた。
眠っていないのが一目で分かる顔だった。目の下にうっすらと隈が浮かび、いつもならすぐに向けてくれるはずの明るい笑顔を、今は懸命に作ろうとして、うまく作れずにいる。
慎悟の手を、南海はずっと握っていた。
指先が冷たい。
握られているのは自分の手のはずなのに、震えているのは南海の方だった。
「……心配、かけた」
慎悟が絞り出すように言おうとすると、南海の手にぎゅっと力がこもった。
言葉を、止められる。
南海は俯き、しばらく黙り込んだあとで、震える声を絞り出した。
「慎悟くんが負けたことが怖いんじゃない」
一度言葉を切り、深く息を吸う。
「もう戻ってこないかもしれないって思ったことが、怖かった」
慎悟は何も言えなかった。
言葉にできる何かを探しても、見つからなかった。
南海は続けた。
「校庭で慎悟くんが倒れた時、頭の中が真っ白になった」
一語一語、確かめるように紡がれる声だった。
「救急車の中でも、ずっと手を握ってた。何も喋らなくて、目も開けなくて……このまま」
言葉が、そこで途切れる。
言い切ることを、南海自身が拒んでいるようだった。
南海は無理に笑おうとして、失敗した。唇の端がわずかに持ち上がっただけで、目には涙が滲んでいる。
「守ってくれるのは、うれしいよ」
ようやく、そう続けた。
「でも、慎悟だけが傷つく形は、嫌だ」
震える指先が、慎悟の手を強く握りしめている。
その震えが、皮膚を通り越して、慎悟の胸の奥まで確かに伝わってきた。
自分が傷つくということは、南海にも同じだけの痛みを与えることなのだと、慎悟はこの時初めて、実感として理解した気がした。
これまでは、頭では分かっていたつもりだった。
だが分かっているつもりと、本当に理解することの間には、埋めがたい距離があったのだと、今になって思い知らされる。
◇
南海の言葉が途切れた時、友紀がベッドの反対側から口を開いた。
それまで黙って聞いていた友紀の目は、赤く潤んでいた。だが涙は落ちていない。落とさないと、自分自身に言い聞かせているようだった。
慎悟が「心配……」と曖昧に謝ろうとした瞬間、友紀の感情が堰を切ったように溢れ出した。
「何で一人で追ったの? 私たちがいる意味、分かってる?」
強い口調だった。
泣きそうだからこそ、その感情をぶつける先を怒りに変えているのだと、はっきり分かる声だった。
「聖矢くんを庇ったのは、間違ってない。あそこで動かなかったら、慎悟兄ちゃんじゃない」
友紀は一度言葉を切り、拳を握りしめた。
「でも、その後は違う。悪路漢を追おうとした時、なんで誰にも声をかけなかったの? 健太でも、私でも、誰かに任せることだって――」
友紀の指先が、握りしめた拳の中で細かく震えている。
「兄ちゃんだから全部やれって、思ってない。むしろ逆」
一言一言、噛みしめるように言葉が続いた。
「兄ちゃんだからこそ、一人で全部背負わないでほしい」
慎悟が「友紀まで傷つく必要は」と言いかけると、友紀の目が、それまで以上に鋭くなった。
「それだよ、それ」
強く遮る声だった。
「今の言い方。私を、守られるだけの妹だと思ってる証拠」
友紀は一度、深く息を吸い込んだ。
「私だって同じ十彩獣団の戦士だよ。信頼してよ」
南海は友紀を止めなかった。
止めてはいけない言葉だと、南海にも分かっていたのだろう。
病室の空気が、しばらくの間、重く沈黙した。
◇
友紀の言葉が病室の空気に沈んでいく間、慎悟は黙って自分の行動を振り返っていた。
聖矢へ悪路漢の刃が向けられた、あの一瞬。
自分は誰にも声をかけず、ただ身体が勝手に前へ出た。
悪路漢を追う役目を、健太にも誰にも任せず、自分の意志だけで決めた。
歩美が「動かないでください」と叫んだ時も、その声を振り切ろうとした。
――自分が動かなければ、誰かが傷つく。
――自分だけが傷つけば、全員を守れる。
そう信じてきた。
ずっと、そうやって前へ出続けてきた。
だが本当にそうだったのか。
自分が斬られて倒れたことで、南海と友紀は我を忘れた。智徳と聖矢は怒りのまま悪路漢へ突っ込んだ。歩美は自分の治療に付ききりになり、前線から離れた。均衡が崩れ、咬覇に十分な人数で対応できなかった。
自分が守ろうとした結果、仲間たちは別の危険にさらされていた。
慎悟は、仲間を軽んじていたわけではない。むしろ、誰よりも大切だった。
だからこそ、任せられなかった。
だがそれは、信頼とは違うものだった。
――仲間を守ることと、仲間を頼らないことは、同じではない。
その言葉が、鈍い痛みとともに慎悟の中へ落ちてきた。
分かったところで、すぐに答えが出るわけではない。長年身体に染みついた「俺がやる」という思考は、一度気づいた程度で消えるものではない。
それでも今、慎悟は初めて、自分の戦い方そのものを疑い始めていた。
◇
病室の壁際で、それまで一言も発さずにいた健太が、静かに口を開いた。
「咬覇のことだけどよ」
低い声だった。全員の視線が、自然とそちらへ集まる。
「声。構え。攻撃する時に、右拳をわずかに引く癖」
健太は一度、言葉を区切った。
「……あれ、前谷だ。断定はできねえけど、ほぼ間違いねえ」
誰も何も言わなかった。
健太はそれ以上、詳しくは語らなかった。何があったのか、二人がどういう関係だったのかは、口にしなかった。
「あいつは、簡単に引くような奴じゃなかった」
健太は視線を落とし、拳を握る。
「今回退いたのは、悪路漢の回収を優先しただけだ」
健太は慎悟をまっすぐに見た。
「次に現れた時は、俺が相手をする」
短い宣言だった。だがそこには、単なる決意以上の何かが込められていた。
――咬覇の問題まで、お前一人で背負うな。
――俺の過去は、俺に任せろ。
慎悟は反射的に「危険だ」と言いかけた。
だが南海と友紀の言葉が、耳の奥でまだ響いていた。
その言葉を、慎悟は飲み込んだ。
代わりに、小さく頷いた。
信頼するということが、これほど怖いものだとは知らなかった。
もし次に、同じ瞬間が訪れたら――自分は本当に、任せることができるだろうか。
答えは、まだどこにも見つからなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
慎悟が「一人で背負う」戦い方を初めて疑った回でした。
南海の「慎悟だけが傷つく形は、嫌だ」という言葉。
友紀の「私たちがいる意味、分かってる?」という叱咤。
そして健太の「次に現れた時は、俺が相手をする」という短い宣言。
三人三様の言葉が、慎悟の中に小さな亀裂を入れていきます。
この亀裂が、これから先の慎悟をどう変えていくのか。
ぜひ見届けていただければと思います。
また、健太が咬覇の正体について確信を持ち始めたのも、今回の大きなポイントです。
「前谷」という名前が意味するものは、まだ多くを語られていません。
健太自身の過去とどう繋がっていくのか、こちらも今後の展開にご注目ください。
次回はいよいよ「五天王集結」。
物語は新たな局面へと進みます。
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それでは、次話でお会いしましょう。
※本作はキャラクター設定・世界観・プロット・最終編集を作者が行い、文章生成の補助としてClaude(Anthropic社のAI)を使用しています。




