第12話 二つの覚醒
震える手で、それでも武器を握る瞬間がある。
牛山智徳と清滝聖矢――北潟慎悟の背中を追いかけてきた後輩二人に、ついにその瞬間が訪れます。
守られる側から、守る側へ。
恐怖をなくすことが強さなのではなく、恐怖を抱えたまま前へ出ることこそが強さなのだと、二人はここで知ることになります。
土角と聖翔、二体の新たな霊護獣が誰を選ぶのか。ぜひ見届けてください。
腕の痺れが、もう三度目だった。
智徳は転がっていたベンチを両手で抱え直し、迫る疾牙の突進へ叩きつけた。木材が裂ける鈍い音。爪が金属の脚をひしゃげさせる。衝撃が肘まで駆け上がり、指先の感覚が薄くなっていく。
顔を上げれば、囲みはまだ崩れない。数えるのをやめたくなるほどの数だった。校庭の東側は、すでに戦場としての体を成していなかった。疾牙の群れが土煙を巻き上げながら、逃げ遅れた生徒たちの周りをぐるりと囲んでいく。牛山智徳と清滝聖矢は、その最前列に立たされていた。
「智徳先輩、後ろ、まだ二人残ってます」
「分かってる」
聖矢は落ちていたテニスラケットを構え、恨卑の牙を弾いた。だが数が違いすぎる。ラケットのガットはすでに三本切れている。
「北潟先輩!」
智徳が叫んだ方角では、慎悟が松影を構える悪路漢に道を塞がれていた。
「智徳! 聖矢! そこを動くな!」
声だけが届く。助けは来ない。蓮も翼も、それぞれの敵から動けずにいる。
疾牙の一体が牙を剥き、跳んだ。
その刹那、地面が唸った。
前日までの雨を吸って濡れた校庭へ、重い蹄が打ちつけられる。泥と水が左右へ吹き飛び、赤褐色の巨体が智徳の前へ躍り出た。太い角が疾牙を横へ弾き飛ばす。
低く、腹の底へ響く咆哮。
「土角……」
智徳は、駅前で見たチラシの猛牛を思い出した。
同時に、雲の切れ間から象牙色の光が差し込む。湿った風が校庭を横切り、垂れ込めた雲の底が一瞬だけ白く発光した。翼を打つ澄んだ音とともに、巨大な白馬が聖矢の前へ舞い降りる。
「まさか、あのチラシの……」
言葉は最後まで続かなかった。
土角は、智徳の前に立ったまま、すぐには力を与えなかった。ただ静かに見つめてくる。まるで、何かを問いかけるように。
智徳の膝が震えていた。体格だけは誰よりも大きい。喉の奥が渇いて、唾を飲み込む音だけが妙に大きく響く。
背後から、まだ小さな下級生の泣き声が聞こえた。
以前の自分なら、その声を聞いても動けなかっただろう。慎悟の背中に隠れることしかできなかった、あの頃のように。
だが、今は隠れる背中がない。ここに立っているのは、自分だけだ。
智徳は震える拳を握り直した。
「怖いに決まってる」
「逃げたい。俺だって、こんなのと戦いたくねえよ」
それでも、泥の中へ足を深く踏みしめる。
「でも、俺が逃げたら、こいつらの前に誰もいなくなる」
「だったら今だけは、俺が立つ」
土角の低い声が、地鳴りのように響いた。
『恐れを認め、それでも立つか』
「ああ」
智徳はまっすぐ見返した。
土角が蹄で地を打つ。それが答えだった。
一方、聖翔は聖矢を見下ろしたまま、翼を静かに広げていた。
聖矢の耳の奥で、悪路漢の言葉が繰り返し響いている。
――お前が黙っていれば、俺たちは鬼にならずに済んだ。
喉の奥が締まる。自分が通報しなければ、ここまでの事件は起きなかったのではないか。
だが聖矢は、慎悟が無事だった夜のことも、同じくらい鮮明に覚えていた。
自分が黙っていたら、慎悟は殺されていたかもしれない。
聖矢の喉は乾いていた。声は震えている。悪路漢のいる方角を、まだ正面から見られない。
それでも、ゆっくりと顔を上げた。
「俺は、怖いです」
「今だって、通報したことを後悔しそうになる」
「でも、慎悟先輩が襲われるのを知ってて、黙ってるほうが間違ってた」
聖矢は胸に残る恐怖ごと引き受けるように、声を張った。
「あの時も、今も、間違っていることを止めたい!」
聖翔が天へ向かって高く鳴いた。
『恐れを知らぬ者を、勇者とは呼ばぬ』
『恐れを記憶し、それでも正しき道を選ぶ者よ。我が背に乗る資格を示せ』
智徳と聖矢は、それぞれの霊護獣へ手を伸ばした。
「俺たちにも……守れる力を貸してくれるのか」
土角の角から黄土色の霊光が流れ込み、智徳の両手へ集まっていく。光は柄と刃を形作り、巨大な戦斧――土角大斧へと変わった。柄を握った瞬間、重さに腕を引かれ、智徳は両足で大地を踏みしめる。
「急がず、止まらず、踏みしめる」
茶色と黄土色の霊力が全身を包み、牛の額を思わせる胸部装甲が組み上がっていく。両肩に大型の角状装甲、額に土角の紋章。
「土角――力を貸せ!」
同時に、聖翔の額の紋章から象牙色の光が聖矢の右手へ降り注ぐ。光は細身の刀身へ変わり、聖翔剣が姿を現す。柄を握った聖矢の指は、まだ震えていた。
「忘れない。怖かったことも、助けてもらったことも、全部だ」
象牙色と白銀の光が駆け抜け、翼を思わせる装甲が肩と背中へ形成されていく。背に一対の光翼が開き、宙を舞う細かな水滴を白い光へ変えて弾き飛ばす。
「聖翔――俺と一緒に走ってくれ!」
土色の霊光と象牙色の輝きが同時に弾け、二人の新しい戦士がそこに立っていた。
悪路漢と対峙していた慎悟が、その姿を見て一瞬だけ息を止める。
「智徳……聖矢……」
友紀が思わず笑みをこぼし、南海も安堵の息を吐いた。
だが、感動に浸っている時間はない。
土角大斧を構えた智徳が、大地を踏み鳴らして疾牙の群れへ突進する。刃が地面を叩き、衝撃波が波紋のように広がった。数体の疾牙がまとめて跳ね上げられる。
「おおっ……!」
だが振り抜いた反動で身体が大きく回り、智徳は泥の上でよろけた。
「これ、どうやって止まるんだよ!」
聖翔剣を握った聖矢は、光翼を広げて一気に跳び上がった。象牙色の軌跡が曇天の中を走り、恨卑の群れを空から薙ぎ払っていく。
だが加速に身体がついていかない。着地の瞬間、足がもつれて膝をつく。
「まだだ……!」
力はある。だが技術がまるで追いついていない。それでも二人は止まらなかった。
智徳が疾牙の群れを押し退け、聖矢が上空から恨卑を排除したことで、校舎から避難場所へ続く道が開けた。取り残されていた生徒たちが、その隙間を駆け抜けていく。
「牛山先輩!」
後輩の声に、智徳の顔がわずかに緩む。
「助かった。ありがとう」
負傷していた教師が聖矢へそう告げ、支えられながら校門の方へ歩いていく。
智徳は握りしめていた大斧の柄から、少しだけ力を抜いた。指先の震えは止まっていないが、その震え方が、さっきまでとは違う。
聖矢も肩で息をしながら、去っていく生徒たちの背中を見送った。喉の奥に残っていた乾きが、わずかに緩んでいく。
その様子を見ていた慎悟は、思わず口元を緩めかけた。だがすぐに表情を硬くする。
智徳の動きはまだ大斧に振り回されている。聖矢の着地はまだ制御できていない。そして二人は、勢いのまま悪路漢のいる方向へと近づいていた。
「待て、二人とも! そいつには近づくな!」
慎悟の声は、風音と鬼たちの咆哮にかき消されていく。目の前の悪路漢が動きを見せ、慎悟自身もそちらへ意識を割かれる。
悪路漢は、二人の新しい戦士にほとんど関心を示さなかった。彼の視界からは、周囲の戦況も、いつの間にか消えていた。
見ているのは、聖矢だけだった。
かつて自分たちを警察へ通報した少年。自分が鬼になった責任を押しつけてきた相手。その聖矢が、今度は霊護獣に選ばれ、力まで手に入れている。
それは悪路漢にとって、聖矢が再び自分たちを否定したように感じられた。
悪路漢の右手が松影の柄にかかる。切っ先が、垂れ込めた雲の底から聖矢へまっすぐ向けられた。
「ようやく、お前を斬れる」
低く、静かな声だった。
聖矢の手が、聖翔剣の柄の上で強張る。悪路漢の刃を見た瞬間、昨年の記憶と殺意が一気に蘇る。喉が乾く。足が後ろへ下がりそうになる。
聖翔剣を持っているだけで、自分が慎悟たちのように戦えるわけではないことも分かっている。
それでも聖矢は、両手で柄を握り直した。喉の奥はまだ渇いたままで、右足のつま先がわずかに震えている。
背後で、聖翔が翼を大きく広げる。
重い曇天の校庭に、悪路漢が一歩を踏み出した。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
智徳と聖矢、二人の覚醒回でした。
力を手に入れても、技術はすぐには追いつかない。振り回される大斧、制御できない着地。それでも二人は止まりませんでした。
「恐れを認め、それでも立つか」
「恐れを知らぬ者を、勇者とは呼ばぬ」
土角と聖翔、それぞれの言葉が二人へ突きつけたのは、恐怖を消すことではなく、恐怖ごと引き受ける覚悟でした。
そしてラストシーン。悪路漢の切っ先は、誰よりも聖矢だけを見ています。
力を得たはずの聖矢の前に立つのは、記憶と殺意を刻んだ刃。次話「見えていた隙」では、その刃が振るわれます。
慎悟は間に合うのか。それとも――。
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※本作の執筆・編集にはAI(Claude/Anthropic)を補助的に使用しています。キャラクター設定・世界観・構成・最終判断は作者が行っています。




