3. 騎士、後悔する
《魔女》が王国に捕らえられてから4日。
彼女は、驚くほど静かに日々を過ごしていた。
どうやら王国は、捕らえた《魔女》をすぐに処刑するつもりはないらしい。
ここ数日の様子を思い返しながら、セドリックはそう判断していた。
まずひとつが、本である。
彼女が捕らえられた翌日から、地下牢には食事とともに1冊、また1冊と検閲印のある本が届けられるようになった。分厚い歴史書、古い装丁の詩集、セドリックにはよくわからない哲学書らしきものまで。
リコリスが魔術師団に連れて行かれたあと、一体どんな会話をしたのかは知る由もない。だが、近々処刑する囚人に何冊も本を与えることはしないだろう。
そしてふたつめが、魔術師団の申し出だ。
3日前、地下牢の入り口に呼び出されたときのこと。
魔術師団も、《魔女》の監視に半日交代で参加する──そんな提案が向こうから上がってきた、と。
第四騎士団団長のミゲル・グラントから聞かされたとき、セドリックは思わず笑ってしまいそうになった。
「……今更ですか?」
「ああ。『治安維持は第四騎士団の役目だが、魔術的脅威存在の監視を騎士団に押しつけたままにするのは心苦しい』そうだ」
──だったら、初めから自分のところで見ろってんだ。
セドリックは喉まで出かかった悪態をなんとか飲み込んだ。
魔術師団にとって、《魔女》の名目上の監視は第四騎士団に担わせていくのが最も都合が良い。
自分たちは必要に応じて、「協力している」と言えるだけの形式を残すだけ。
そんなふざけた思惑が透けまくった提案を、おそらく透けまくっていると理解しながらぬけぬけと出してくるのだから──
「あいつら、舐め腐ってますね」
「……まあ、そう、だな」
結局出てしまった悪態に、ミゲルは珍しく同調した。
普段は温厚篤実で他者への愚痴を良しとしないこの上司でさえ、今回の一件には思うところがあるらしい。
セドリックはわずかに思案した。
魔術師団の提案は、彼らが《魔女》をすぐにどうこうする気はない──あるいは、できないということを示している。監視の協力を申し出たのも、おそらくは彼女の様子を窺うためだろう。
ならば、その手に「はい喜んで」と乗ってやるものか。
「飲む必要はありませんよ。このまま俺がひとりで引き受けます」
「だが……それではお前に負担がかかる」
「構いません。必要なときだけ魔術師団の見張りを寄越してもらえば十分です」
案じるように眉をひそめるミゲルに、セドリックは迷いなく首を横に振った。
淡々と、己の中で出した結論を口にする。
「牢の前には、俺が立ちます」
──そうかっこつけたのを、セドリックは既に少々後悔していた。
初日にクレイヴン師団長が顔を見せて以降、地下牢はまったくもって静かなものだ。交代に来る魔術師団の見張りは最低限の引継ぎだけを済ませ、すぐ地上へ引き上げていく。
ほかの来訪者といえば1日3回の食事を運んでくる女中くらいのものだが、こちらは言葉を交わすどころか、ろくに顔を見たこともない。
もちろん、牢番の仕事などそんなものだ。
セドリックとて普段は退屈だと感じることはない。
ありがちな囚人であれば、叫ぶなり鉄格子を揺するなりして、己の待遇に不平不満をぶつけてくる。そうなれば静かにしろと怒鳴ることもあるし、日々向けられる敵意や悪意を前に緊張を解くことはない。
だが、リコリスは違った。
彼女は声を荒げない。取り乱さない。
鉄格子など視界に入らないかのように、寝台に背筋を伸ばして腰かけて、ただ黙々と書物に視線を落としている。本をなぞる白い指先はいやに優雅で繊細で、ページをめくる音すら柔らかくこだまする。
石壁に閉ざされた冷たい鉄檻を、リコリスはまるで客間の一画かなにかのように扱っていた。
そんな姿を見ていると、鉄格子に囚われているのは自分なのか彼女なのか、セドリックにはふとわからなくなる瞬間があった。
「……」
セドリックは小さく息をつき、足元に視線を落とした。
そのとき、ちりん、と闇の奥──いや、地下牢の出入口付近で小さなベルが鳴った。
それは食事が運ばれてきた合図。女中は檻の前までは来ず、入口にワゴンだけを置いて去っていく。そのワゴンから食事を取り、リコリスへ渡すのもセドリックの仕事だ。
「飯だぞ」
牢の小窓から木製の盆を差し入れると、手元の本に落ちていた翠の瞳がふっと上がる。
「ありがとう」
リコリスは栞の位置を丁寧に確かめてから本を閉じ、盆の方へと歩み寄った。
用意された食事は、野菜を煮込んだスープと、ハムとチーズを挟んだパン。
通常の囚人に出されるような、かろうじて野菜屑が浮かんだスープと固い黒パンではない。質としては、セドリックが隊舎の食堂で食べているものと大差なかった。
それなりの娯楽と、それなりの食事。
国はリコリスをすぐに殺すつもりはなく、かと言って自由にする気もない。
この地下牢は、彼女にとって檻であり、同時に籠でもあるのだろう。
そんなことを思いながら、セドリックも自分の食事に手をつける。中身は似たり寄ったりのスープとパンだ。
鉄格子の外と中で同じものを口にしているのが、なんとなく妙な気分だった。
だからというわけでもないが、セドリックは再び息をつく。
「……あなた、退屈じゃないの?」
繰り返されるため息を聞きつけたのか、ふとリコリスがそんなことを言った。
「退屈だが?」
スープの器を持ったまま、ぶっきらぼうにそう返す。
セドリックが牢の前を離れるのは、1日のうち休憩のためのほんの数時間だけ。
その間は魔術師団の見張りがつき、牢の周りには二重三重の魔術封印が張り直される。
けれど彼らも地下牢の入り口で待機するだけで、リコリスのすぐ目の前に腰を下ろすのはいつだってセドリックひとりだった。
リコリスは数度瞬きをしてから、どこか楽しげに微笑む。
「じゃあ、お話相手になってあげましょうか?」
「結構だ」
無駄口を叩く必要はない。さきほどと変わらぬ声音で突っぱねる。
それは牢番としての習慣だったが、それ以上に、この魔女と話すとどうにも調子が狂ってしまう。
牢に放り込まれてなお他人の退屈を気にする余裕がある囚人。しかもその言い草が妙に自然で、恨みもふてくされも滲んでいないから余計にペースが乱される。
「好きな植物とか、ある?」
対話を閉ざしたつもりのセドリックに対し、リコリスはまるで気にした様子もない。
無邪気さすら感じる声で問いかけてくる。
「見分けがつかない」
「……随分感性の貧しいひとなのね」
「ほっとけ」
セドリックは不機嫌を隠さず、顔を背けた。
「そういえば、あなたの名前は?」
再び重ねられた問いかけに、スープをかき回していた手が思わず止まる。
顔を上げると、純粋な好奇心に輝く翠の瞳が、まっすぐにセドリックを見つめていた。
まるで誘われるように口を開き──
「……エド」
舌の先まで本名が出かかったところで、セドリックは慌てて自制した。
《魔女》に名前を知られると呪いをかけられる──。
そんな事実だか、迷信だか、噂話だかを、幼い頃から聞かされてきた。
騎士になってからは笑い話として酒の肴にする程度になっていたが、いざ実際に《魔女》を前にしてみると、所詮戯言と割り切って名を明かす気にはなれなかった。
「ふうん、エドね」
セドリックが口にしたのは、咄嗟に出た適当な名前だ。
けれどリコリスは嬉しそうに、何度かその名を口の中で転がすように呟いている。
「私はリコリスよ。よろしくね、エド」
「はいはい、よろしくよろしく」
ぞんざいな返事だったが、彼女はそれだけで満足したようにスープへ視線を戻した。
それでも会話は止まらない。
「エドは騎士なの?」
「農民に見えるか?」
「私、騎士も農民も見たことないもの」
まるで当然のことのように返される。
思わず言葉に詰まったセドリックを気にも留めず、世間知らずらしい《魔女》はあれこれ尋ねてくる。
「エドは何歳なの? 若く見えるわ。ずっとこういう仕事をしてるの?」
実際、23歳のセドリックは騎士団の隊長格にしては若い方だ。
そこに至るまで、余計な役目をいくつも引き受けてきた自覚はある。
その筆頭が、この《魔女》の相手なわけだが──。
「300歳よりは年下だよ」
「……」
リコリスは半眼でセドリックを睨んだ。
「……あなた、ここから出たら覚えてなさいよ」
どうやらこの手の話題は避けた方がいいらしい。
騎士も農民も見たことがないという、300歳の人喰いの《魔女》。
人の世界から切り離されてきた禁忌の存在。
そんな彼女の怒りを買ったというのに、セドリックは不思議と恐怖を覚えなかった。
それが良いことなのか悪いことなのかも、よくわからないまま。
彼女と言葉を交わすたびに胸にこみ上げる異物感を押し戻すように、セドリックは食事をとる手を動かし続けた。
* * * * *
その日の夕刻。
セドリックが休憩のために地上に上がろうとしたとき、珍しくも、ひとりの魔術師が牢の前まで降りてきた。
「牢を開けてもらえるかな」
石段を降りきるなり、その魔術師は気楽な口調でそう言った。
若い男の声だ。地下牢という場所にまるで物怖じしていないかのような、どこかのどかな声だった。
セドリックは眉ひとつ動かさず、視線だけを魔術師に向ける。魔術師団の団服であるローブを身に纏ってはいるものの、フードを目深に被っているため人相までは窺えない。
「要件は?」
「師団長の命令でね。例の《魔女》さんを、ちょっと地上までお連れしたいんだ」
「こいつの監視は第四騎士団の役目だ。師団長殿が来るならともかく、一介の魔術師に引き渡せるか」
突っぱねると、男はフードの下で笑みを漏らした。
「へえ、オーウェン隊長は意外と真面目なんだね」
一度たりとて不真面目だった覚えはない。
セドリックが内心で毒づく間に、ローブの男は自らのフードをそっと取り外した。
「じゃあ、ちゃんと名乗ろうか。僕は、魔術師団第一分室室長補佐のセルジュ・ノートン。クレイヴン師団長と、そっちのグラント団長からも許可は得ているよ」
言葉とともに、金属製の身分証と短い命令書が差し出される。
命令書の下端には、魔術師団の紋と見慣れた第四騎士団団長印が重ねて捺されていた。
セドリックはそこでようやく男に視線を向けた。
こちらを見つめる魔術師の茶色い瞳は、軽い口調とは裏腹に静けさを帯びている。これならば文句は言えまい、と確信しているかのように。
実際、正式な書状を出されては突っぱねるほどの権限はない。
「……」
セドリックは黙したまま、しかし腰の鍵束に手を伸ばした。
「助かるよ」
満足げに目を細めるセルジュに背を向けて、鍵束から1本を選び取る。
錠前に差し込むと、重い音を立てて鍵が回り、鉄扉がわずかに軋みながら開いた。
牢の中のリコリスは、それまでと同じように寝台に浅く腰かけていた。感情の宿らぬ瞳で、開いた扉とその前に佇む魔術師とを数度見比べてから、音もなく立ち上がる。
セルジュは牢の前で彼女の手首に嵌められた魔封じの腕輪を改めると、ひとつ微笑んだ。
「じゃあ、行こうか、魔女さん」
リコリスはなにも言わなかった。ただ澄ました顔で、セルジュの後についていく。
ひとりの魔女とひとりの魔術師は、そのまま石造りの階段のさきへと消えていった。
地下牢に、再び静寂が落ちる。
石床に響いた足音の余韻を鼓膜に残しながら、セドリックはひとつ舌打ちをした。
──いつ戻るかくらい、教えていけよ。
そう思うのは、職分のためか、それとも別の理由のためなのか。
口の中で文句を並べたところで、答えが返ってくるはずもなく。
セドリックは空になった地下牢を睨みながら、しばらくその場に立ち尽くした。




