16. 騎士、祝祭の夜に花を贈る
「……駄目だったな」
「駄目だったね」
背後で、魔術師団師・団長室の扉が閉まりきってから。
セドリックとセルジュは揃って遠い目をした。
建国祭に、リコリスをほんのひとときでも連れ出せないか──
ふたりでクレイヴンにそう持ちかけたのは、つい先ほどのことだ。
もちろん、まともな筋ではない。セドリック自身、まったくの外野であったならなにを馬鹿なと鼻で笑って終わらせていただろう。
だからこそ、ただの要望としてぶつけるような真似はしなかった。
囚人の気晴らしになること。
王都の催しを見せることは、王国と《魔女》の相互理解にも繋がり得ること。
少なくとも表向きには、協力関係にあるという姿勢を示す一助になること。
思いつく限りの理屈を並べ、セルジュがそれらしい顔で補足をした。だがクレイヴンは灰色の瞳を微塵も揺らがせることなく、ただ淡々と言った。
──一時的な協力関係にあるからこそ、主導権がどちらにあるかは見せつけなければならない。
いかにもあの男らしい回答だった。
理に適っていて、冷えていて、隙がない。
「リコリスがちゃんと協力的だから、いけるかと思ったんだけどなー。師団長も譲歩してる感じあったし」
セルジュは頭の後ろを軽く掻きながら、ぼやくようにそう言った。あの場で師団長相手に言葉を尽くしていたときの真面目くさった顔はもう消えていて、いつもの気の抜けた調子に戻っている。
彼の呟きに、セドリックは思わず首を傾げた。
「譲歩?」
「うん。研究会が始まる前に、リコリスが望む現代魔術の知識は与えていいって言われてたんだよね」
「ふーん……」
曖昧な相槌だけを打つ。
知識は与えてもいい──それは裏を返せば、それ以外でリコリスの鎖を緩める気はない、ということかもしれない。
「あいつ、研究中はどうなんだ?」
夕刻の気配が満ちつつある石造りの回廊を歩き出しながら、今度はそう尋ねる。
「楽しそう……というか、興味深そうにはしてるよ。正直、思っていたよりちゃんと古代魔術のことを教えてくれる」
セルジュはそう答えてから、ふと顎に手を添えた。
薄茶色の瞳が深く思案するようにわずかに伏せられる。
「魂移し……あれは……」
「あ?」
「セドリックには言ってなかったけど、リコリスってね、古代魔術によって神樹と魂を結んでる樹術師で──」
「ちょっと待て、情報が多い」
思わず制すると、傍らの魔術師は案外素直に口を閉じた。
セドリックは歩きながら、自分の中で今投げ込まれた単語をどうにか噛み砕こうとする。
神樹。魂。樹術師。
ひとつ大きく頷いてから、結論だけを口にする。
「全然わからん」
「うん、だろうね」
セルジュは妙に満足そうに頷いた。
「まあとにかく、今、彼女から精霊樹と魂を結ぶ魔術を教わってるんだよね」
「……それ、大丈夫なのか?」
「今のところは、ね。僕もやってみたけど、特別なにかが起きたりはしてないよ」
さらりと語られた内容に、セドリックは眉をひそめた。
この男は、自分が踏み込んでいる場所の危うさをどこまで理解しているのか怪しいところがある。もっともセルジュというより、魔術師全般がそういう生物なのかもしれないが。
だがセルジュはそんな視線も気に留めず、どこか虚空を見つめて目を細めた。
「やってみてわかったけど……リコリスと神樹の魂の結びつきって、もっとどうにかできるんじゃないかな。あれは魂を移譲するというより、交換……いや、相互補完というか、それこそ循環と言った方が近いような──」
「俺に言われてもな。魔術は現代だろうが古代だろうが、さっぱりだよ」
「はは、まあそりゃそうだ」
セルジュは朗らかに笑う。
彼とてセドリックに助言を求めているのではなく、単に頭の中を整理したいだけなのだろう。
「しかし、どうするかな……」
今度はセドリックが、歩きながら考え込む。
建国祭で少しでも外に出してもらえないか頼んでみる、と告げたときのリコリスの顔を思い出す。
ほんの少しだけ目を細めて、淡く、けれど確かに笑ったあの表情。
あれを目にしてしまった以上、やっぱり無理でした、では終わらせたくなかった。
一度自分から提案した手前、すぐに諦めるのもあまりに情けない。男としての意地、などと口にすれば安っぽく聞こえるのかもしれないが、それでもセドリックの中には確かにそういう火種が残っていた。
「思ったより室長補佐が使えねえ」
「ひどいな、騎士団隊長」
セドリックのぼやきに、セルジュが軽口を返す。
騎士団隊長、とは言うが、リコリスに関する管理監督権は魔術師団に握られてしまっているのが実情だ。セルジュと初めて会ったときもそうだ。正式な書面を前にセドリックは頷くほかなく、今だって魔術師団に言われるがまま毎日リコリスを研究会に送り出している。
そのセルジュはわずかに歩を緩め、苦笑に近い声音で言った。
「……まあ、師団長の言うこともわかるけどね」
「あれは国の論理だろ。俺は、そんなものに乗る気はねえよ」
セドリックは即座に吐き捨てる。
王国の都合。管理する側の理屈。秩序と主導権。
どれも間違ってはいないのだろう。少なくともこの国を回す側から見れば。
だが──そのまま従う気には、もうなれなかった。
もちろん、国のすべてをひっくり返すほどの力が自分にあるわけではない。リコリス自身から、助けようだの逃がそうだのはするな、と釘を差されてもいる。
それでも、もう自分の立場を言い訳にして彼女の望みを削る気はなかった。
少しでも与えられるものがあるのなら、職分だってはみ出してやる。
「……お前は? どうすんだよ」
「僕?」
セルジュは自分を指してから、肩の力を抜くように笑った。
「僕は、僕のしたいようになればそれで良いかな」
「したいようにって……」
「だから、古代魔術のことが学べて、魔術の発展に携われて、僕の友達が望むように在れること」
その声音はいつも通り軽い。
けれど口にした内容だけを拾えば、ひどく欲張りで、図々しくて、ある意味ではまっすぐだった。
セドリックは半眼で隣を見やる。
「……わがままなやつ」
「まあねー」
セルジュは悪びれもせずに頷いた。
回廊の先からは、建国祭の準備に駆り出されているらしい魔術師たちの足音が行き交っていた。
王城のどこかではもう花が飾られ、魔術灯が増やされ、祭の夜へ向けて着々と支度が進んでいるのだろう。
「あ、そうだ。リコリスにはもう伝えたけど、建国祭の期間は研究会はないから」
「ああ、わかった」
建国祭の期間は、王城で働く者の多くは休暇を取る。残る魔術師たちも、建国祭の最後に打ちあげる花火の調整にかかりきりになる。
いくら《魔女》との知識交換の場とはいえ、国の行事より優先されることはない。
クレイヴンが言ったという、リコリスが望む現代魔術の知識は与える、という方針。
それが、あの男の引いた線なのだろうが──
「……あ」
ふと降りてきた閃きに、セドリックは小さく声を上げた。
* * * * *
遠くで祝祭の気配がしていた。
この1週間、王都のあちこちで鳴り続ける音楽も、夜を浮き立たせる人々のざわめきも、地下深くまでは届かない。
それでも今夜ばかりは、石壁の向こうの喧騒が湿った空気の隙間を縫って微かに滲んでくるようだった。
その騒ぎから切り離されたまま、リコリスは今日も寝台の上で紙束に向き合っている。
日に日に増えていく紙束の中身を、セドリックは知らない。魔術のことはほとんどわからない。けれど彼女がなにを知りたくて、なにを求めて日々研究しているのか──今になって、少しだけ尋ねてみたくなった。
微かに口を開きかけたところで、こつん、とひとつ靴音が響いた。
石段を降りてくる誰かの気配。その正体を知っているセドリックは、剣に手を伸ばすことはしなかった。
「──こんばんは」
いつもなら研究会へ連れて行かれる時刻。
ふらりと地下へ現れたセルジュを見て、檻の中のリコリスがぱちりと目を瞬かせる。
「どうしたの? 建国祭の期間は、研究会しないんじゃなかったの?」
彼女の疑問は当然だった。
今夜セルジュがここに来たのは、研究会のためではない。横に並ぶように牢の前へ立った彼の薄茶の瞳が、ちらとセドリックに向けられる。
セドリックはわずかに息を吸ってから、努めて平然とした声を出した。
「リコリス。花火の広域術式を観測したいって言え」
「……え?」
案の定、リコリスはぽかんと口を開けた。
戸惑うようにその視線がセルジュへと移るが、彼もただ無言で頷くばかり。
「は、花火の広域術式を観測……したい……?」
ひどく困惑した顔をしながらも、《魔女》の唇は確かにその言葉を紡いだ。
セドリックはひとつ頷いて、傍らの魔術師を見やった。
「聞いたか、魔術師団さんよ。現代魔術の知識をご要望だ」
「はい聞きました。というわけで、解錠してもらえる?」
「《魔女》の管理はほぼ魔術師団が握ってるからな。そう言われちゃ断れねえ」
口ではそう言いながら、真顔で腰の鍵束に手を伸ばす。
もちろん、まともな理屈ではない。見咎められたときに、かろうじて差し出せる言い訳未満の名目だ。
それでもゼロよりはましだった。
完全な無断より、ずっと。
「え? なんの話?」
戸惑うリコリスをよそに、鍵を差し込む。
鉄の錠が重たく鳴って、乾いた音が地下牢に響いた。
ここで引き返す気は、もうなかった。
あとでクレイヴンに睨まれようが、セルジュともどもまとめて叱られようが知ったことではない。ほんのひとときでいい。地下の湿った空気ではなく、花と光に満ちた夜を彼女に見せたかった。
ただそれだけのために、セドリックは鍵を開けている。
「ま、待ってよふたりとも! これ、いいの!? 怒られないの!?」
「よくはねえだろうな」
慌てるリコリスとは正反対に落ち着いた声で、きっぱり告げる。
大丈夫だ、などと誤魔化したくはなかった。これは王国が与えた自由ではないし、気まぐれ温情でもない。正直ちゃんとまずい。
だからこそ──この夜は、自分たちが選び取ったものだった。
「いやでも、僕は師団長からリコリスの望む現代魔術の知識は与えていいって言われてるし。
言われてるけど──」
セルジュはそこで一度言葉を切った。
悪だくみをする子どものような笑みを浮かべ、人差し指を口元で立てる。
「内緒だよ。3人だけの秘密」
その一言に、リコリスはしばし呆けたように瞬きをした。
やがて、その唇がゆるく弧を描く。翠の瞳がふたりの男を映して細くなった。
「……なにそれ。馬鹿みたい」
言葉だけは呆れた調子を帯びたまま、けれど彼女は笑っている。その事実に、セドリックは胸の奥が静かに熱を持つのを感じた。
とはいえ、浮かれていられる時間はない。
「……この言い訳が通るのは、花火が上がる間だけだ」
言葉の意味を察したのか、リコリスがわずかに表情を引き締める。
「だから、行くぞ」
ぶっきらぼうに促す声は、いつも通りを装ったままに。
セドリックは、リコリスに手を差し伸べた。
「わあ……!」
リコリスが声を上げたのは、中庭の尖塔を上りきった直後だった。
建国祭の最終日とあって、王城の中庭にはほとんど人影がない。人々は城下や正門側の式典へ流れ、この一角だけが祝祭から取り残されたように静まり返っている。
そこから見下ろす王都は、昼とはまるで別の顔をしていた。
石造りの通りには等間隔に灯籠が吊られ、金の光が列を成す。屋根の間を縫う水路にも灯りが映り、揺れる水面は砕けた星を流しているようだった。
広場には人が溢れ、笛や弦の音がざわめきに混じって街中へ響いていく。風に乗って届くのは、酒と香辛料、焼けた肉の匂い、それから飾られた花の甘い香り。
展望台の縁へ駆け寄るリコリスの横顔が、普段よりずっと幼く見えて。
セドリックは、我知らず目を細める。
「せっかくだから、祭っぽいものも食べたいかなと思って買ってきたよー」
セルジュはのんきな口調でそう言いながら、片手に提げていた紙袋を足元へ置いた。中では城下の露店で見繕ってきた菓子や軽食が、かさりと小さく音を立てる。
それから彼はふと夜空を仰いだ。
「──そろそろかな」
その声を合図にしたかのように、不意に夜空の一角へ鋭い光が走った。
王都の四隅から、青白い魔力の光が細い糸を引いて立ちのぼる。
1本、また1本と天を駆け抜けた4つの光の筋は、濃紺の天幕の中央で音もなくぶつかり合った。
次の瞬間。
夜空いっぱいに、巨大な花の文様が広がった。
それはどこか魔法陣に似ている。セドリックは、この花火を見上げるたびにそう思う。
青白い輪郭は幾何学めいた冷たさを持ちながら、同時に花弁のような柔らかさを合わせて持つ。まるで空そのものに光の花を浮かべたかのようだった。
魔術で編まれた大輪は脈打つように数度瞬いて──やがてほどけていく。
宙に舞った光は天蓋を覆う無数の粒となって、夜空の高みからゆっくりと降り始めた。
市街へ。水路へ。王城へ。
そしてこの尖塔へ、光は等しく舞い落ちる。
白々とした煌めきは降り落ちながら色を変え、あるものは青く、あるものは薄紫に、あるものは銀に揺らめいた。ひと粒ごとに地上の灯りへ溶け込み、王都全体が淡い光に包まれていく。
「綺麗……」
呆然とリコリスが呟く。
その視線を追えば、彼女は夜空だけではなく、その先に広がる王都ごと見つめているように思えた。地上の灯りと空の瞬きを映した翠の瞳が、静かに揺れている。
「なんだか、流れ星みたい」
彼女が漏らした呟きは、独り言のようでもあり祈りのようでもあった。
しばし、誰も口を開かなかった。一様に黙って光の群れを見下ろし続ける。
夜風が塔の上を渡り、リコリスの髪をさらっていく。
遠くで歓声が上がり、遅れて音楽が届いた。
建国祭の只中にいるはずなのに、この高みだけが不思議なほど静かだった。
「──ねえ、セドリック」
不意に、リコリスが言う。
「あなたは、この国のこと、好き?」
「……急になんだよ」
そう返しながらも、セドリックの視線は彼女の横顔から離れなかった。
夜空から降る光を受けて、リコリスの赤毛がいつもとは違う色を帯びている。舞い散る白い煌めきを含んだそれは、どこか繊細な硝子細工のように透き通って見えた。
「私はね、よくわからないの。綺麗なものもたくさんあるわ。好きなものもたくさんある。でも、それが踏みにじられることもある。だからこの国が──この世界が好きか、よくわからないの」
なにを言って欲しいのだろう、とセドリックは思った。
慰めか、同意か、それとももっと別のものか。
「……考えたこと、ねえな」
素直に答えると、リコリスは一瞬だけこちらを見た。
けれどすぐに、夜景へ視線を戻す。
「そう……」
「理由なんて、些細なことで良いんじゃねえか」
セドリックはそう言って、足元に置かれた紙袋から飴がけの林檎を取り出した。
セルジュが露店で見繕ってきた菓子のひとつだ。赤い果実を覆う飴が灯籠の光を弾いて、夜の中で小さく艶めいている。
「飯がうまいからまあいいか、とかでもさ」
リコリスは目を瞬かせて、それから受け取った林檎へそっと口をつけた。
薄い飴の膜が小さく割れる音がして、甘い香りがふわりと立つ。
「……おいしい」
その一言は、夜気に溶けるほど小さかった。
傍らで、細く長く息をつく気配がする。
「ありがとう。セドリック」
そう言って、リコリスはごく自然な仕草でそっと肩へ頭を預けてくる。
触れた重みは驚くほど軽く、けれどその温もりだけがやけにはっきりと伝わった。セドリックはわずかに身体を強張らせたが、振り払うことはせずにただ黙ってともに夜空を見上げる。
肩にもたれたリコリスは、ひどく気の抜けたような、安堵したような笑みを浮かべていた。
頭上では今もなお、無数の光が王都へ降り続いていた。
祝福のように。あるいは、夢の中のように。
光の花が咲いた夜は、あまりにも穏やかで、あまりにも一瞬だった。
王国のマナ供給量に異常が生まれ、リコリスが神樹の森へ向かうことになったのは、それから3日も経たぬうちのことだった。




