10. 魔女、本領を発揮する
香ばしいにおいに目を覚ます。
リコリスは詰所の粗末な寝台からそっと身を起こした。
鼻先をくすぐるのは、焼けた小麦と油の香り。
壁代わりの衝立から顔を出してみれば、奥に設けられた小さな厨から微かな湯気が立っていた。
石壁に囲まれた狭い空間には、大きめの卓がひとつ。その上に、炙ったパンと目玉焼き、薄切りのチーズが人数分並んでいる。
火の前に立つのは鎧を脱いだセドリックだった。香りに誘われるまま近づけば、鍋の中では薄く切った根菜と干し肉のスープがゆっくりと煮えている。
リコリスを目に留めたセルジュが、席に着いたままひらりと手を振った。別の場所で寝ていた彼もすでに起きていたらしい。
「おはよう、リコリス」
「ええ、おはよう。セドリックって、料理できるのね」
素直に感嘆の声を漏らすと、彼はわずかに肩を揺らして振り返った。
「いや、こんなもん料理ってほどじゃ……普通だろ」
居心地が悪そうに視線を逸らしながら、木皿にパンを移していく。
無造作に黒髪を後ろでひとつに括った姿は、牢の前に立っていたときとそう変わらない。なのに、鍋をかき混ぜる手つきだけが妙に所帯じみて見えた。
手伝おうかとも思ったが、もう支度はほとんど済んでいる。
リコリスは卓につき、パンの上に目玉焼きをそっと乗せた。白身の縁にはこんがり焼き目がつき、パンもかりかりに焼けている。
「私も料理、好きよ。得意なの」
「へえ。例えば?」
「サラダ」
「……」
セドリックは微妙な表情を浮かべて黙り込んだ。
「……まあ、森の中だしね」
なぜかセルジュにフォローされる。
言い返そうかとも思ったけれど、ちょうどパンをかじったところだったので、口は開けなかった。
「そういえば、あの女は?」
パンを飲み込みながら尋ねるセドリックに、リコリスは自分が出てきた衝立の向こうを目で示した。
「まだ寝てるわ。多分、明け方まで起きてたんじゃないかしら」
ルーシーが書類と格闘をしていたのは別室のため、いつまで作業していたかまではわからない。ただ、明け方に隣のベッドに倒れこむ音がしたのだけはぼんやりと覚えていた。
少し開いた資料室の扉の向こうには、ひっくり返った椅子と散らばった紙束が見える。あの惨状がいつものことなのか、昨晩が特別だったのかはリコリスには知りようもないが。
「却って都合がいいね。彼女の目がない方が、リコリスもやりやすいだろうから」
リコリスの答えに、セルジュは平然とそう言った。
セドリックは微かに眉をひそめる。
「現場の人間がいなくて平気なのか?」
「昨日、大体現状は把握した。ルーシーがよくまとめてくれてたよ」
「……仕事はできるんだな」
あんなに変な女なのに、と小さな声で続いたのをリコリスは聞き逃さなかった。
それを誤魔化すためではないだろうが、彼は空になった皿を手に立ち上がった。
「すぐ出るか?」
その一言に、リコリスの手が止まった。
セドリックは夜通し見張りをして、そのまま朝食まで用意したのだ。本人は平気そうな顔をしているが、休ませずに調査を始めるわけにはいかない。
「ちょっと、セドリック──」
「うん。セドリックが仮眠を取ったら、ね」
リコリスが言い切るより早く。
セルジュがにこやかに釘を刺せば、途端にセドリックは渋い顔をした。あからさまに不機嫌な舌打ちの音が響いても、セルジュはむしろ笑みを深めるばかり。
そんなふたりを交互に見やってから、リコリスはパンを飲み込んだ。
どこまでも真面目に役目を背負い込むさまは、牢の前に立つときと変わらない。
眠気も疲れも押し隠すように口を引き結ぶ横顔が、なんだか少し可笑しくて。
リコリスは、そっと口元を綻ばせた。
* * * * *
3人が詰所を出たのは、昼を少し回ったころだった。
畑予定地のさらに外側。草と低木の入り混じる斜面に、入植地の外周をなぞるようにして細い影が等間隔に並んでいる。
瘴気を吸い上げ、澄んだマナを吐き出すはずの精霊樹。
本来であれば、その若木たちは瑞々しい若葉を広げているはずだった。
けれど目の前のそれらは、リコリスの知る精霊樹とは似ても似つかない。葉先は乾いて丸まり、色も悪い。伸び悩む枝は頼りなく風に揺れ、細い幹は明らかに張りがなかった。
リコリスは1本の若木の前で足を止め、そっと幹に手を添えた。
「どの子も疲れてるわね……」
触れた木肌から伝わる魂の鼓動は弱々しく、語りかけてくる声もひどくか細い。
傍らで、セルジュも同じように手を添える。
「精霊樹のマナの流れが乱れてる……成長してないのはそのせいなのかな」
「──いえ」
リコリスはその場にしゃがみ込み、根元の土へ指先を這わせた。
若木を支えるように固められた表土そのものは、それほど悪い状態ではない。けれど、その下に沈んだものの気配をリコリスは確かに感じ取っていた。
手のひらを地面に押し当てて、ゆっくりと息を吐く。
皮膚に伝わる感覚を慎重に辿ると、地の底に澱む瘴気の残滓が、輪郭を持って浮かび上がってきた。
「地面に瘴気が残ってる。そのせいね」
言葉とともに立ち上がり、爪先でとんと土を叩く。
「若木を植えた時点で、土地の浄化が足りてなかったのよ。それにこの辺り……瘴気が濃いというより、マナが薄いわ。多分、戦場が近いせいね」
「──あ、そっか」
セルジュがぽんと手を打った。
この一帯は少し前まで前線だったとリコリスも聞いている。 魔術師が土地のマナを絞り出し、兵士たちが血と恐怖を撒き散らした、そんな場所だと。
入植にあたって精霊樹を植えたものの、人間には感知できない地中深くまで瘴気が染みついていたのだろう。
そこへ、西方戦線の近さが追い打ちをかけた。
根を伸ばすさきは汚れ、ようやく生み出したマナもすぐに消耗する。さらに新たな瘴気まで流れ込むのでは、成長も浄化も追いつかない。悪循環とはこのことだ。
「戦場が近すぎて、今までの前提が崩れてるのか……」
「これまで、地中の瘴気は確認しなかったのか?」
セドリックの問いに、セルジュは頬をかいた。
「工程には……なかったねぇ。植樹前に聖水を土地へ撒いたりはしてたみたいだけど」
「足りるわけないじゃない」
「そうは言ってもね、リコリス。人間じゃ地中深くの瘴気なんて探れないよ。無理無理」
「ふうん。変なの」
セルジュはひとつ苦笑してから、再び若木へ向き直る。
「原因がわかったのはいいけど、どうしたものかな……若木に保護術式をかけて……いや、でもそれじゃ瘴気を吸えなくなって、浄化そのものが止まるし……かといって、弱った状態で促進術式をかけるのも、むしろ危ないか……」
「──なに言ってるの?」
ぼやきとして漏れ出るセルジュの思考に、リコリスは呆れ混じりのため息をついた。
「若木同士を魂で結べばいいじゃない。強い子も弱い子も、それぞれひとりで浄化させようとするから無理が出るのよ」
「え……でも、それって」
セルジュは戸惑うように眉根を寄せる。
──そう。魂を操るのは、古代魔術の領分だ。
リコリスはセルジュをまっすぐに見つめながら、自らの腕を差し出した。
背後でセドリックが微かに息を呑む気配がしたが、リコリスは振り返らなかった。ただ静かに、手首で鈍く光る魔封じの腕輪をセルジュに突きつける。
「解いてくれる?」
「……」
セルジュはすぐには応えなかった。
丸眼鏡の奥の茶色の瞳が、差し出された手首と、そのさきに並ぶ若木の列とを静かに見比べる。
やがて視線がリコリスへ戻ったとき、その眼差しには、迷いではなく静かな決意が宿っていた。
言葉の代わりに、セルジュの指先が彼女の手首へ伸びる。
半端な信頼の言葉を重ねられないことが、却ってありがたかった。
「ありがとう」
かちゃん、と小さな音を立てて腕輪が外れた瞬間、押し込められていた感覚が指先まで一気に開いた。
溢れる魔力に呼応するように、周囲の草花が一斉に葉擦れの音を立てる。
土の湿り。草の息遣い。
そして──村を囲う若木たちの、微かな脈動。
空気を満たしていた細く頼りない気配が、一斉に輪郭を持ち始める。
リコリスは一度だけ、翠の瞳をセルジュへ向けた。
「セルジュ。よく見ていて。これが樹術師の魔術よ」
一番近くの若木に手を添え、リコリスはゆっくりとまぶたを閉じた。
手のひらを通して、若木の感情と痩せたマナの流れが胸の奥へ伝わってくる。
彼らは土の底に沈んだ澱みを、大気に漂う穢れを、必死に吸い上げながら生き延びようともがいていた。
こんなにも過酷な土地で、それでもなお懸命に。
──大丈夫よ。
心の中でそう呼びかける。
応えるように、重ねた手の奥でひとつ、なにかが脈打った。
次の瞬間、若木の根元から淡い金の光が溢れだす。
その光は細い線となって地表を這い、隣の若木へ、またそのさきへと伸びていった。
若き精霊樹が1本ずつ光を帯びていくさまは、まるで燭台に火を灯していくかのようだった。
葉から、幹から、根から。火花のように光がこぼれて溶け消える。
昼の陽射しの中でなお、その金色は目映かった。
伸びていく光は、ただ樹々を結ぶだけではない。
強い鼓動から弱い鼓動へ。余裕のある枝から疲れた根へ。
滞っていた流れが緩やかに、けれど確かに巡りはじめる。
閉じたまぶたの裏で、リコリスはその流れをはっきりと感じ取っていた。
ひとつの樹が、もうひとつの樹を支える。
孤立していた若木たちの鼓動が、少しずつ揃っていく。
誰かひとりで立つのではなく、繋がりの中で均され、巡り、持ちこたえる──
森とは本来、そういうものだ。
「すご……」
呆けたようなセルジュの声が、光めく大気の中に溶けていく。
やがて、村を囲うように描かれた光の線が最初の1本へと戻ってくる。すべての若木の感覚が繋がったのを確かめてから、リコリスはそっと触れていた手を離した。
金の線は淡く明滅し、やがて地中へ沈むように輪郭を薄めていく。
もちろん、繋がりそのものが消えたわけではない。目には見えなくなっただけで、魂の結びつきは残されたままだ。
リコリスは静かに目を開けて、セルジュを振り返った。
「これで、この一帯の精霊樹の魂は結ばれたわ」
「え? もう? これで?」
あまりに軽い口ぶりに、丸眼鏡の奥の瞳がまるくなる。
セルジュから受け取った魔封じの腕輪を自分でつけ直していると、セドリックが一歩リコリスに向かって踏み出した。
「……お前、なんともないのか?」
「なにが?」
最初はなんの話かと思ったが、彼は魔術を使ったあとのリコリスの身体を案じているのだろう。リコリスは要らぬ心配に、澄ました顔で肩をすくめた。
「別に……初歩と言えば初歩だもの。私は、本来の在り方に近づけただけ」
「ご、ごめん。ちょっと見ていい?」
セルジュはそう言うなり、慌てたように若木へ手を添えた。
マナの流れを探るように目を伏せ、それから呆然と呟く。
「本当にマナが流れてる……これが樹術師の……」
「まあ、これでひとまず一段落かしらね。いーい? 次はちゃんと土地の瘴気を浄化してから、精霊樹を植えてあげて。無理させないであげてよね」
立てた人差し指を左右に振りながら、リコリスは叱るように言った。
「……終わったなら、もう戻るか?」
傍らに立つセドリックは普段の無表情に戻っていたが、その目だけはまだ若木たちを見つめていた。
「悪いけど、ふたりは先に戻ってて。僕、もう少し観察したいから」
リコリスが答えるよりさきにセルジュが軽く片手を上げる。
こちらにはろくに視線も寄越さないまま、根元と根元の間を見比べて手帳へなにやら走り書きを始めていた。
「ひとりで大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。暗くなる前には戻るよ」
気もそぞろな返事に、リコリスは小さく息をつく。
「じゃあ、戻りましょうか」
そう言って騎士を見上げると、彼は黙ってひとつ頷いた。
詰所へ戻ると、室内は昼下がりの静けさに満ちていた。
衝立の向こうでは、ルーシーがまだ眠っているらしい。時折寝返りを打つような物音が布越しに響くほかは、ひどく穏やかなものだった。
リコリスは朝食のときにかけた席に腰を下ろし、ひとつ息を吐く。
村を囲う若木たちの鼓動は、まだ身体の奥に微かな余韻を残している。自身の魂と繋ぎ合わせたわけではないものの、植物の魂に直接触れたのは随分久しぶりなような気がした。
その名残を人間の家屋の中で感じている現実が、妙な気分だった。
向かいでは、セドリックが剣帯を外して壁際に立てかけていた。
牢の前に立つときと変わらず言葉数は少なく、なにかを話しかけてくる気配もない。
けれどリコリスは、それを気づまりだとは思わなかった。
開け放たれた窓から入り込む風が紙の端を揺らし、外ではどこかで鳥が鳴いている。地下牢にはない世界の輪郭を、こうして穏やかに感じられる時間が愛おしかった。
そうして、どれくらい経っただろうか。
頬杖をついていたリコリスはふと、視線を感じた。
瞳を向けると、いつ間にやらセドリックが斜向かいに腰かけている。
目と目がかち合った途端、あからさまに目を逸らし損ねたような顔をされた。
「なあに?」
いい加減、彼のこういう態度にも慣れてきた。
尋ねてやれば、案の定セドリックは目を伏せる。
「いや……お前、ほんとに《魔女》なんだな、と……」
「あら。騎士様ったら、無辜の少女を地下牢にぶち込んでたつもりだったのかしら」
「そういう意味じゃねえよ!」
慌てたように声が上ずる。
セドリックは顔を上げかけ、それでも結局は伏せたまま、言葉を探しあぐねるように息を吐いた。視線は伏せられているのに、その沈黙だけが妙にまっすぐこちらへ向けられているような気がした。
「ただ……見たこともない魔術だった、から」
それはそうだろう、と思った。
《魔女》を遠ざけ、排してきたのは人間の方だ。見たことがないのも当然である。
けれどリコリスはそうとは頷かなかった。
代わりに、セドリックの顔をわざと覗き込んでやる。
「怖いと思った?」
頑なに逸らされ続ける銀の瞳に、そう問えば。
「……思わなかったよ」
返ってきたのは低く静かな声だった。
慰めでも、取り繕いでもなく、彼の心の一滴がふとこぼれたような音。
覗き込んだ銀の瞳が曖昧な感情に揺れている。けれど、まっすぐにリコリスを見つめている。
そのことに妙に戸惑って、リコリスは喉に息を詰まらせた。
なにかを言おうと思っても、その眼差しが喉元に絡みついたようで、上手く言葉を紡げない。
結局、返事をするよりさきにセドリックが視線を逸らす。
どこかぎこちない沈黙が落ちた。窓の外で鳥が一声鳴き、部屋の中では差し込む西日の色がもう随分と赤みを強くしている。
そのときだった。
衝立の向こうで、がたん、と大きな物音が響く。続いて紙束の崩れる音と、寝ぼけたような呻き声が聞こえた。
「……」
「……」
リコリスとセドリックが揃ってそちらを向くと、次の瞬間、ルーシーがのっそりと顔を出す。
昨日以上に髪はぐしゃぐしゃで、それでも両腕はしっかりと書類の束を抱えている。
「おはようございます……いえ、もうこんばんはですか……?」
まぶたをこすりながら挨拶してきたかと思えば、リコリスの顔を見た途端、ルーシーの両目が大きく見開かれた。
「精霊樹! どうでした!? どうにかなりそうですか!?」
「多分、なんとかなったとは思うけど……」
「本当ですか!? なにが原因でした!? 私のせいじゃないですよね!?」
そう聞かれても、リコリスにはどう答えていいかわからない。
原因は土壌に残った瘴気だ。けれど、解決したのは樹術師の魔術である。
それをここで明かしていいものか──。
「ええと……とりあえず、一度見に行ってみる? セルジュがまだ残ってるはずだから」
「はい! 行きます!」
一も二もなく頷かれる。
そうして今度はルーシーも連れて、若木の植えられた外周部──セルジュのもとへ向かった。
その道中も、ルーシーはあれこれとリコリスへ問いを重ねてきたが、やはり中途半端な答えしか返せない。
やがて斜面の向こうに、セルジュの姿が見えてきた。
地面に屈み込んでいた彼は、近づく気配に顔を上げる。
「あ、来たね」
軽く手を挙げたセルジュの髪は風に乱れ、ローブの裾は土で汚れていた。
数時間、精霊樹に付きっ切りであったらしい彼の表情は、しかし妙な充足感を浮かべていた。無邪気な笑みとともに、若木を指差す。
「見て見て。術式を上書きして、マナがもっと滑らかに流れるようにしてみたよ」
「……上書き?」
セルジュの言葉に、リコリスは若木の幹に手を添えた。
まだ弱い。まだ痩せている。けれど、精霊樹同士を巡る気配はさきほどよりも確かに安定していた。
ところどころ不均一だったマナの流れが、まるで水路を通されたかのようにまっすぐに流れている。
「すごい……ほんとにさっきより安定してる」
思わず、感心の声が漏れてしまう。
そんなリコリスの背後で、更なる呆然とした声が漏れた。
「……どう、やったんですか……?」
振り返れば、ルーシーが若木の列を見回しながら立ち尽くしている。隈の浮いた目元は大きく見開かれ、震える指先が若木の間をなぞるように動いた。
「精霊樹の間でマナが流れてる……? こんなの、見たことありません……」
「……今、王都で研究中の技術でね」
セルジュはしれっと誤魔化した。
まあ、魔術知識の交換契約を交わしている以上、あながち嘘というわけではないが。
「僕たちが口外していいかわからないからさ。とりあえず、師団長に聞いてみると良いんじゃないかな」
「そうですね! そうします!」
ルーシーは元気よく頷いて、詰所の方へと駆け出していった。
「……投げたな、あいつ」
遠くなっていく背中を見送りながら、セドリックがぽつりと呟く。
リコリスはそれにひとつ苦笑をこぼしてから、セルジュを見つめた。
「これ、セルジュがやったの……よね? 若木全部に術式をかけたの?」
「術式は木そのものじゃなくて、この循環網に乗ってるよ。きみが繋いだ魂の線に、マナの巡り方の規則を付与した。強い木だけに負荷が偏らないように、分散と迂回を組んである」
「……ふうん」
正直ちんぷんかんぷんなため適当に相槌を打つと、セルジュはふと瞳を細めた。
いつもの軽い笑みではなく、どこか遠くを見るような眼差しで。
「──僕たちは、魂の輪郭に触れることはできない」
それは、初めて会ったときにも聞いた言葉だ。
その技術と知覚は、あくまで《古代魔術》の領域だと。
「それでも、僕たち魔術師にも、マナの『循環』を整えることはできるから」
そう言って、《現代魔術》を操る魔術師は穏やかに笑う。
いつものように人当たりの良い、曖昧な笑み──のはずだった。けれど今のセルジュの表情には、誰かを丸め込むための愛想よりも、ただ届かないものへ手を伸ばし続けてきた者の静かな熱が滲むかのようで。
リコリスはしばしその笑顔を見つめてから、そう、と静かに相槌を打った。
「……つまり、どうにかなったのか?」
「そうね。みんな、喜んでるわ」
横から挟まったセドリックのぞんざいな総括に、リコリスはくすりと笑みを漏らす。
今のリコリスには、現代魔術の仕組みは理解しきれない。けれど、セルジュが生み出した結果は若木の穏やかな様子が物語っている。リコリスは今一度若き精霊樹を、そして彼らに結ばれた魂の線を見渡した。
──樹術師の魔術だけでは、届かないものがある。
けれど《現代魔術》の力があれば、魂を結んだ更にそのさきへ向かえる。
神樹アシェンディールを支えてきた、樹術師との繋がり。
それを、揺らぐことのない『循環』へと変えられるなら──
遠い森の奥で神樹が打つ鼓動を思い浮かべながら、リコリスはそっと自らの胸元へ手を添えた。




