第7話 静かな夜
ーー少し弱まった炎に薪を焚べる。
焚き火の熱が、じんわりと冷えた空気を押し返していた。大樹の枝葉が受け止めきれなかった雫が、時折ぱたぱたと落ちてくる。
エアルは焚き火の近くで膝を抱え、小さく息を吐いた。
「……なんだか、久しぶりかも」
「ん?」
「こうやって、誰かとお話するの」
レイは少しだけ目を瞬かせた。
「そうなの?」
「うん。旅はしてるけど、一人のこと多かったから」
「へぇ」
「歌も……人前だと歌えなくなるんだ」
焚き火を見つめながら、少し困ったように笑う。
「昔にね。変だって笑われたことがあったから、ちょっと怖くなっちゃって…」
レイは眉を寄せた。
「なんで?」
「え?」
「いや、あんな綺麗なのに」
あまりにも自然に返された言葉にエアルが固まる。
「……………」
「?」
数秒遅れて、耳まで赤くなった。
「キ、キミってそういう事さらっと言うよね!?」
「え?」
「え!? じゃないよぉ……!」
顔を隠して俯く。
本気で分からない。綺麗だったから綺麗と言っただけなのに、何か変だっただろうか?
「……変なやつ」
「また言われた」
「だって、変だからさ…」
頬を膨らませながら唸っているその顔は、怒っている筈なのにどこか楽しそうだった。
雨音が静かに森を包む。焚き火の光が揺れ、その度に彼女の表情が柔らかく変わっている様に見えた。
レイはぼんやりとそれを眺める。
不思議だ。さっき会ったばかりなのに。
ずっと前から知っていたみたいに、自然に話せる。
「……キミは?」
「ん?」
「旅してるって言ってたけど、どこから来たの?」
「あー……森の奥」
「ざっくりしてるね」
「実際そんな感じだし」
流石に『ずっと森で暮らしていたら、師匠に放り出されました』とは言いづらい。
「次はどこに行く予定なの?」
「街、かな?師匠に手紙を頼まれててさ」
「師匠?」
「うん。めちゃくちゃ理不尽なダメ人間」
「えぇ……」
エアルが引く。レイは少し遠い目をした。
「コーヒーにはうるさいし、本は散らかすし、人を蹴り飛ばすし」
「蹴り飛ばす!?」
「この前も吹っ飛ばされた」
「なにそれ怖い」
「怖いぞ」
真顔で頷くと、エアルは少し吹き出した。
「でも、なんだかんだ仲良いんだね」
「……まぁ、長いからなぁ」
森の中での生活を思い返してみる。
静かな朝と騒がしい朝を繰り返す毎日。突然の思い付きで始まる理不尽な訓練。変な料理評価、くだらない会話。他にも色々と面倒なことが多かったけれど、嫌いではなかった。
「そっちは?」
「わたし?」
エアルは少しだけ視線を落とした。
「教会育ちなんだ」
「あー、なんかそれっぽい」
「ほんと?」
「歌とか綺麗だし」
「また言う……」
エアルが恥ずかしそうに肩を縮める。
けれど今度は、少し嬉しそうでもあった。
森のさざめきに合わせ、焚き火が揺れる。
ぐぅぅ……。
「…………」
静寂。
エアルは固まっている。ゆっくりと頭を下げて、お腹辺りに目線を向けると、そんな彼女は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、バッと両手で隠していた。
「〜〜〜〜っ!!」
「腹減ってる?」
「ち、違っ……いや違わないけど……!」
わたわたと手を振り慌て始める姿に思わず笑った。
「なんか嫌いなものある?」
「え?」
「まだ食えるなら作るけど」
エアルはぱちぱちと瞬きをする。
「ないけど…。作れるの?」
「ん。まぁそこそこ」
「へぇ……」
少し興味深そうに頭を傾げるエアルを横目に、その場から立ち上がり荷物に近づいた。
どうするかな、と少し考える。簡単に作れて魔術の必要がない、手軽に食べられるメニューを適当に……。
「お、これでいいか」
袋から取り出したのは、小さな鉄板だった。
エアルが目を丸くする。
「持ってたんだ」
「旅ならこういうのいるかなって」
実際は師匠に押し付けられた。
焚き火の上へ鉄板を置き、荷物から干し肉とパンを取り出す。ついでに香草も。
「わ、手慣れてる」
「まぁ毎日やってたし」
手際よく干し肉を薄く切り、鉄板に並べていく。
じゅわ、と脂が跳ね、香ばしい匂いが広がる。
エアルのお腹が再び鳴った。
「……うぅ」
「ははっ」
「わ、笑わないでぇ……!」
涙目で抗議される。
でもなんだか、それすら心地良かった。
料理をしながら、レイはぼんやりと考える。
……明日どうするかな。
エアルは調査依頼だと言っていた。
魔物も増えているらしい。
適当に付き合うくらいなら問題ない。
ただ。
魔術は隠した方がいい事は分かってる。師匠にも散々『下で魔術を見せるな。面倒になる』と言われていた。
「……今の内に武器出しとくか」
「どうかした?」
「ん? いや独り言」
エアルは不思議そうにしながらも、それ以上は聞かなかった。やがて簡単な焼き肉サンドが完成する。
「はい」
「わぁ……!」
エアルの顔がぱっと明るくなった。
「美味しそう……!」
「熱いから気をつけろよ」
「うん!」
勢いよく齧り付く。
「おいしい〜〜〜っ!」
口元を脂まみれにしながらの満面の笑みだった。
レイは少しだけ目を丸くする。
思わずそれに釣られて、ふっと笑った。
「喜んでくれてよかったよ」
嬉しそうに食べるエアルを横目に、自分の分を頬張り小さく息を吐く。
……悪くない。そんな事を思う。
雨音はまだ続いている。
けれど、その夜は不思議なくらい静かだった。
やがて食事も終わり、会話も少しずつ減っていく。
焚き火の熱に当てられたのか、エアルは段々と眠そうになっていた。
「……ねむい?」
「だ、大丈夫……」
全然大丈夫そうじゃない。
船を漕ぎ始めている。
レイは少し笑った。
「寝とけって。見とくから」
「でも……」
「この森、庭みたいなもんだし」
少し迷うように視線を揺らした後、小さく頷いた。
「……じゃあ、少しだけ」
「ん」
エアルは荷物を枕代わりにしながら、あらかじめ整えておいた場所で横になる。
「おやすみなさい」
「おう。おやすみ」
安心したように目を閉じたエアルは、思ったより早く寝息を立て始めた。焚き火に薪を足しながら、その姿をぼんやり眺める。
……やっぱ綺麗だったよな。…歌。
歌っていた表情と声。あの瞬間。
小さく息を吐き、空を見上げる。木々の隙間から見える夜空は、雨雲でほとんど隠れていた。
その奥で。
離れた場所を彷徨く魔物の気配が、また一つ消える。
何事もなかったかの様に、焚き火へ視線を戻した。
雨はまだ、静かに降り続いていた。




