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鐘は鳴り止まない〜ただ一人、君の歌だけが綺麗だった〜  作者: 秘色ひすい
鐘の鳴る街

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第38話 異変の収束

 巨大な異形は谷底に崩れ落ちたまま動かない。

 巻き上がった土煙がゆっくりと流れていく。


 熊、狼、猪の頭は完全に沈黙し、全身を走っていた赤黒い血管も色を失っている。首元に埋まっていた結晶は砕け散り、鈍い破片となって肉の中へ埋もれていた。


 ーーやっと終わった…


 理解した途端、今まで無理やり押さえ込んでいた疲労が一気に押し寄せてくる。


「……はぁ……っ」


 呼吸は重く、額から流れた血が頬を伝う。


 立ち上がろうとして下半身に力を込めるが、身体は思うように動かず、視界が大きく揺れた。


「っ……!!」


 思わず片膝を着く。


 見渡すと遥か後方では、爆発によって吹き飛んだ槍が地面に刺さっていた。


 残り僅かな魔力を流す。


 黒い槍は死骸の隙間を擦りながら地面を滑るように、転がった骨を弾き飛ばして手元へと戻って来る。柄を掴み、そのまま地面に突き立てた。


 ーーようやく立てる


 杖代わりに体重を預けながら立ち上がり、改めて異形に目を向ける。


 近くで見ると、死んだ後の方が不気味だった。


 肩口から生えていた狼の頭は力なく垂れ下がり、反対側の猪も肉の繋ぎ目から崩れ始めている。背中を這っていた蛇は既に動かず、肥大化していた猿腕も萎むように縮んでいた。


 裂けた肉の奥からは異なる骨格が覗き、無理やり繋ぎ合わされていた痕跡が露わになっていた。狼も猪も蛇も形は残っているのに、それらを一つに縫い留めていた何かだけが失われていく。


「……気持ち悪ぃな」


 呟きながら周囲に視線を巡らせる。


 谷底には魔物の亡骸が折り重なるように散乱していた。異形も、それに喰われた魔物達も、そのまま死の静寂に沈んでいる。


 だが、その光景の中で一つだけ違和感があった。


 無数の赤黒い結晶だ。


 戦闘前まで森を満たしていた嫌な圧迫感が消え、渦巻いていた魔力の流れを感じない。息苦しさも、肌に張り付くような不快感も無い。


「……あ?」


 足元の欠片を拾い上げる。

 赤黒い結晶は手の中で鈍く光るだけだった。


 意識を向けても返って来るものは何も無い。ただの抜け殻ような感覚で、先程まで確かに存在していた脈動も消えていた。


 視線は自然と異形へと戻る。


 首元に埋まっていた核は、砕けた今も肉の奥に破片を残していた。結晶と似ているがどこか違う。


 谷を満たしていた異様な気配が消えた今も、あの存在感は妙に頭の中で引っ掛かっていた。


 すると、遠くから魔物の断末魔が響いてくる。

 続く風の唸りと金属音。

 誰かの叫び声。


「――っ!」


 反射的に顔を上げる。

 まだ終わっていない。エアル達は今も戦っている。

 槍を握り直し、一歩踏み出そうとした瞬間だった。


「大丈夫!?」


 聞き慣れた声が谷底へ響く。

 見上げると斜面を駆け下りて来る人影が見えた。


 先頭はエアル。その後ろにエルティナとグロウ。

 少し遅れてトマスとジェイミー。


 全員生きている。

 誰一人欠けていない。


 思わず目を見開き、それから長く息を吐いた。

 駆け下りて来たエアルは姿を見るなり速度を上げる。


「……無事だったんだな」


 張り詰めていたものが少しだけ緩む。


「キミこそ大丈夫!?」

「見ての通り」

「全然そうは見えないけど……手当てするね?」


 そう言いながらも、ようやく安堵したように息を吐く。その後ろではエルティナ達も足を止め、自然と谷底に横たわる異形へ目を向けていた。


「……何だよ、これ」


 途中で起こした爆発から嫌な予感はしていただろう。


 だが実際に目の前に現れた異形は、その予想を遥かに超えている。崩れ始めているからこそ、異なる魔物を継ぎ接ぎしたような痕跡が生々しく感じられて、近くで見るほど不気味さが増していた。


「想像してたより何倍も酷ぇ」

「予想以上だな」

「それで、どうやって倒したんだ?」


 レイは異形の首元へ目を向ける。


「あれ。あそこに埋まってた核みたいな結晶を壊した。正体は分かんねぇけど、砕いたら止まった」


 皆の視線も追い掛ける。

 肉の奥には砕けた破片は今も埋もれたまま。


 軽い治療魔法を施しながらエアルが頷く。


「それで途中から変わったのかな。変異した魔物の再生が止まって、他の魔物も目に見えて弱くなってた。さっきまで苦戦してたのが嘘みたいだったよ」


「僕達でも押し切れました」


 向こうも似たような状況だったらしい。

 視線を再び首元の破片に戻す。


 谷に散らばる赤黒い結晶からも、あの嫌な気配は消えていた。やはり何か関係があるのかもしれない。


「何か関係あるのかな」

「どうなんだろうな。でも多分、全部あれを壊した後に変化したっぽいよな」


 確証は無い。

 それでも全員が同じ可能性を考えていた。


 風が谷を吹き抜ける。


「レイ、他人事みたいに言ってないか?」


 ようやく口を開いたエルティナが額を押さえる。


「そうか?」


 エルティナは数秒考え、


「……まぁ、今はいいか」


 深く息を吐かれる。


「生きてるんだから、それでいい」

「本当ですよ。爆発音が聞こえた時は死んだのかと…」


 無言で何度も頷くグロウを見て、肩を竦める。


「俺も何度かそう思ったけどな」


 返って来たのは呆れたような視線だった。


 だがその顔には、先程までの張り詰めた空気はもう残っていなかった。


         ◇


 少し落ち着いた後、改めて谷底を調べる。


 戦闘中は気付く余裕も無かったが、異形が倒れた今となっては周囲の変化は明らかだった。


 グロウが足元に転がる赤黒い結晶を拾い上げる。


「……何か変わったな」


 手のひらの上で転がされた結晶は以前と変わらない色をしていて、森で見つけた時のような不気味さは感じない。


 エルティナも近くの欠片を拾い上げた。


「確かに。ただの石みたいだね」


 レイも一つ手に取る。


 再び意識を向けても、あの魔力の流れは感じられなかった。森中に伸びていた繋がりも、谷を満たしていた圧迫感もやっぱり消えている。


「どうだ?」


 トマスに問われる。


「切れてる」


 結晶を見つめたまま答えた。


「前は全部、繋がりがあった感じがしたんだよな。それが今は何も無い」


 谷底を見渡す。


 積み重なる死骸も、散らばる結晶も何も変わっていない。それなのに先程まで感じていた異様さだけが綺麗に消えていた。


「俺達には分かんねえけど、これで終わったのかもな」


 ジェイミーが小さく呟く。


 やがて視線は自然と異形の死骸へ向かう。

 崩れた首元。その肉の奥には、砕けた核だったものが今も埋もれていた。


 破片を見比べると、周囲に散らばる結晶と色は似ている。だが手に伝わる感覚は明らかに違った。


「やっぱり、同じじゃないな」


 隣でエアルも頷く。


「うん。似てるけど別物だね」


 既に脈動は失われている。

 だが、他の結晶には無い妙な存在感がある。


 その後、異形の角や牙、爪に加えて砕けた核の破片と周囲の結晶を少し回収し、それ以上の探索を切り上げた。


 日も傾き始めている。


 谷には未だ大量の死骸と結晶が残されていたが、全てを持ち帰る事など不可能だった。


         ◇


 安全な場所に野営地を確保した頃には空もすっかり暗くなっていた。焚火の周囲には見慣れた顔が揃っている。


 エルティナは木にもたれ、ジェイミーは地面へ寝転がり、グロウは火を見つめている。トマスも黙ったまま薪を弄っていた。誰も大きな怪我はしていない。疲労は濃いが、それでも全員がここにいる。


「……結局、何だったんだろうね」


 焚火を見つめながらエルティナが呟く。

 レイは腰の袋から核の破片を取り出し、光に翳した。


「まだ何か分かる?」


 隣から覗き込むエアルに首を振る。


「いや。分からねぇ」


 谷で見た異形も、この核も、正体は何一つ分からないままだ。考えても答えは出ない。


 袋に手を置くと、エルティナが肩を竦めた。


「取り敢えずは帰って報告だね。考えるのは偉い人達の仕事でしょ」


「投げたな」「投げた」「投げるなよ」


 グロウが吹き出し、エアルも苦笑する。


 張り詰めていた空気が少しだけ緩み、焚火の周囲に小さな笑いが広がった。


 やがて会話も途切れる。


 静かな夜だった。


 森は以前と変わらぬ闇に包まれ、遠くから聞こえる魔物の遠吠えも、今はどこか聞き慣れたものに思える。


 異変は終わった。それだけは確かだ。


 揺れる焚火の向こうへ視線を向ける。

 谷底で見たあの光景は、頭から離れそうになかった。

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