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鐘は鳴り止まない〜ただ一人、君の歌だけが綺麗だった〜  作者: 秘色ひすい
鐘の鳴る街

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第34話 異変の痕跡

 朝の支度は手早く終わった。


 荷を纏め、火の始末を済ませる。冷たい空気の中、一行は再び森の奥へ向かって歩き始めた。


 異変の中心に近付いている。その認識だけは全員が共有しており、警戒は緩めない。


 木々の間を縫うように進む。鳥の羽音や小動物の気配はあるが、魔物の気配だけが妙に少なかった。


 しばらく進んだ頃、先頭付近を歩いていたトマスが足を止める。木の根元に横たわっていたのは、胸から腹にかけて大きく裂かれた猿型の魔物だった。周囲の土も荒れ、まだ乾ききっていない血が残っている。


「暗闇猿か、新しいな。」

「昨日辺りか」

「そんな所だろうな」


 傷口を確認したジェイミーがトマスの問いに短く答え、一行は再び歩き出した。


 だが、それで終わりではなかった。


 進んだ先では群れで行動するはずの藪蛇が数十匹まとめて死んでいた。頭部や胴体は千切れ、地面には引き摺られた跡が残っている。その先でも別の魔物の亡骸が転がっていて、魔物は少ないのに死骸ばかりが目についた。


「藪蛇もこんなにーー」

「……ん?」


 ジェイミーの言葉を遮るように、グロウが足を止め何かに気が付く。


 近くにある暗闇猿の死骸の傍らには、赤黒い石が転がっていた。手のひらほどの大きさで、薄く透けている。


「こんなのありましたか?」


 ジェイミーは受け取った結晶を光に透かし、重さを確かめるように指先で転がした。


「いや、知らねぇな」

「魔石では無いですよね?」

「あぁ。初めて見るな」


 結局正体は分からず、結晶は採取袋に仕舞われる。


 その後も死骸の近くで同じ結晶が時折見つかった。まだ数は多くない。それでも森の奥へ進むにつれ、一行の視線に引っ掛かる回数は少しずつ増えていた。


         ◇


 しばらく進んだ頃、ジェイミーが足を止めた。

 木々の隙間から白い毛並みが見える。


 近付くと大型の狼が横たわっていた。銀色の毛皮は血に濡れ、首元には深く抉られた傷が残っている。


「……これは……月狼、か?」


 トマスが低く呟き、狼に駆け寄る。


 側にいたエルティナは首を傾げたが、前にいる二人は死骸から目を離さない。


「月狼ってそんなに珍しいのか?」グロウが尋ねる。

「珍しいなんてもんじゃねぇ」


 ジェイミーは傷口に視線を落としたまま答えた。


「滅多に人前に姿見せねぇし、群れの頭張るような奴だ」

「少なくとも、この辺の魔物にやられるような相手じゃねぇな」


 トマスも低く続ける。


 周囲の地面は大きく抉れ、何本もの木が倒れていた。激しく暴れた痕跡だけが広がり、その近くには例の赤黒い石も幾つか転がっている。


 一行はその場を後にし進み続けた。

 やがて視界の先に巨大な影が見える。


 横たわっていたのは黒爪熊だった。倒木にもたれかかる巨体は以前見かけたものより一回り以上大きく、胸元には大きく裂けた傷が走っている。


「でけぇな……」グロウが思わず声を漏らした。


 折れた木々は幾重にも重なり、周囲の地面も深く抉れている。その傍らには例の石が無数に転がり、吐き出されたように辺りに散っていた。


 足元へ視線を落とす。

 黒爪熊の周囲だけではない。


 落ち葉の間。

 倒木の陰。

 木の根元。


 同じ色をした欠片が森の奥へ向かって続いている。


 その時だった。


 違和感を覚えたのは石そのものではなく、そこに残っていた魔力だった。


 感覚を集中させると、微かな流れが欠片同士を結ぶように深部へ伸びている。一本ではない。幾つもの流れが絡み合いながら同じ方向へ集まり、その先は木々に遮られて見えなかった。


 目を細めていると、隣でエアルも同じ先を見ている事に気付く。


「何か分かったの?」

「多分な」


 短く答え、森の奥へ視線を向けた。


「多分だけど、こっちで間違いない」


 そう告げて歩き出す。

 他の者達も異論は挟まなかった。


 ここまで続いてきた痕跡も、魔力の流れも、その先へ向かっているように思えたからだ。


         ◇


 やはり痕跡はそこで終わらなかった。


 森の深部に進むほど異変の跡は濃くなり、折れた枝や抉れた地面も目立つようになっていく。魔猪の頭部が転がり、藪蛇の胴体が木々の間に引っ掛かり、暗闇猿の腕が折れた枝に絡まっていた。どれも古くはない。先程まで争っていたような跡が、そのまま森に残されている。


 先頭を歩くレイは足を止めない。


 黒爪熊の近くで見つけた魔力の流れもまた、その後途切れる事なく続いていた。落ち葉の下から覗く欠片、木の根元に半ば埋もれた破片、踏み荒らされた地面へ転がる赤黒い残骸。その一つ一つを結ぶように微かな魔力が流れ、森の深部へと伸びている。


「まだ続いてる?」


 隣を歩くエアルが小さく尋ねた。


「あぁ」視線を前へ向けたまま答える。


「むしろ濃くなってる」


 後ろを歩いていたトマスとジェイミーもその言葉に顔を上げたが、詳しく聞き返す者はいなかった。


 ここまで来れば誰の目にも異常だった。

 魔物はほとんど姿を見せない。

 その代わりに残された痕跡だけが増え続けている。


 不意に前方の木々が途切れると、視界が開く。

 反射的に足を止めた。

 その変化は後ろの一行にも伝わったのか、恐る恐る覗き込んで来る。


 谷だった。


 森を大きく抉るように広がる窪地。その底には無数の魔物が折り重なるように転がり、熊や猪、猿、蛇だけでなく見覚えのない種まで混じっている。白く剥き出しになった骨、引き裂かれた毛皮、まだ肉の残る死骸が谷一面に広がり、獣臭と腐臭が重く淀んだ空気となって辺りを覆っていた。


「なんですか……これ……」


 グロウの声が掠れる。

 誰も答えられなかった。


 谷の底にはここまで追ってきた欠片が無数に散らばり、死骸の隙間や岩陰、砕けた骨の間にまで入り込んでいる。そして森中に広がっていた魔力の流れもまた、その全てが谷の最奥へ向かって収束していた。


 崩れた岩壁の近くにあった黒い塊も、レイを除き、最初は皆が岩だと思った。


 だが突然、付近の土が崩れ、枝が折れる。塊が僅かに動き周囲の地面が震えた瞬間、それが生きている事を理解する。


 全員の視線が集まる中、黒い塊はゆっくり身を起こす。


 最初に見えたのは巨大な角だった。鹿のようでいて歪に捻れ、その下から現れたのは熊の頭。だが首元では別の頭が蠢いている。狼。そして反対側には猪。無理やり繋ぎ合わせたような異形の姿だった。


 ジェイミーの呼吸が止まる。

 トマスも動かない。


 金具が小さく鳴り、気付けばエルティナの手は剣の柄に掛かり、グロウも槍を握り直している。


 エアルも谷の最奥から目を離さない。


 以前遭遇した異形と同じ気配。

 だが大きさが違う。

 比較にならないほど巨大だった。


 持ち上がった両腕も左右で形が異なり、片方は異様に肥大化し、もう片方は猿のように長い指を持っている。背中では蛇の胴体が幾重にも絡まり、その周囲では赤黒い光が脈打つように明滅していた。


 さらに目を凝らせば、それだけではなかった。


 死骸の山の向こうでは二つの頭を持つ狼が跳ね、別の場所では四本の腕を持つ猿が枝を渡っている。谷のあちこちに異形の魔物が潜み、その全てが谷の上へと視線を向けていた。


 こちらを。


 風が止まり、狼の低い唸り声と枝を軋ませる音だけが静かに谷底に広がる。


 張り詰めた空気の中、最奥の巨体がさらにゆっくりと頭を持ち上げた。


 肥大化した右目が開く。


 その視線が一行を捉えた瞬間、

 谷の底で赤黒い光がドクン、と脈打った。

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