第33話 森の静けさ
朝の街を抜け、ゆっくりと森に続く街道を進む。
二区へ向かう隊列は他の区域に向かう冒険者達とは既に別れていた。
隊列の先頭ではヴァン達が進み、その後ろに一層担当の冒険者達が続く。自分達はその列の最後尾付近だった。
冒険者達が背負っている荷物は普段よりも大きく、簡易テントや予備の食料まで積まれている。街から近いとはいえ、数日単位で持ち場を守るつもりなのだろう。
街道では荷馬車が脇に寄り、商人や旅人達が何事かとこちらを振り返っていた。
昨日の騒ぎはともかく、この大所帯での移動だ。噂は既に街へ広まっているだろうが、理由を知らない者も多い。外から街に来る人にとっては尚更だろう。
普段より多い冒険者達の姿に、ただならぬ空気くらいは感じ取っているのかもしれなかった。
やがて街並みが遠ざかる。
石畳は土の道に変わり、左右を囲む木々も徐々に増え、森が近付くにつれて隊列は自然と細長く伸びていく。
昨日の騒ぎが嘘のような穏やかな空だった。
浅層に入ると土の匂いが濃くなる。
風が枝を揺らし、葉擦れの音が頭上を流れていく。
暫く進んだ頃だった。
索敵に出ていた冒険者達が戻ってくる。
「終わったぞ」
「二匹だけだ」
報告を残して再び前へ向かう。
「それだけか…」
「いつもより少ねぇな」
近くからそんな声が聞こえる。
昨日の報告を聞いたばかりだ。
誰も安心した顔はしていない。
普段なら目にする気配も見当たらず、下草を揺らすものは風だけだった。
隊列は止まらない。
露払いに向かった者が戻り、別の者が前へ出る。
そんな流れを繰り返しながら進んでいく。
だが大きな戦闘になる事は一度も無かった。
隣ではエアルも周囲を見ていた。
言葉は無い。
それでも歩調は自然と揃っている。
やがて一層へ入る。
怪我人は無し。
その後も魔物との遭遇は僅かだった。
先頭の動きが止まり、その変化が後方まで伝わると冒険者達が次々に足を止めた。
しばらくしてヴァンがこちらへ歩いてくる。
「坊主」と、短く呼ばれる。
「ここから先だな」
「あぁ」
「任せた」
トッ、と音が鳴る。
ヴァンが拳を握りレイの胸を軽く叩いた。
それだけだったが、しっかりと伝わる。
やがて冒険者達がそれぞれの持ち場に散り始める。
森の中へ消えていく者。
周辺警戒へ向かう者。
荷を下ろして拠点作りを始める者。
少し前まで一つだった集団がそれぞれの役割ごとに分かれていく。
振り返ると、長く伸びていた隊列はもう見えない。
「行くぞ」
短く声を掛け、再び森の奥に向かって歩き始めた。
◇
一層を越えても状況は大きく変わらなかった。
時折魔物とは遭遇する。
だが露払いに出ている冒険者達が先に片付けてしまう程度で、本隊が足を止める場面はほとんど無い。
「こんなもんだったか?」
エルティナが周囲を見回しながら呟く。
「いや」
後方から返ってきたのはトマスだった。
木々の隙間へ目を向けながら首を振る。
「前に来た時は、この辺りはもう少し騒がしかった」
「群れを見てもおかしくねぇ場所だな」
ジェイミーも続く。
二人とも長くこの森に潜ってきた。
近くを歩いていた冒険者も周囲に視線を向ける。
風が枝葉を揺らしている。
だが茂みの奥に動く影は見当たらない。
やがて二層との境界に辿り着く。
木々の密度が増し、森の空気も少し変わった。
配置予定の冒険者達が足を止め、その中から日に焼けた歴戦の雰囲気を持つ男が前に出る。
「ワシらはここまでだな」
使い込まれた鎧の上から周囲へ視線を巡らせる。
「この先で何かあっても戻って来るといい。必ずワシらがおる」
「分かった」
男は頷くと仲間達に声を飛ばす。直ぐに荷を降ろす音が響き、二人一組になった冒険者達が警戒を始めていた。
本隊はその横を抜け、更に奥へ進んだ。
人数が減り、前後の足音も少し寂しくなった。
「……お、あるな」
不意にジェイミーが立ち止まる。
視線の先では木の幹が深く削れていた。
トマスも別の木へ近付く。
「こっちにもあった」
抉れた樹皮。
荒れた地面。
踏み折られた枝。
「昨日のですか?」グロウが尋ね、
「多分な」ジェイミーが頷く。
「逃げてる時は見る余裕なんて無かったが、今見ると結構派手に暴れてる」
エルティナも辺りを見回した。
「言われてみれば、そうだな」
進むにつれて痕跡は増えていった。
折れた枝や削れた幹が目につくようになり、三層との境界に辿り着く頃には探すまでもなくなっていた。
空は少しずつ赤みを帯び始めている。
境界付近の野営跡では既に配置組が動いていた。
荷を降ろす者。
見張りに向かう者。
周囲を確認する者。
縄を張る音や金具の触れ合う音が時折聞こえる。
その中心に立つ男がこちらへ振り返った。
「来たか」
短く刈り込んだ髪。
使い込まれた革鎧。
三層配置組を任された男、ドルトだった。
本隊を一通り見回した後、森に目を向ける。
「静か過ぎるな」
「やっぱりそう思うのか」
「前はもっと居た」
ドルトは背後の様子を一瞥する。
配置組は既に持ち場へと散り始めていた。
「ベイルさんから話は聞いてる」
不意にそう言った。
「お前らが先に行くのもな」
視線が一瞬だけこちらへ向く。
「俺達はここを守る」
それだけ告げる。
「何かあれば戻って来い」
「…分かった。後は頼んだ」
小さく頷き返す。
それ以上言葉は続かなかった。
本隊は再び奥へ向かう。
歩き始めると、人の声は次第に遠ざかっていった。
配置組の姿も木々に隠れて消えていく。
残るのは足元を踏む音だけだった。
◇
三層へ入ってからも、しばらくは進み続けた。
木々の隙間から差し込む光は少しずつ傾き、地面に長い影を落としている。
折れた木。
砕けた岩。
泥濘んだ地面。
昨日の痕跡は探すまでもなく目に入った。
「……ここら辺だな」
ジェイミーが足を止めた。
トマスも周囲を見回しながら頷く。
「あぁ」
エルティナも木々の位置や地形に視線を巡らせた。
「戻って来るとは思わなかったな」
「俺もだ」
トマスが肩を竦める。
「正直、生きて帰れるとは思ってなかった」
「それは今だから言える事だな」
ジェイミーが苦笑した。
あの時は振り返る余裕など無かった。
だからこそ、ここに立っている事が妙に不思議だった。
昨日の圧迫感は無い。
追って来る気配も無い。
それでも残された傷跡だけは消えていない。
先頭を歩いていたレイが足を止める。
少し先に開けた場所が見えていた。
以前、自分とエアルが野営した場所だった。
周囲を確認する。
魔物の気配は無い。
辺りはもう暗くなり始めている。
「今日はここまでだな」
異論は出なかった。
荷物が降ろされる。
薪を集める者。
周囲を見回る者。
水の残量を確かめる者。
野営の準備は手際よく進み、やがて焚火に火が入った。
赤い光が周囲を照らし始める頃には、森もすっかり暗くなっていた。
戦いの傷跡は辺り一面に残っている。
焚き火の向こうではエルティナ達も静かだった。
誰も大きな声を出さない。
時折、薪が爆ぜる音だけが響く。
明日になれば分かる。
そんな感覚だけが胸の奥に残っていた。
視線の先には傷跡が続いている。
森の深部。
まだ見えない場所へ。




