第32話 異変調査
翌朝、窓から差し込む光で目を覚ます。
昨夜は早く眠った筈なのに、疲労が残っていて怠い。
肩に落ちた黒髪を後ろでまとめながら支度を済ませる。
部屋を出ると既にエアルが支度を終えていた。
ブラウン色の髪が朝日に照らされ淡く輝いている。
目が合うと何も言わず小さく首を傾げた。
こちらも軽く手を上げて返す。
ただ、それだけ。
朝食を済ませ宿を出る頃には、街はすっかり朝の空気を迎えていた。パンを焼く香りが流れ、荷車が通りを軋ませながら進み、店先では開店の準備が始まっている。
昨日の騒ぎなど無かったかのような朝だった。
ギルドに近付くにつれて、人の数が増えていく。
冒険者、職員、露店主。見知った顔も多く、何人かはこちらに視線を向けたが、話しかけてくる者はいなかった。
ギルドに到着し扉を開くと受付から声が掛かる。
「あ、レイさん、エアルさん」
普段と変わらない優しい気な表情。
長い栗色の髪を後ろで纏めた受付嬢のセシルだった。
「ギルド長がお待ちです」予想していた言葉だった。
二人はそのまま奥の見慣れた廊下を進む。
案内された先は昨日と同じ部屋だった。
「失礼します」セシルが扉を開き、一礼して下がる。
部屋の中にはベイルだけではなかった。
窓際には腕を組んだローエン。
壁際には目を閉じたヴァン。
机の上には地図や報告書が並び、その上には聞き取りの記録らしい紙まで重ねられている。報告書の束は昨夜の慌ただしさをそのまま残しているようだった。
「来たか」ベイルが顔を上げ、
「おせぇぞ」ローエンがこちらに顎をしゃくった。
「座ってくれ」
二人が席に着く。
ベイルは手元の紙を一枚取り上げた。
「まずは結論から言おう」
静かな声だった。
「昨日の件。各区域の報告を踏まえて、編成を決定した」
机上の地図を指でなぞる。
「異常が確認されたのは二区。それも三層のみ」
つられて視線を落とす。
二区三層。
未帰還組と遭遇した区域だった。
森の奥で揺れていた木々。
押し潰されるような圧迫感。
記憶の底に残る光景が脳裏を過ぎる。
「他区域の報告も集まったが、特筆すべき異常はない」
「魔物が少なかったくれぇだな」
横からのローエンの言葉にベイルも頷いた。
「一区、三区ともに大きな異常は確認されていない。むしろ普段より遭遇数は少なかったそうだ」
もう一度地図を見る。
二区だけが浮いている。昨夜の光景を思い出せば、それが偶然とは思えなかった。
「現時点では原因も不明。だが、報告を無視出来る状況でもない」
指先が二区三層付近を叩く。
「ーーよって本日、異変調査依頼を発令した」
「それと同時に街への防衛線も敷く」
地図に視線を落としたまま続ける。
「一区は私が指揮を担当する」指先が北側を示した。
「二区はヴァン」「あぁ」
「三区はローエン」「任せとけ」
三人とも当然のような顔だった。
既に話は済んでいるのだろう。
「各区域に冒険者を配置し、一層から浅層までの警戒を強化する」
ベイルはそこで一度言葉を切った。
そしてこちらを見る。
「お前達には別任務だ」
指先が二区三層へ移動する。
「原因の調査。場合によっては四層、更に奥の深部まで進む事になるかもしれん」
「そのために、こちらで選抜した冒険者を預ける。一層、二層、三層と配置し防衛を固めながら進め」
「深部に向かうのは最小限で構わんのだろう?」
レイは頷く。想定していた形だった。
「それで、坊主たちは勝算があるのか?」
不意にヴァンが聞いてくる。
「わかんねぇ……けど、叩くなら今な気がする」
少し考え、正直な答えを伝える。
「へっ、そうかよ」
沈黙が訪れた部屋で、ローエンが鼻を鳴らした。
「情報がない以上は仕方ない」
ベイルも小さく息を吐く。否定はされなかった。
「そろそろ下の奴らに説明をする時間だな」
◇
広間には既に多くの冒険者が集まっていた。
上から見下ろすと普段より人が多い。
依頼に悩む者もいれば、壁に寄り掛かり何かを待っている者、様々な話が飛び交っている。
その喧騒はベイルが姿を見せると自然に静まった。
「よく集まってくれた、感謝する」
説明はそう長くなかった。
昨夜の異変。
未帰還組の救出。
異変調査依頼の発令。
区域ごとの配置と調査隊の編成。
必要な情報だけが簡潔に告げられていく。
「二区か……」「やっぱり昨日の件か」
「本隊は深部まで行くのかよ」「行けても一層だな」
小さな声が広がる。不安もあるだろう。
それでも列を離れる者はいなかった。
ベイルは最後に周囲を見渡した。
「以上だ。これらの依頼に参加する者は受付に」
「ーー質問が無ければ準備を始めろ」
喧騒が戻り、次々に冒険者達が動き始める。
レイ達も受付へ向かおうと階段を降りた時だった。
「待ってくれないか?」
近くから聞き覚えのある声が飛んでくる。
振り返るとそこにはエルティナ達が立っていた。
怪我の大半は治療されている。
包帯はまだ残っているし、本調子には見えない。
それでも足取りはしっかりしていた。
エルティナは真っ直ぐこちらを見る。
「話は聞いたよ」一歩前に出る。
「アタシ達も連れて行っちゃくれないか?」
レイの眉が寄った。
「あ? なんでだ?」
エルティナは肩を竦める。
「アンタらが命張って助けてくれたからさ」
「あれはそんなんじゃねぇってーー」
「ーー恩人なんだよ、命の」
迷いのない声に、言葉が詰まる。
「少しでも返させちゃくれねぇか?」
「自分の身くらいは守れるし、最悪見捨てるなり盾にするなりしてくれていい」
「だから何でそうなってるんだよ!」
思わず声が大きくなる。
だがエルティナは真剣だった。
「勝手に決めた訳じゃない」親指で後ろを示す。
「コイツらとも話はしてある」
グロウが一歩前へ出る。
「はい」
少し緊張した声だった。
「僕達にも少しは手伝わせて下さい」
「それに……ヴァンさんならきっと”借りは返せる時に返しとけ”って言うと思うので…」
「トマスさんとジェイミーさんに笑われましたけどね」
そう言って苦笑する後ろで、外套を羽織った二人の男も顔を見合わせた。
片方がフードを外す。
「人手は多い方が良いだろ」
「俺達も現場を見てる」
もう一人も頷く。
「何もしないまま待ってる方が性に合わねぇ」
「あの時はみっともない姿を見せたからな!」
「いや、だから――」レイが言い掛けたところで、
「別にいいんじゃねぇか?」横から声が落ちた。
ローエンだった。
二階から身体を揺らしながら近付いて来る。
「どうせ止めても行くだろ」エルティナ達を見る。
「その顔はよぉ」
「……まぁ、着いて行くつもりではあります」
エルティナが苦笑する。
「だろうな」ローエンは鼻で笑った。
その横ではベイルが小さく考え込んでいる。
やがて視線を上げた。
「体調はどうなんだ?」
「昨日よりはマシだよ…です」
「魔法は?」
表情が少し曇る。
「まだ少し変ですが、使えない訳じゃないです」
「僕も同じです」グロウが続く。
「本調子じゃないですけど、戦えない程じゃありません」
ベイルは全員を見渡した。
無理をしているのは分かる。
それでも昨夜より遥かに状態は良い。
何より本人達に退く気が無かった。
しばらく沈黙が続く。
やがて諦めた様に小さく息を吐いた。
「…分かった」
エルティナ達の顔が上がる。
「同行を許可する」
「ありがとうございます!」
「ーーただし、無茶はするな」
ベイルの声が重なる。
「依頼内容はあくまでも調査だ」静かな声だった。
「討伐ではない」誰も口を挟めない。
「誰一人として欠ける事は許さん」
レイとエアル。エルティナ達。
そして集まった冒険者達にも。
順番に視線が向けられる。
「任せたぞ」短い言葉を伝え外に出て行く。
続けてローエンも去り際に、
「ヤバいと思ったら尻尾振ってでも逃げろ」
と言いながら、大きな手をこちらの肩に乗せる。
「後は何とかしてやらぁ」
いつも通りの顔にレイは苦笑する。
「なんか……頼もしいな」
「ガキを守んのはオトナの役目だからな!」
「じゃあ、アンタが戦ってくれよ」
「ガキを突き放すのもオトナの役目だ!!」
そう言い残し豪快な笑い声を上げて出て行った。
◇
準備は思ったより早く終わった。
緊急招集に近いが、大掛かりな遠征でもない。
武器を確認し、荷物を整え、各隊が配置に向かう。
広間も少しずつ空き始めていた。
「坊主」
そう呼ぶのはヴァンだった。
既にレイ達も二区担当の隊列に加わっている。
「悪ぃな。本当なら俺達も行ってやりてぇんだが」
肩を竦める。
「人手が足りねぇし、準備も足りねぇ」
「あぁ、知ってる」
「ま、無理すんなよ」
その後ろでは軽薄そうな男が気楽そうに手を振り、隣にいる長身の女性は腕を組んだまま、つまらなそうに立っていた。
「嬢ちゃんもな」
ヴァンの視線がエアルへ向く。
エアルは小さく会釈した。
ヴァンの後ろにいたリアがぴょこんっ、と顔を覗かせ、
「二人共、またね」
それだけ言い放つと、ヴァンを追い掛けるように他のパーティメンバーの元へと帰っていった。
しばらくすると隊列が動き始める。
ヴァン達は既に先頭に着いているだろう。
こちらは途中まで後方部隊なので暇だ。
受付に視線を向けると、エルマが手を招いていた。
「アンタも嬢ちゃんも無茶はするんじゃないよ」
呆れたような声だったが目は優しかった。
隣ではセシルも頷く。
「怪我をしないように気を付けてくださいね」
レイは軽く手を上げた。
「努力する」
「必ず、してくださいね?また待ってますから」
張り詰めていた空気が僅かに和らいだ気がする。
やがて外から出発の声が聞こえる。
時間だった。
列が進み、レイはギルドの外へ出る。
朝の光が街を照らしていた。
既に一区、二区、三区へ向かう冒険者達がそれぞれ動き始めている。持ち場に向かい、異変に備えて散っていく。
その姿をしばらく見送る。
次に近くに視線を向ける。
エルティナは防具を新調したのか別の物を着けている。腰には大小の剣が一本ずつ。短い赤髪を後ろでまとめている所に目が合う。
そのすぐ後ろでは撤退時には持っていなかった槍を背負い、グロウもこちらを見ていた。
トマスとジェイミーは変わらず外套に身を包み、お互いに連携について話しているようだ。
同行する者達が並んでいた。
誰も不安が無い訳ではない。
それでも前を向いている。
最後に隣を見る。
ーーエアルがいた。
髪が風に揺れ、朝日に透けている。
視線が合う。何も言わない。
ただ小さく頷いた。
前を向く。
森の方角。
まだ見えないその奥。
昨日の夜から続く違和感が、今も胸の奥に残っていた。
「行くか」
誰に向けた言葉でもない。
そして全員が歩き出す。
異変の中心へ向かってーー。




