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鐘は鳴り止まない〜ただ一人、君の歌だけが綺麗だった〜  作者: 秘色ひすい
鐘の鳴る街

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第28話 深層前夜

 翌朝のギルドは、まだ朝靄の残る時間だというのに既に人の出入りが絶えなかった。


 ギルド前にも既に何組もの冒険者が集まっていた。

 夜明け帰りらしい冒険者達が泥の付いた外套を脱ぎ、靴を壁際に寄せながら水差しを回している。


 徹夜明けらしい職員が入口脇で木箱を抱え直したところへ、別の男が書類を確認しているのまで見えた。


「朝から大変そうだな」

「最近ずっとこんな感じみたい」


 隣を歩くエアルも入口からギルドの中を見渡す。


 剣帯を締め直す者。

 水袋を振って残量を確かめる者。

 階段へ腰掛けたまま眠そうに欠伸をしている者。


 昨日より人は多い。

 けれど騒がしいというより、落ち着かない空気だった。

 奥からは誰かを呼ぶ声が断続的に聞こえてくる。


「二区二層、西側確認組!」

「記録帳先に回して!」

「未帰還組の更新まだか!?」


 先程更新されたであろう依頼書を抱えた職員が足早に通り過ぎ、次々と依頼書を整理していく。


 更新されたかと思えば、依頼書の前には既に人だかりが出来ている。浅層側は動きが早く、張られてすぐ剥がされるものも多いらしい。受付横では新人らしい冒険者達が報酬表を見比べながら揉めていた。


「これ昨日より安くないか?」

「採取量減ったからじゃねぇ?」


 そんな声を横目に奥へ進む。

 深層側の掲示板は逆に静かだった。


 人が居ない訳ではない。

 ただ、受けるかどうか迷い立ち止まる者が多い。


 地図を睨んだまま動かない男。

 仲間同士で小さく相談している組。

 依頼書を取ろうとして、一度手を止める冒険者。


 残っている依頼書の枚数そのものより、その迷い方の方が目についた。


「昨日より空気が悪くなってないかな?」

「昨日聞いたけど、また未帰還が増えたんだろ」


 二区三層周辺探索。

 深層巡回補助。

 長期確認依頼。


 似た依頼が並ぶ中に、追加報酬の紙だけが増えている。


 その横では職員が地図に新しい印を書き込んでいて、机の端には乾ききっていないインク壺が倒れかけたまま放置されている。


「お、来たか」


 奥側から声が飛んできた。


 ヴァンだった。


 昨日より装備が重い。


 背には長槍、腰には剣と短剣。盾まで背負っているせいで椅子へ浅く腰掛ける形になっていた。


「今日は三層行くのか?」

「そのつもり」

「……まぁ、止めても行くか」


 机へ広げられているのは二区周辺の地図だった。炭で書き込まれた線が何本も重なり、端には時刻らしい数字まで並んでいる。


 その向かいではリアが記録帳を捲っていた。


 長い金髪は片側だけ軽く結ばれているが、途中で諦めたらしく毛先がかなり崩れている。机の横には飲み掛けの黒い茶が置かれたままで、冷えているのか湯気も出ていなかった。


「寝てないのか?」

「寝た」

「目が死んでるぞ」

「二時間」


 紙から目を離さないまま返してくる。

「昨日から報告書ばっかりでな」と横からヴァンの声。


「手伝ってんのか?」

「人足りない」


 短く返しながらも手は止まらない。

 記録帳の端には二区三層の文字が何度も書かれていた。

 ヴァンは地図の上で腕を乗せたまま、小さく息を吐く。


「未帰還組の中にな、前に教えた奴らが居る」


 炭線の一つを指先で叩いた。


「追加で入った二人だ。無茶するタイプじゃねぇ」


「連絡ねぇのか?」

「少し前からな」


 その間にも周囲では装備確認の音が続いている。


 革紐を締め直す音。

 矢を束ねる音。

 刃先を布で拭う音。


 深層へ向かう連中は、準備に時間を掛けていた。


「オレらも探しには入る。お前らも気にしてやってくれ」

「見つけたら連れて帰る」

「生きてりゃ、それでいい」


 ヴァンはそう言って立ち上がった。

 誰かに呼ばれた訳ではない。


 受付奥を見た瞬間、職員達の空気が変わったのを察したらしい。机に置いていた手袋を掴み、そのまま残りのパーティメンバーを呼びに行くのだろうーー歩き出した。


 その姿を見たリアは、記録帳を閉じながら小さく欠伸を漏らして後を追う。


「そんなんで大丈夫か?」

「多分」

「休めないな」

「今は無理」


           ◇


 ギルドを出る頃には、朝の光もかなり高くなっていた。


 門前近くの屋台では串焼き、焼き立ての黒パンが積まれ、出発前らしい冒険者達が立ったまま簡単に朝食を済ませている。


「保存食は大丈夫?」

「少し増やすか」


 干し肉。

 乾燥果実。

 硬い黒パン。

 香草を混ぜた簡易スープ袋。


 店主は包みを作りながら「最近は二区の戻りが遅いな」とだけ呟いた。


「深層絡みか?」

「詳しくは知らん。ただ、夜跨ぎが増えてる」


 包みを受け取ると、門前では既に数組が出発していた。


 背負い袋へ縄を括り付ける者。

 靴紐を締め直す者。

 地図を見ながら最後の確認をしている者。


 浅層へ向かう組は軽い。


 だが三層以降へ入る連中だけ、荷物の量が明らかに違っていた。


「キミ、やっぱり野営慣れしてるよね ……相変わらず荷物少ないけど」

「まぁ、森でずっと暮らしてたからな」

「関係あるのかなぁ?……最初は全然眠れなかったんだ」


 歩みを止める事なく、エアルが苦笑しながら言う。


「葉っぱ揺れる音だけで起きてた」

「慣れないとそんなもんだろ」

「あと夜の森って思ったより暗くて怖いし」


 西門を抜ける。


 街の喧騒は少しずつ背後へ遠ざかり、代わりに風で擦れる草の音が耳に残り始めた。


 二区までの道は何度も歩いている。


 浅層付近では採取帰りらしい集団ともすれ違った。籠いっぱいに薬草を詰めた女達が歩きながら売値の話をしている横を、小型魔物を荷車へ積んだ男達が追い越していく。


「今日は少ないね」

「帰りが早いだけかもな」


 だが、奥へ進むにつれて人影は減っていった。


           ◇


 昼を過ぎる頃には最後の採取組と別れてからかなり時間が経っている。風で揺れる枝葉の音ばかりが続き、前を歩くエアルも水袋の紐を結び直しながら、


「この辺から空気変わるんだよね」


 と小さく呟いた。


 二層に入ってからは、さらに妙だった。

 魔物の痕跡自体は残っている。


 掘り返された地面。

 木肌に残る爪痕。

 折れた低木。


 確かに居た形跡だけは至る所で見かけるのに、不自然なくらいに遭遇しない。


「……静かだな」

「報告通りかも」


 エアルも周囲を見回している。

 途中、浅い沢で一度足を止めた。


 水を汲み直しながら耳を澄ませても、聞こえるのは流れる水音ばかりで、いつもなら寄って来る小型魔物の気配まで無い。


「縄張り変わったか?」

「逃げてる感じにも近い気がする」


 森の奥から抜けてくる風が、今日は妙に冷たく感じた。


 そのまま進み続け、陽が傾き始める頃。

 ようやく二区三層との境界付近へ辿り着く。


 ここまで来ると木々の高さそのものが変わり始める。枝葉が空を覆い、昼だというのに森の奥は薄暗い。辺りを見渡すと、以前使われたらしい野営跡が残っていた。


 崩れた焚火跡。

 切り株。

 縄を張っていた痕。


「今日はここまでだな」

「これ以上進むと夜になるね」


 荷物を下ろしながら周囲を見る。


 森は静かだった。


 風も弱い。


 遠くで鳥が一度鳴き、また何も聞こえなくなる。

 三層に続く森だけが、夕方の影の中で深く沈んで見えた。

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