第27話 昼下がりの茶会
教会から中央区へと続く石畳は、西区に向かうよりも歩く速度がゆっくりに感じた。
通り沿いには花を吊るした店や白壁の建物が並び、窓際では楽器を爪弾く音まで聞こえてくる。荷車の軋みや怒鳴り声が混ざり続ける西区とは違い、人の声もどこか穏やかだった。
教会を出た後、エアルはすぐに西区へ戻ろうとはしなかった。
「少し休んでいかない?」
「中央区で?」
「うん。久しぶりに行きたい所あるんだ」
そう言って入ったのは、通り沿いに小さなテラス席を並べた店だった。
白い壁に木枠の窓。
入口脇には乾燥させた香草が吊るされている。
扉を開けた瞬間、焼き菓子の甘い匂いと、花や果物を連想させる爽やかさ。少し刺激のある香辛料のような香りが流れてきた。
「……なんか思ったより匂いが強いな」
「このお店はね、紅茶も美味しいんだよ」
店員に通されて、テラス側の空いていた席に座る。
注文はエアルの頼んだものと同じにした。
目の前の通りでは、教会の紋章を付けた馬車がゆっくり通り過ぎていた。白布を掛けた木箱を積み、横を歩く神官達が時折確認するように荷物へ視線を向けている。
「教会の馬車?」
「うん。ああいうの、最近増えてるかな」
店員が近づいてくると、水を置きながら小さく笑った。
「エアルさん、最近はお見かけしませんでしたね」
「少し、依頼が続いてたので」
「今日は先生帰りですか?」
「なんで知ってるんですか……」
「さっき教会の子達が通ってましたから」
その返答に、小さく肩を落としている。
席の近くでは学校帰りらしい生徒達が焼き菓子を分け合い、その横では神官姿の女性達が地図を広げて何か話していた。
「北側は来週だそうですよ」
「巡回組もまだ足りてないらしいわ」
「銀級も今少ないとお聴きしました」
断片的な会話が風に流れていく。
しばらくして運ばれてきた皿には、薄く焼いた果実のパイと、小さな焼き菓子が並んでいた。
生地には細かく砕いた香草が混ざっている。
「葉っぱ入ってるな」
「香草だね。中央区のお店は結構使うよ」
フォークを入れると、温かい果実の甘さと一緒に、少しだけ苦味のある香りが抜けた。
「……美味いな」
「でしょ?」
向かい側では、紅茶に息を吹き掛けながら満足そうにしている。
「久しぶりだったのか?」
「んー……前は依頼帰りによく来てたかな」
ベルの音が鳴り、新しい客が店へ入ってくる。
外套姿の神官。
学校帰りらしい少女。
荷物を抱えた修道女。
中央区の昼は、西区とは違う流れ方をしていた。
「キミは甘いの平気なんだね」
「嫌いじゃないしな」
師匠も甘味は普通に食べていた。
森でも、果実を焼いたり蜂蜜を掛けたりはしていたから、そこまで珍しくもない。
「森だとあんまりこういうの食べられないと思ってた」
「作れば普通に食える」
そう返すと、エアルから少し笑う気配が返ってきた。
「はい、これもおすすめですよ」
追加で運ばれてきたのは、小さく焼いた丸い菓子だった。
「まだ頼んでたのか」
「ここのこれ。美味しいんだ」
一つ摘まむ。
外側は軽く硬いが、中はしっとりしていた。
甘味の後に薄く香辛料の匂いが残る。
「……これは、香辛料か?」
「そう。美味しいでしょ?」
店の奥では、またベルが鳴っている。
通りを見れば、教会の紋章を付けた別の馬車がゆっくり中央通りを抜けていった。
◇
西区へ戻る頃には、通りの色も少しずつ夕方に寄り始めていた。
中央区ほど整った石畳ではないし、汚れも目立つ。
荷車の跡が残る道を何台もの荷車が行き交い、通り脇では露店商が声を張り上げている。
焼いた肉の匂い。
酒場から漏れる笑い声。
遠くで鳴る金属音。
西区に戻ってきた、という空気だった。
ギルドへ入ると、昼前より人が増えている。
一区側の掲示板には相変わらず人が集まり、受付前では巡回報告らしい列がゆっくり進んでいた。
「二区二層、異常無し」
「採取組帰還確認済みです」
「西側素材、倉庫回して!」
報告の声が重なる。
受付奥では職員達が新しい依頼書を束で抱え、机の間を忙しなく行き来していた。
入口近くでは帰還したばかりらしい冒険者達が鎧を外し、水差しを回している。
泥の乾いた靴。
擦れた外套。
壁に立て掛けられた槍。
一区や二層の空気は戻り始めている。
それでも、ギルド全体が完全に落ち着いた訳ではないらしい。
「今日は人多いな」
「お昼も過ぎて、そろそろ皆戻る頃だからかな」
エアルも周囲を見回している。
一区側では初心者冒険者らしい集団が依頼書を囲み、別の場所では採取帰りの女性達が素材袋を整理していた。
その一方で、奥側――深層依頼の掲示板周辺だけ、空気が少し違う。
長机の上には地図。
積み上がった紙束。
開かれたままの記録帳。
三層巡回。
深層調査。
探索補助。
銀級向けの依頼が以前より明らかに増えていた。
しかも、剥がされず残っているものが多い。
「最近ずっとこんな感じだね」
「浅層戻ってきた割に多いな」
「わたし、エルマさんと少しお話ししてくるね」
エアルは受付へ向かう。
掲示板前では数人の冒険者が地図を囲んでいた。
「二区三層だろ?」
「戻り予定、昨日だったはずだぞ」
「人数が多かったとこじゃなかったか」
低い声が混ざる。
その横では、回復薬らしきものが積まれた木箱が追加で運び込まれていた。
受付近くの棚には、空になった瓶まで並んでいる。
以前より、深層側だけ消耗が激しい。
奥の席では、片腕に包帯を巻いた男が椅子へ深く座り込み、仲間らしい冒険者が報告書を書いていた。
机へ落ちたインクを拭く暇も無いらしい。
「お、坊主じゃねえか!」
遠くから聞き慣れた声が飛んできた。ヴァンだ。
長机に地図を広げたまま片手を上げている。机の上には街周辺の地図だけでなく、書き込みだらけの紙束や簡易食まで散らばっていた。
「今日は依頼帰りか?」
「いや、用事。今終わった帰り」
「へぇ」
同じ机には、灰色のローブを羽織った女が頬杖をついている。金色の長い髪を後ろへ流したまま、眠そうな目だけこちらへ向けてきた。
「リア」
「あぁ」
思わず返事をしてしまったが、短く紡がれた言葉は名前らしかった。机の端には細い杖と開きっぱなしの記録帳まで置かれている。魔法使いのようで指先には薄くインク汚れが残している。
その間にも、周囲では紙を捲る音が続いている。
浅層依頼は減っていくが深層側は追加される方が多い。
受付奥では、また新しい依頼書へ判子が押されていた。
リアは頬杖をついたまま、小さく欠伸をする。
「今日は深層か?」
「ああ。三層以降の確認が止まっちまっててな」
ヴァンは地図を見たまま返した。
地図上には赤い印がいくつも増えている。
「あいつら、まだ戻ってねぇんだろ?」
「人数増やしたらしいのにな」
「銀級も混ざってるって聞いたぞ」
近くで装備確認をしていた冒険者達も、そんな話をしている。
その時、受付側から職員が顔を出す。
「ヴァンさん、少しよろしいですか」
「今行く」
軽く手を上げて立ち上がる。
腰の剣が椅子に当たり、小さく音を鳴らした。
「悪ぃ、ちょっと行ってくる」
受付側へ向かう背中を見送りながら、リアは深く息を吐く。
「ずっとよ」
「忙しそうだな」
「足りないから。休めない」
受付前では、また別の帰還組が報告を始めていた。
泥汚れの残るブーツ。
欠けた盾。
疲れ切った顔のまま、水を飲み干している。
浅層側は落ち着き始めているが、深層側はまだ大変なようだった。
掲示板には、また新しい依頼札が追加されていく。
その流れを眺めながら、レイは深層側の掲示板に並ぶ依頼書へ視線を向けた。




