第24話 一層へ
翌日。
一区側の制限は、朝になって少し変わっていた。掲示板には停止札が残っているものの、その横には新しい注意札が増えている。銀級以上推奨、銅級以下は護衛同行、または規定人数以上での行動。いつもとは違う色をした受注札を持つ冒険者を見ながら、レイは小さく眉を上げた。
「札の色、違うんだな」
「制限付きの依頼だからね」
「なるほどな」
掲示板前では朝から冒険者達が地図を囲んでいる。
「うち銀二人いるから通れるな」
「護衛代高ぇんだよ……パーティ募集するか!」
「今日は巡回依頼増えてるらしいぞ」
一区側の依頼は戻り始めていたが、完全に普段通りという訳ではないらしい。受付前では職員達が絶えず説明を続けている。
「一層側は原則、単独行動禁止です!」
「護衛登録済みの方はこちらへ!」
その横を抜け、二区側の依頼書を取る。今日は二区一層。薬草採取付きの危険種間引き依頼だった。
受付で受注札を貰いギルドを出ると、朝の西区画には既に荷車の音が響いていた。木箱を積んだ運搬組が街道へ向かい、護衛付きの採取班が道具を確認している。一区側の制限が一部解除されたとはいえ、二区へ向かう人数はまだ多いらしい。
「今日はどこまで?浅め?」
「依頼にも慣れたと思うし、一層の範囲内で回ってみようかな」
エアルが軽く息を吐いた。
「昨日よりは戦うかもね」
「まぁ、多分な」
◇
二区へ向かう街道を外れて森に入る。浅層より木々は密になり、枝葉の隙間から差し込む光も減っていた。湿った落ち葉を踏む度、靴裏から柔らかい感触が返ってくる。空気は少し冷たい。
意識を広げたまま警戒する。しばらく歩いていると、遠くから近づいて来る気配を感じた。
右前方、木の上で枝を蹴る音が走った。軽い反応が二つ、妙に速い。少し遅れて左側でも葉が揺れる。
「……いるな」
前を向いたまま呟く。
「何?」
「木の上。多分猿系」
エアルも視線だけを上げる。葉の隙間で何かが動き、すぐ見えなくなった。気配は一つではない。奥、横、上。散るように動いている。
「数は?」
「まだ分からない。ただ少なくはない」
歩幅は変えないまま周囲を探る。後方で枝が鳴った。それ以上近付いては来ない。ついて来ている。
「囲むタイプかもな」
「面倒だね。魔法の準備始めとくね」
エアルはそう言いながら杖を持ち直した。森を抜ける風が枝葉を揺らし、その先で視界が少し開ける。古い倒木が幾つも重なった場所だった。周囲だけ木々が途切れ、まだらに光が落ちている。
レイはそのまま開けた場所に寄る。木を見やすく、横も取られにくい。
その瞬間、頭上で枝が大きく鳴った。
「来る」
ほぼ同時に灰色の影が飛び掛かってくる。
猿型の魔物、岩猿だ。
異様に長い腕。細い身体。牙を剥き出した口。飛び込んできた個体を剣で横へ切り流す。衝突音と共に落ち葉が舞い、その横を別個体が低く走り抜けた。
石。
反射的に身体を捻る。頬横を石片が掠め、そのまま後方の木肌に叩き付けられた。乾いた音が響くと同時に、木々が一斉に揺れる。
「多いな……!」
枝から枝へ飛ぶ音が重なった。上だけではない。横にもいる。奥にも動く。上に意識を向けた瞬間、横側で別の枝が鳴る。
正面から飛び込んできた個体へ踏み込む。振り下ろされた腕を弾き、そのまま胴を斬り抜いた。血が飛ぶ。だが着地する前に、上から別個体がエアル側へ落ちる。
「右!」
「任せて」《ラ・グランド》
杖先が地面を叩く。乾いた音と共に土が盛り上がり、飛び降りた岩猿の着地が崩れた所へ、更に短い詠唱を重ねる。
《ーーセイル》
直後、横殴りの風が倒木ごと岩猿を吹き飛ばす。
その間にレイが間合いへ入る。倒れた喉元に剣を突き立てると、上からまた鳴き声が返ってきた。
石が続けて飛ぶ。
一つ避ける。
二つ目は軌道が逸れた。横風。エアルの杖先が小さく揺れている。その隙に木の上を見る。三。いや四。一つだけ大きい。
そちらへ意識を向けた瞬間、反対側で枝が大きく鳴った。
「エアル、後ろに」
「うん!」
倒木側へ位置をずらす。左右から飛び込んできた岩猿を一匹斬る。だがもう一匹が横を抜け、エアルへ向かった。
《ーー♬》
その瞬間、杖先が一瞬だけ白く光る。
岩猿の動きが鈍った。
目を細めるように顔を背けた隙を、エアルの杖が下から打ち上げる。鈍い音。仰け反った所にレイの剣が振り抜かれ、血飛沫が落ち葉へ散った。
木はまだ揺れている。
枝。
鳴き声。
石。
落下音。
森のあちこちが同時に動いていた。
一匹なら脅威ではない。だが枝を移る度に位置が散り、視線を向けた反対側から別個体が飛び込んでくる。しかも数が多い。
横から飛び込んできた個体を蹴り飛ばす。倒木へ叩き付けられた岩猿が木を掴み立て直そうとした瞬間、地面から突き出した土が足を引っ掛けた。
落ち葉を踏み潰す音。
倒木を蹴った岩猿が頭上へ逃げる。
追うより先に、別方向の枝が鳴った。
反射的に振り向く。
飛び込んできた個体へ剣を振り抜き、首が飛ぶ。枝葉へ血が散り、木の上で気配が揺れる。
こちらの様子を窺っている。
呼吸を整えながら周囲を見る。倒木、荒れた地面、削れた木肌。落ち葉の上には既に何体も転がっていた。それでもまだ上に残っている。
左側で枝が大きく揺れた瞬間、そのまま踏み込む。飛び掛かってきた個体を正面から叩き落とした直後、多方向から石が飛ぶ。避け切れない。
それらを横から吹いた風が石の軌道を逸らした。
肩を掠めながら走り、間合いに納める。剣が喉元を断ち切り、断末魔が森へ響いた。
次の瞬間、周囲から気配が一斉に離れる。枝が大きく揺れ、そのまま奥側へ散っていった。
静かになる。
さっきまで騒がしかった森に、風の音だけが戻ってきた。荒れた倒木地帯には折れた枝と血の臭いだけが残り、揺れていた葉も少しずつ落ち着いていく。
レイは周囲へ意識を向ける。
小動物。
鳥。
それだけだった。
「……離れた?」
「多分な」
エアルが杖を下ろし、倒木に軽く腰を預ける。
「結構いたね」
「思ったよりな」
剣についた血を払う。これだけ騒げば普通は別の魔物が寄って来てもおかしくない。だが奥側から返ってくるのは、風と枝葉の擦れる音ばかりだった。
討伐証明を回収しながら周囲を見回す。岩猿の群れが暴れた割には、他の反応が薄い。途中で見掛けた牙猪の痕も、結局ほとんど新しいものが無かった。
「……やっぱ少ないのか?」
「昨日より奥まで来てるのにね」
「あぁ」
ただ、それ以上は言わなかった。二区側へ人が流れているのも事実だ。採取組も巡回組も増えている。偶然と言われれば、それで通る程度ではある。
◇
帰路へ向かう頃には、森に差し込む光も少し傾き始めていた。街道近くまで戻ると、人の気配が増える。採取帰りの集団が籠を背負って歩き、護衛組が地図を見ながら明日の予定を話している。
「今日は一層側まで行ったんだって?」
「岩猿多かったぞ」
「マジか……」
そんな声を横目にギルドへ戻る。
一階は昨日より落ち着いていたが、それでも掲示板前には人が集まっていた。一区側の制限札を見上げる者、巡回依頼を探す者、深層探索の高額依頼を眺めている者。
「深層調査依頼……報酬高いね」
エアルが小さく目を丸くする。
長期探索。
深層巡回。
未確認区域調査。
並んでいる依頼はどれも金額が大きかった。
「まぁ、危ねえからなあ」
近くの冒険者が苦笑混じりに言う。
「戻ってこねえ可能性もあるし」
受付側では職員達がまだ慌ただしく動いている。一区側の報告書らしい束を抱えた職員が二階へ走り、別の受付では巡回組の帰還確認が続いていた。
その空気を見ながら、レイは受注札を返却する。
今日も街は変わらずに動いている。依頼を受ける者がいて、報告に戻る者もいて。職員達は次々と書類を捌いていく。森の異変らしきものも、今のところはまだ“違和感”の範囲だった。
けれど、森奥へ意識を向けた時の、あの静けさがまだ頭の奥に残っていた。




