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鐘は鳴り止まない〜ただ一人、君の歌だけが綺麗だった〜  作者: 秘色ひすい
鐘の鳴る街

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第22話 変化

 ギルドの扉を出ると、薄暗くなった西区画に昼間より冷えた風が流れていた。


 通りにはまだ人が多い。けれど昼間みたいな騒がしさではなく、仕事終わりの疲れと慌ただしさが混ざった空気へと変わっている。


 解体場では大鍋の湯を入れ替える音が響き、吊るされた獣肉の鎖が軋む度、血混じりの臭いが石畳の湿気と混ざって西門側へ流れていた。その横を、武器を抱えた冒険者達が足早に通り抜けていく。


「二区側なら明後日には回れるか?」

「浅層が止まってる分、人が流れるだろ」


 似たような会話があちこちから聞こえてきた。


 昨日まで水辺採取の話ばかりしていた連中が、今は二区巡回だの、二層護衛だの、別の依頼の話をしている。


 二階の窓へ視線が向いた。


 ギルドの職員区画にはまだ灯りが残っている。窓際を人影が何度も横切り、時折、書類を抱えた職員が一階と二階を慌ただしく行き来していた。


「まだ動いてるんだな」

「今日は特にね」


 隣から返ってくる声も少し疲れている。


 治療室帰りなのか袖だけ軽く捲っていて、洗った後なのだろう、指先が少し赤かった。


「怪我人は?」

「重傷の人は落ち着いた。でも未帰還確認とか、巡回報告とか残ってるみたい」


 そう言いながらギルド側を振り返る。


 入口近くでは、帰還したばかりらしい冒険者が受付嬢に報告していた。


「一区水辺側、一応見てきた!」

「異常無しですか!?」

「今んとこはな」


 その時、街の奥側から低い鐘の音が流れてきた。

 重く、ゆっくりした音だった。

 通りを歩いていた露店商達が顔を上げる。


「……もうこんな時間か」


 誰かの呟きと共に、街の流れが少しずつ変わり始める。


 片付けを始める店。

 逆に灯りを増やす酒場。

 夜営業の屋台へ流れていく人影。


 鐘の余韻が消える頃には、西区画の空気そのものが昼間とは別のものへ変わっていた。


「ご飯どうする?」


 歩きながら聞かれる。


「ギルドで食うのは?」

「今日はやめといた方がいいかも」


 入口近くを見ながら小さく息を吐く。


「たぶん、まだしばらく忙しいし」

「……だな」


 確かに一階も落ち着いている感じではなかった。


 掲示板前ではまだ職員が停止札を追加しているし、酒場側では巡回依頼について揉めている冒険者達までいる。


「じゃあ外行くか」

「うん。わたしも今日は静かな所がいい」


           ◇


 西区画の大通りから少し外れた食堂は、ギルド併設よりかなり落ち着いていた。


 扉を開けた瞬間、煮込みの湯気と焼いた魚の匂いが一気に流れ込んでくる。奥では店主らしい男が鍋を掻き回し、その横を店員が皿を抱えて忙しそうに行き来していた。


「二人か?」

「はい」


 案内された席へ座る。

 木椅子が軽く軋んだ。


 周囲には護衛帰りらしい冒険者達や、西区画で働いている職人達の姿が見える。酒場ほど騒がしくはないが、店の中には絶えず誰かの声が響いていた。


「二層巡回、報酬上がるらしいぞ」

「浅層止まるなら当然だろ」


 隣卓では男達が地図を広げながら話している。


 別の席では、食べ終えたらしい冒険者達が干し肉や保存食を机に並べ、明日の荷物整理を始めていた。


「依頼範囲が変わるだけで、結構空気変わるんだな」

「冒険者は日銭を稼ぐ事が多いからね」


 水を飲みながら続ける。


「浅層採取で回してた人達は、別の依頼探さなきゃいけないから」


 そこへ料理が運ばれてきた。


 肉と豆を煮込んだ深皿料理に硬めの黒パン。蒸し焼きにされた魚からは香草の匂いが立ち上っている。


「……うまそう」

「それ毎回言うよね」


 呆れたみたいに笑われる。


 肉を口へ運ぶ。

 豆と一緒によく煮込まれていて、口の中でほろりと崩れた。塩気は強いが、疲れた身体にはちょうど良かった。


 周囲では皿のぶつかる音と、酒の入った笑い声が絶えず続いている。


 その中で、不意に口が開いた。


「今日さ」


 スプーンを止める。


「倒そうと思えば、倒せた気もする」


 向かい側の動きが少し止まった。


「……うん」


 否定はされない。

 湯気が二人の間をゆっくり流れていく。


「でも、なんか」


 上手く言葉がまとまらなかった。


「倒れてるヤツ見たら、迷ったんだよな」


 あの時、一番最初に見えたのは黒爪熊じゃない。


 吹き飛ばされた盾。

 脚を押さえていた男。

 潰されそうになっていた後衛。


 咄嗟に考えたのは、“どう倒すか”じゃなく“どう止めるか”だった。


「倒せるかどうか考える前に、身体が動いた感じ」

「それで良かったと思うな」


 返ってきた声は静かだった。


「たぶん、あの場で“倒す”考え始めてたら、逆に危なかったよ。黒爪熊って、ちゃんと強いから」


 木匙でスープを掬う。


「もしかしたら他の人も危なかったかも」

「いや。それは多分、守れた」

「そうなんだ……」


 苦笑混じりだった。


「でも周りの反応見れば分かると思う。浅層で出る相手じゃないんだから、あれも正解」


 そこで少しだけ間が空く。


「あと、先に飛び出した時は普通にびっくりした」

「そんな急だったか?」

「急だったよ」


 即答だった。


「気付いたらもう走ってたし」

「待ってる暇無かった」

「それは分かるけど」


 そこで、小さく肩を落とす。


「せめて一言くらい欲しかったかな」

「一応言ったつもりだけど」

「もっとちゃんと、ね」


 また少しだけ沈黙が落ちる。

 けれど、その空気は嫌じゃなかった。


 店の奥で皿が鳴る。

 追加注文の声が飛ぶ。


 酒を注ぐ音に混ざって、明日の依頼について話し合う冒険者達の声が聞こえてくる。


 夜の食堂は、そんな音を重ねながらまだ騒がしく動き続けていた。


           ◇


 宿へ戻る頃には、西区画の通りも静かになっていた。


 酒場はまだ明るく、酔っ払いの笑い声が時折通りまで漏れてくるが、それ以外の店は灯りを落とし始めている。


 宿の入口を開けると、一階食堂では遅めの夕食を食べている宿泊客がまだ数組残っていた。


「おかえりー」


 受付の女将が軽く手を振る。


「今日は騒がしかったねぇ」

「熊出たからな」

「聞いた聞いた。西区画、ずっとざわついてるよ」


 そう言いながら、空いた皿を抱えて厨房側へ歩いていく。


 二階へ上がる。


 木階段が静かに軋み、廊下には夜用の灯りだけが残されていた。昼間より少し暗い。


「じゃあ、また明日」


 部屋の前で立ち止まる。


「朝どうする?」

「いつも通りでいい」

「分かった」


 扉を開ける前、小さく息を吐く。


「……今日はありがとね」

「何が?」

「色々」


 それだけ言うと、少しだけ笑った。


「おやすみ」

「おやすみ」


 扉が閉まる。


 静かになった廊下へ、少し遅れて外の風音だけが聞こえてきた。


           ◇


 翌朝、西区画はもう動き始めていた。


 荷車の音。

 鍛冶場の槌音。

 朝の冷たい空気に混ざる焼きパンの匂い。


 宿を出てギルドへ向かう途中、既に何組もの冒険者達とすれ違う。


「二区巡回、今日も増えてんな」

「浅層停止続いてるからなぁ」


 そんな声が扉の奥から聞こえてきた。

 昨日ほどではないが、受付の周囲の空気はまだ少し張っている。


 掲示板には停止札が残っているまま。

 一区浅層水辺側。その一角だけ、ぽっかりと空いたように依頼が減っていた。


「今日はどうする?」


 並んだ依頼書を見上げる。


 討伐。

 巡回。

 採取。


 昨日までより二区側の依頼が増えている。

 その中から一枚を取った。


「二区浅層、小型危険種間引き依頼?」


 読み上げると、隣から頷きが返ってくる。


「これなら採取もしながら回れそうだね」


 依頼書の向こうでは、別の冒険者達が二区地図を囲みながら話していた。


「一層寄り、今日は巡回増えるらしいぞ」

「鳥が騒いでたって話、まだ続いてるからな」


 停止札の残る一区掲示板だけが、まだ昨日の続きを引摺っているみたいだった。

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