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鐘は鳴り止まない〜ただ一人、君の歌だけが綺麗だった〜  作者: 秘色ひすい
鐘の鳴る街

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第21話 裏側の景色

「一区浅層の件で現場確認したいそうです。ギルド長のところへ来てもらえますか?」


 セシルはそう言うと、別の受付嬢に短く指示を飛ばす。


「水辺側の停止札、追加で出してください。あと未帰還確認、鐘花採取組優先で」

「はい!」


 返事と同時に、掲示板前で職員達が動き始める。


 張られていた依頼書が剥がされ、代わりに注意札が掛けられていく。その途中で札を取ろうとしていた冒険者が「おい、今受けようとしてたんだが」と不満げに声を上げたが、


「申し訳ありません。一区の水辺側は一時停止中です」


 と、受付嬢が慣れた調子で返し、その横では別の職員が新しい札を抱えて走っていく。


「浅層まで止まるのか?」

「黒爪熊なら仕方ねぇだろ」

「水辺依頼消えるの痛ぇな……」


 酒場側から聞こえていた笑い声にも、少しずつ別の空気が混ざり始めていた。


 セシルはそれを横目に見ながら再びこちらへ向き直る。


「すみません、少しだけお時間大丈夫ですか?」

「別にいいけど」


 隣で小さく息を吐く気配。


「わたしは治療室側に戻るね。またあとで」

「わかった」と短く返す。


 それを確認すると、セシルは「こちらです」と言ってギルド奥へ歩き始めた。


           ◇


 一階の喧騒を抜け、奥の階段に向かう。

 そこまで来ると酒と血の匂いが少しずつ薄れていった。

 代わりに漂ってくるのは、紙とインクの匂いだった。


 二階へ上がる。


 階段を抜けた瞬間、空気が変わった。

 一階みたいな怒鳴り声はない。


 代わりに、紙を抱えた職員達が早足で廊下を行き交っていた。靴音と紙を捲る音だけが妙にはっきり響いている。


 壁際には書類棚が並び、区画ごとの地図が掛けられている。一区、二区、三区。その横には浅層、一層、二層と細かく印が書き込まれていた。


「一区浅層、水辺側は停止継続です」

「未帰還、あと三組確認中」

「二層側の巡回組から返答まだです」


 小声なのに、動きだけが妙に忙しい。


 レイは思わず周囲を見回した。


「……同じギルドなのに、全然違うな」

「冒険者の方は基本一階ですからね」


 歩きながら返ってくる。


「ここは基本的には確認書類とか、依頼管理をする職員側の場所なんです」


 途中、職員の一人がこちらを見て軽く目を丸くした。


「あ、この人が?」

「現場確認です」


 それだけで通じたらしい。

 職員はすぐ別の部屋へ駆けていった。


 廊下の奥側では、机に広げられた地図を囲みながら何人かが話している。


「去年は三区二層だったよな」

「時期も違う。今はまだ下りてくるには早い」

「餌不足か?」

「いや、浅層側の群れ崩れた話は聞いてねぇ」


 通り過ぎる一瞬だけ、そんな会話が耳に入った。


           ◇


 廊下の突き当たり。

 セシルが一枚の扉を軽く叩く。


「ベイルさん。お連れしました」

「入れ」


 低い声。

 扉を開ける。


 部屋の中には書類が山積みになっていた。


 開かれた報告書には赤線が何本も引かれ、机の端には確認途中らしい依頼書まで積まれている。壁際には大きな区域地図。窓際には飲み掛けのお茶。


 紙とインクの匂いが部屋全体に籠もっていた。


 その中央で、灰色混じりの髪を掻きながら男が顔を上げ立ち上がる。


「……石で撃退した冒険者は君だったか」


 最初の言葉がそれだった。


「撃退って」

「違うのか?」


 疲れた顔をしている。

 だが視線だけは鋭かった。


 年齢は四十後半くらいだろうか。引き締まった身体をしているが、冒険者というよりは長く人を管理してきたような……受付のエルマに似た雰囲気がある。


「座るといい。今は茶も出せないが勘弁してくれ」

「別に気にしてない」


 壁際の椅子に座る。

 セシルは机に数枚の紙を置くと、


「私は確認に戻ります」

「あぁ。悪いな」


 短いやり取りだけ残して部屋を出ていった。

 扉が閉まり、一瞬だけ静かになる。


 ベイルは机の上の報告書へ目を落としながら、小さく息を吐いた。


「で、一区浅層の黒爪熊だ」


 指先で地図を叩く。


「まず確認だが、逃走方向は西寄りで間違いないか?」

「多分。森奥側へ逃げた」

「追撃は?」

「してない」


「正解だ」


 即答だった。


「あんなものを追ってたら今頃もう一件担架が増えてる」


 書類へ何かを書き込みながら続ける。


「他の連中からも話は聞いてる。お前だけじゃない」

「誰よりも先に気配に気付いたらしいと。本当か?」


「……なんか、いた」


 上手く説明出来ない。


 あの時は特に気配を探っていなかったし、森の奥から圧みたいなものが流れてきたから気が付いただけだったから。


「姿を確認する前からか?」

「見えるより前」


 少しだけ眉が寄る。


「他には何か感じたか?」

「怒ってる感じはした」

「興奮状態か……」


 地図へ視線を落とす。


「今の時期に浅層は妙なんだよな」


 独り言みたいな声だった。


「よくあるのか?」

「同じ事が無かった訳ではない」


 椅子に深く座り直す。


「餌不足。縄張り争い。奥側で別の魔物に追われる事も」


 そこまで言ってから、少しだけ言葉を止めた。


「だが、この時期に一区浅層までは……」


 窓の外を見る。

 西日が少しずつ傾き始めていた。

 机の上には既に何枚もの報告書が並んでいる。


 一区。

 浅層。

 水辺側。


 同じ単語が何度も書かれていた。


「まぁ、まだ断定は出来ねぇがな……」


 疲れたみたいに額を押さえる。


「ただでさえ水辺依頼は必要なんだ。停止期間が伸びると文句が増える」


「大変なんだな」

「あぁ。かなりな」


 迷いなく返ってきた。


「未帰還確認、区域調整、護衛組への連絡、採取依頼の組み直し。今日はまだ帰れそうにないな」


 愚痴を零しながらも、手だけは止まらない。

 机の上の書類を捲り、地図に印を書き込みながらも、次に何をするかを考えているようだった。


「……で」


 一度書類に何かを書き込み、それから視線がこちらへ向く。


「石を投げた件だが」


「あー…怒られる?」

「普通はな」


 肩を竦めた。


「まず単独で突っ込むなって説教案件だ。投石程度じゃ助けられんし、気を引けたとしても怪我人が増えるだけだろう。普通ならな」


 こちらを見据えたベイルの、


「だが、結果的には助かった」


 その言葉はとても真っ直ぐだった。


「遅けりゃ後衛が潰れて死んでた可能性もある。だから今回に限って言えば、よくやったで終わりだ」


 少しだけ間が空く。


「ただ、お前みたいなのは無茶しやすい」

「そうか?」

「強さがあるから余計に、だ」


 そこで初めて、小さく笑った。


 その時だった。

 廊下側が少し騒がしくなる。


「おーいベイルさん!川沿い組から追加で聞いてきた!」


 扉が半分開き、ヴァンが顔を出した。


「二区側までは今んとこ異常無しだ。ただ、一層寄りで鳥が妙に騒いでたって話が――お」


 そこでこちらに気付く。


「なんだ、もう呼ばれてたのか坊主」

「名前教えただろ」

「諦めろ。もう覚えちまった」


 勝手に部屋へ入ってくる。

 止める様子はない。


「で、他には?」

「他の区域でも採取組はほぼ撤収済み。今戻ってる途中みたいだな。あと水辺側、一部帰還した護衛組が様子見に行ってる」


「……なら今日は封鎖寄りか」


 地図に印を書き込む。

 その横顔を見ながら、レイは少しだけ考える。


 森が危険な事は知っている。


 でも、その危険ひとつで依頼書が消え、区域が止まり、大勢の人間が走り回る。


 そんな景色は、まだ知らなかった。


           ◇


 一階に戻る頃には、外は暗くなり始めていた。

 ギルド内は相変わらず騒がしい。

 だが、いつもの昼間とは少し違う。


「一区の全面停止って、マジかよ」

「しばらく二区側増えるか?」

「護衛受けるしかねぇかなぁ」


 酒を飲みながら話している内容が、全部さっきの件に繋がっていた。


 掲示板の一角には、まだ停止札が掛かったままになっている。


 その前でこちらに気付く視線。


「あ、終わった?」

「今終わった」


 近付いてきたエアルの声は少し疲れている。


「結構長かったね」

「そっちも?」

「今日は治療室が忙しかったから……」


 その奥では、まだ神官達が慌ただしく動いていた。


「ご飯どうする?」

「腹、減ったな」

「それは知ってる」


 呆れたみたいに息を吐く。

 けれど、その声を聞いていると妙に落ち着いた。


 ギルドの扉が開く。

 夜の冷たい風が一瞬だけ流れ込んできた。


 西門側の暗い空には森の影が静かに広がっている。


 昼間と変わらないはずの森なのに、今は少しだけ違って見えた。

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