第19話 水辺の依頼
翌朝、宿を出る前からエアルに笑われた。
「今日はちゃんと騙されないでね?」
「まだ言うのか……」
朝食のパンを齧りながら返すと、向かい側で肩を揺らしている。
「だって、共鳴石の欠片を買わされそうになってたんだよ?」
「見た目じゃ分からなかったんだって」
「街の人はそこ見るから……」
呆れ半分みたいな声だった。
宿の食堂は以前ほど騒がしくない。依頼帰りらしい冒険者達が眠そうな顔で遅めの朝食を食べ、隅では解体帰りらしい男達が獣と酒臭いまま机へ突っ伏している。
窓の外では、西区画の通りを荷車がゆっくり通り抜けていった。
「まぁ今日は大丈夫だよ。採取依頼だし」
「採取ってそんな平和なのか?」
「討伐よりはね。今日は水場近いし」
そう言いながら、エアルは荷物を確認していく。
小鍋。
水袋。
包み紙に包まれた干し肉。
香草。
保存野菜。
「……なんか荷物増えてないか?」
「水場ある日はちゃんと料理出来るから」
当然みたいに返ってくる。
「買った物だけだと味気ないんだもん」
「へぇ」
森で暮らしていた頃は、獲った物を焼くか煮るかくらいで、わざわざ“料理する為に荷物を持っていく”感覚はまだ少し新鮮だった。
「魔法で水出せばいいのにあんま使わないんだな」
「……普通はそう簡単に具現化出来ないんだよ?」
…やべ。
◇
西門を抜ける頃には、朝の空気も少しずつ温くなり始めていた。ここに来るまでエアルからのチクチクとした視線と言葉が痛かったが、なんとか誤魔化した。
街道沿いには既に何組もの冒険者達が歩いている。
採取組。
討伐組。
護衛帰りらしい荷馬車。
水場近辺の依頼も人気だと聞いていたが、確かに人が多い。受注の際にエルマのばあちゃんが熊に気をつけな、と言っていたがその程度で依頼人気は衰えないらしい。
前方では採取用の籠を背負った集団が談笑しながら歩いていて、その横を槍持ちの討伐組が追い抜いていく。時折、街道脇へ立てられた区画杭を確認しながら別方向へ入っていく連中の姿まで見えた。
「ほんと人気なんだな」
「水使えるからね」
エアルが肩越しに振り返る。
「飲めるし、洗えるし、料理も出来るし。水場あるだけでかなり違うよ?」
「野営慣れてると、その辺感覚変わるのか」
「変わるよー。遠征とかだと水袋重いし」
歩きながら、水袋を軽く揺らす。
「洗い物出来るだけでも全然違うからね」
「そこ?」
「普通はそこなんだよ?」
何故かジト目で見つめてくるエアル。
森に近付くにつれて、周囲の空気も少しずつ変わっていく。土と葉っぱの匂いは何処となく湿り気を含んでいて、そこに朝露を含んだ風が流れる森はいつもより少し、清涼さを感じる気がした。
街の喧騒が遠ざかる代わりに、鳥の鳴き声や木々の擦れる音が近付いてきた。
◇
今回の採取区域は、西街道から外れた浅層側だった。
完全な森の奥ではない。
それでも、木々に囲まれ始めると空気が静かになる。
前方では別の冒険者組がしゃがみ込みながら薬草を採っていた。
「根っこ残しとけよー」
「分かってるって!」
そんな声が聞こえてくる。
さらに少し奥、水辺近くでは別の採取組が鍋を火に掛けていた。魚らしい匂いが流れてきて、思わずそちらへ視線が向く。
「……なんかもう飯食ってる」
「朝早い人はもう休憩してる頃だしね」
エアルが慣れた様子で周囲を確認していく。
「今回は鐘花と水草系がメインかな」
そう言いながら、川沿いへしゃがみ込む。
浅瀬近くには淡い青色の花が群生していた。鐘みたいな形をした花弁が風に揺れる度、小さく音が鳴っている気がする。
「これが鐘花?」
「うん。乾燥させて薬とか香草代わりに使うの」
エアルは根元を確認しながら丁寧に摘み取っていく。
「ここ切って。根は残してね」
「先生みたいだな」
「やめてって」
即答だった。だが別の場所に移動した後も、
「それ引っ張ると根まで抜けるから、土押さえて」
と遠くからでも自然に指示を飛ばしてくる辺り、やっぱり先生慣れしている。
「エアル先生」
「ほんとにやめて」
「先生怒ってる」
「怒るよ?」
呆れたみたいに振り返る。
その直後、別方向から子供の声が響いた。
「あ、エアル先生だ!」
「ほんとだー!」
振り返ると、学校の野外実習らしい集団が川沿いを歩いてきていた。年嵩の教師が頭を抱えている。
「お前達勝手に走るな! 川で滑るぞ!」
その横で、生徒達はエアルに一斉に手を振っていた。
「先生は今日は採取ですかー?」
「はい!そちらは実習ですかー!」
「補講終わったからそのまま来たんです!」
完全に先生だった。
黙って見ていると、エアルが嫌そうな顔をする。
「今なんか思ったでしょ」
「先生だなって」
「恥ずかしいなぁ、もぅ……」
諦めたみたいに肩を落とした。
◇
昼前になる頃には、袋もそれなりに埋まっていた。
鐘花。
水草。
香草類。
それぞれ別の袋にいれて分けておく。
エアルは川辺近くの開けた場所に腰を下ろしていた。
「ここで休もっか」
周囲でも何組かの冒険者達が休憩を始めていた。
剣を磨いている者。
靴を干している者。
水袋を補充している者。
少し離れた場所では、さっき見かけた採取組が魚を焼いている。
「平和だな」
「浅層側だしね」
そう言いながら、エアルは小鍋に水を注いでいく。
干し肉を切り、保存野菜を放り込み、香草を刻む。
「……いつもよりしっかりしてる」
「ちゃんと料理するって言ったでしょ?」
鍋の中から湯気が立ち始めると、肉と香草の匂いが広がり、水気を吸った干し肉が少しずつ柔らかくなっていく。追加で袋から乾燥米みたいな穀物を取り出した。
「それ何?」
「水炊き用。街で食べると高いけど持ち運び出来るし、こういう時便利なんだよ」
鍋へ入れる。
しばらくすると、肉汁を吸った穀物が膨らみ始めた。
「……うまそう」
「まだだから」
呆れたみたいに言いながら、木匙で鍋を混ぜる。
周囲では他の冒険者達も似たように昼食を作っていた。
湯を沸かす音。
笑い声。
川の流れる音。
森の中なのに、どこか小さな野営地みたいだった。
「こういうの、冒険者って感じするな」
「今さら?」
また同じ事を言われた。
◇
食事を終えた頃だった。
川辺近くを歩いていた三人組の冒険者達が、何かを話しながら戻ってくる。
「やっぱデケぇぞ」
「浅層側まで来てんのか?」
「痕残ってた。木抉れてたし」
その言葉に、エアルが顔を上げた。
「熊ですか?」
「たぶんな。黒爪熊だと思う」
槍持ちの男が肩を竦める。
「奥側ならともかく、今日はちょっと変だな」
そう言い残し、冒険者達は別方向へ歩いていった。
エアルが少しだけ眉を寄せる。
「ここまで下りてくる事あんまり無いんだけどな……」
「危ないのか?」
「危ないよ。灰牙狼より全然強いし」
周囲を見回す。
他の冒険者達も少し空気を変えていた。
武器へ手を伸ばす者。
早めに片付け始める採取組。
子供達を集め始める教師。
さっきまでの緩い空気から一転、少しだけ緊張が混ざり始めている。
「戻る?」
「んー……」
不意に、レイの視線が森の奥に向く。
森の奥側から、嫌な圧みたいなものが流れてくる。
「……どうかした?」
「多分、いる」
声も聞こえない、姿も見えない距離。ただ敵意がある。
その直後。
森の奥、遠くの方から木が折れるような音が響いた。
誰かの悲鳴。
「うわぁぁぁッ!!」
空気が変わる。
周囲の冒険者達が一斉に立ち上がった。
「おい!?」「何だ今の声?」「採取組は撤退しろ!」
「奥側だ!!」「準備しろ!離れるぞ!!」
エアルも杖を掴む。
「先行く!!」
何かを言われるより早く、レイは地面を蹴っていた。
◇
木々の間を抜ける。
奥へ進むにつれて、森の空気が変わっていく。
獣臭い。それに混ざって、血の匂い。
前方でまた木が折れた。
視界が開ける。
そこには、倒れた荷物と吹き飛ばされた冒険者達の姿があった。
「ぐっ……!」
盾持ちの男が地面を転がる。
その向こうに見えるのは、黒い毛並み。
人間より遥かに大きい巨体。
木の幹に爪を食い込ませながら、黒爪熊が唸り声を上げていた。
「おい、まだ来るぞ!!」
「後衛下がれ!!」
だが陣形は崩れている。
一人は脚を押さえて動けない。
別の女冒険者は腕から血を流していた。
黒爪熊が地面を踏み砕きながら前へ出る。
間に合わないーー。
レイは近くに落ちていた石を掴む。
踏み込み、腕を振る。
空気を裂いた石が一直線に飛び、黒爪熊の顔面へ叩き込まれた。
鈍い音。熊の右目の辺りから血が飛び散った。
森に咆哮が木霊する
「今の内に下がれ!!」
レイが叫ぶ。
熊が怒り狂ったように地面を抉る。
だが次の瞬間、横から放たれた水弾が顔面へ炸裂した。
「こっち!!」
追い付いたエアルだった。
さらに別方向からも石槍が飛ぶ。
周囲の冒険者達も一斉に動き始めていた。
黒爪熊が咆哮を上げる。
けれど、傷付いた右目を庇うみたいに後退し、そのまま森の奥へ突っ込むように消えていった。
木々が激しく揺れる。
やがて音が遠ざかっていき、
静かになる。
残ったのは、荒い呼吸と血の匂いだった。
「おい、まだ動けるか!?」
「こっち一人脚やってる!」
倒れていた冒険者達へ周囲が駆け寄っていく。
エアルもすぐに膝をついた。
「包帯! あと水お願い!」
「分かった!」
レイも水袋を投げ渡す。
さっきまで穏やかだった川辺の空気が、別の場所みたいに変わっていた。




