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鐘は鳴り止まない〜ただ一人、君の歌だけが綺麗だった〜  作者: 秘色ひすい
鐘の鳴る街

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第16話 初依頼

 日が昇る前だというのに、宿の下はもう騒がしかった。


 浅い眠りの中へ、階下から食器のぶつかる音や怒鳴り声が断続的に入り込んでくる。誰かが笑った直後、今度は椅子を引き摺る音が響き、焼けた肉の匂いまで漂ってきた。


 諦めたように目を開ける。ベッドから立ち上がり窓の元へ向かう。ガラス戸を押し開けた瞬間、入り込んできた朝の冷たい空気が火照った身体を撫でる。


 薄暗い西区画の通りには、もう人の流れが出来始めていた。荷車を押す商人。武器を背負って西門へ急ぐ冒険者。木箱を抱えた配達人を、眠そうな護衛連中が追い抜いていく。まだ朝靄が残っているのに、街だけ先に起きているみたいだった。


 森にいた頃なら、まだ鳥しか鳴いていない時間だ。それなのに、この街でも陽が高くなる前から誰かが働き、誰かが怒鳴り、誰かが飯を食べている。


「……早ぇな」


            ◇


 食堂に降りると、昨日よりさらに騒がしかった。


 朝食を掻き込む冒険者達の横で、護衛らしい男達が机へ広げた地図を囲みながら言い争い、そのさらに奥では槍を抱えたまま舟を漕いでいた男が女将に頭を叩かれていた。


「寝るなら部屋戻んな!」


 周囲が笑った。


「朝飯を。……なんか昨日より酷くないか?」


 席に座り注文すると、女将が豪快に笑う。


「近郊の依頼が更新日だからね!皆殺気立ってんのさ!」


 そのまま机に料理が並べられる。

 焼き立てのパンに、肉入りの香草スープ、それから燻製肉と卵料理まで置かれ、朝から随分豪華だな、と思わず目を瞬かせた。


「おすすめの朝飯だよ!冒険者は帰りが遅くなる事も多いからね。ちゃんと食べときな!」

「わかった。ありがとう」


 パンを千切り、スープへ浸す。


 塩気の効いた熱がじゅわりと染み込み、口に入れた瞬間、香草の香りと肉の旨味が抜けた。


「……うま」


 焼き立てのパン。温かいスープ。自分で作らずとも良い匂いが漂っている事に感動を覚える。


「良い食べっぷりだねぇ」

 女将が満足そうに笑う。


 その間にも、食堂の空気は慌ただしくなっていく。


 武器を背負った冒険者達が次々と立ち上がり、机の上の地図を乱暴に畳みながら慌ただしく外へ出ていく。その横では別の連中が空いた席へ流れ込むみたいに座り、店員が慣れた動きで皿を下げていた。


「急げよ!第二埋まるぞ!」

「分かってるって!」


「……ほんと戦争みたいだな」


 思わず呟きながら、レイも席を立つ。


            ◇


 外へ出ると、朝の空気はもう完全に動き始めていた。西区画の通りを冒険者達が次々と西門方向へ流れていく。


 露店商は準備を始め、飯屋からは焼けた油の匂いが漂い、街道側から来た荷車が石畳を軋ませながら通り抜けていく。


 昨日より明らかに人が多い。

 けれどそれ以上に流れが速く、皆どこか急いでいた。


「……いた」


 視線の先では、ギルド前の人混みの端からエアルが小さく手を振っていた。


「おはよ」

「早いな」

「キミが遅いんだよー」


 そう言いながらも、どこか眠そうだった。


「今日はもっと早い人いっぱいいるし」

「朝からこんな取り合いになるとは思わなかった」

「近場の人気依頼は特にね」


 エアルが周囲を見回す。


 固定らしい集団。即席パーティ。護衛組。採取専門らしい軽装の連中。掲示板前には既に人垣が出来始めていて、空いた場所には別の冒険者が割り込むみたいに滑り込んでいた。


 昨日よりずっと、“仕事場”の空気が強い。


「近場ってそんな違うのか?」

「違うよ?日帰りできると楽なんだ。保存食も減るし、荷物も軽いし」


 そう言いながら、自分の荷物を軽く持ち上げる。


「帰りが遅れると解体場も閉まっちゃうし」

「解体場って閉まるのか?」

「開いてはいるけど、人はいないから」


 なるほど、と頷く。


 森では解体も保存も全部自分達でやっていた。だから“街の設備へ間に合わせる”という感覚自体がまだ新鮮だった。


「遠出だと野営道具も増えるから大変なんだよ?」


 腰に下げた灯具が揺れる。中央に埋め込まれた青白い石が、朝日を受けて淡く光った。


「それ、前と違うな」

「あ、これ? 共鳴石。魔物避け」


 軽く揺らす。


「前のは効果が切れたんだ。小さいから気休めだけどね」


 レイは石を見下ろす。

 鐘みたいな嫌な感じはしない。むしろ静かだ。


「この前は持ってなかったよな?」

「前に持ってたのは効果切れちゃったから。これは新しいやつ。森の時はキミがいてくれたから助かっちゃった」


 少し安心したみたいに笑う。


「ならよかった。今日はどんな依頼狙うんだ?」

「んー……キミは初依頼だし、近場の討伐かな」


 エアルは少し考えるみたいに顎へ指を当てた。


「採取でもいいけど、キミ絶対退屈しそう」

「よく分かってるな」

「分かりやすいもん」


 くすくす笑う。


「討伐なら灰牙狼とか森猪かな。人の領域に近い場所なら、そこまで危ない魔物も出ないし」

「森猪?」

「普通の猪よりちょっと大きいくらい。食べれるよ」

「食えるのか」

「そっち?」


 今度は呆れ混じりの声に、思わずこちらも笑う。


「灰牙狼は牙と毛皮が素材になるの」

「へぇ」


 話しながらギルドの扉を押し開けた。


            ◇


 中へ入った瞬間、怒声と熱気が一気に押し寄せた。


 受付人数も増えている。

 奥では解体職人らしい男達が朝から怒鳴るみたいに笑い、受付嬢達は紙束を抱えながら走り回っていた。


「西の森第三、更新しますよー!!」

「河川区域貼りまーす!!」

「護衛二件追加です!」


 飛び交う声と共に、掲示板に冒険者達が押し寄せる。

 貼られた瞬間に剥がされる依頼書。

 空いた場所へまた貼られる紙。

 その横では別の職員が説明を叫んでいる。


「西の森第二、群れが確認されてるので注意してくださーい!」


「うお……」


 思わず声が漏れる。


「だからすごいって言ったでしょ?」

「思ったより凄かった……」


 エアルは慣れた様子で人混みへ入っていく。

 その背中を追いながら、周囲を見回す。


「第三まだ空いてるか!?」

「第二は埋まった!」


 比べ物にならない騒がしさ。まるで市場みたいだった。


「あ、これ良さそう」


 エアルが一枚の依頼書を指差す。

【西部森林第三区域 灰牙狼三頭以上の討伐】


「狼か」

「うん。最近少し増えてるみたい」


 レイが依頼書へ手を伸ばした瞬間、隣から別の手も伸びてきた。


「お」


 視線が合う。

 槍を背負った男は、こちらを見ると少しだけ笑った。


「昨日の訓練場のヤツか」

「見てたのか」

「途中からな」


 男は依頼書を見て、それから肩を竦める。


「銀でも依頼は初めてなんだろ? そっちが持ってけよ」

「いいのか?」

「狼程度なら今日は他にも出る」


 そう言いながら別の依頼へ向かう。


「群れだけ気ぃ付けろよ。囲まれると面倒だからな」


 軽く手を振って去っていく背中を見送りながら、レイは少し意外そうに目を見開いた。


「もっと殺気立ってるかと思ってた」

「近場だからね。本当に取り合うような依頼はもっと別」


 エアルは受注票を書きながら肩を竦めた。


            ◇


 受注を終えた後、二人はギルド裏の準備スペースへ回った。そこでは既に何組もの冒険者達が準備を始めている。


 水袋を確認している者の横で、縄を巻き直している冒険者がいて、そのさらに奥では干し肉を袋へ放り込みながら今日の依頼について怒鳴り合っている連中までいた。


 誰も無駄に騒いでいる訳ではない。笑っていても、怒鳴っていても、皆ちゃんと準備をしている。


「何を見てるの?」


 荷物をまとめながら、エアルが顔を上げる。


「あれ見てた」


 視線の先では、数人の冒険者達が壁に貼られた地図と木札を見比べながら話し込んでいた。


「あれは依頼範囲の確認してるんだよ」


 そう言いながら、エアルも小さな地図を広げる。


「森の入口とか街道沿いに杭が立ってるの。この依頼はここまで、って区画決まってるから」

「勝手に別の場所行ったら?」

「怒られる」


 即答だった。


「依頼が被るし、誰がどこにいるか分かんなくなっちゃうと、最悪救援も遅れるからね」


 広げられた地図の上へ指が滑る。


 西部森林第三区域。

 街道沿いから少し入った範囲へ赤線が引かれていた。


 なるほど、と思い周囲を見回す。


 装備確認。

 荷物整理。

 地図共有。

 保存食確認。


 街の冒険者達はもっと勢いだけで動いているのかと思っていた。


「思ったよりちゃんとしてるな」

「キミ、今までなんだと思ってたの?」

「ローエンみたいなの」

「それは例外」


 ちょっと否定できなかった。

 その後もエアルは慣れた手付きで荷物を確認していく。


 小鍋。

 水袋。

 包帯。

 火打石。

 干し肉の包み。

 共鳴石の灯具。


 少し隣では別の冒険者達も荷物を広げていた。


 縄を束ねている者。

 予備の短剣を腰へ差し直している者。

 毛布を丸めて背負袋へ括り付けている者までいる。


 思っていたより、皆かなり荷物が多い。

 対して、レイの手持ちは剣と小さな袋だけだった。


 替えの布と、簡単な道具が少し。師匠が持たせてくれた物と森で使っていた最低限の荷物しか入っていない。


 エアルはこちらを見て、目を丸くする。


「……少なくない?」

「いつも通りなんだけどな」

「近場だからいいけど、遠出なら全然足りないよ?」


 心配するように笑いながら、水袋を軽く揺らした。


「野営するなら毛布もいるし、水場無い場所なら水袋も増やすし、保存食ももっと持つし。遠征って結構荷物重いんだから」

「面倒だな」

「面倒なんだよ?」


 即答だった。


「だから近場の依頼は人気なの。日帰りできるし、ちゃんと宿帰れるし」


 そう言いながら荷物を纏め終えたエアルが立ち上がる。

 その時、近くの冒険者達の会話が耳へ入った。


「最近また増えてねぇ?」

「第三側、昨日も群れ見たぞ」

「奥じゃなくて外縁だろ? ちょっと多いよな」


 エアルの視線が少しだけそちらへ向いた。


「……やっぱり増えてるんだ」

「そんな変か?」

「前はここまでじゃなかったかな」


 深刻そうではない。

 けれど、“いつも通り”ではない空気だけが少し混ざっていた。


「行こっか」


 荷物を背負い直す。


「日が上がり切る前に森入りたいし」

「なら少し急ぐか」


 レイが荷物を持つと、エアルが少しだけ目を丸くした。


「あ、ありがと」

「そのくらいなら持てる」

「それでも普通、自分の物は自分で、だからね?」

「そういうもんっスか」

「そういうもんっす」


 笑い合いながら並んで歩き出す。


 西門へ向かう冒険者達の流れへ混ざると、街全体が同じ方向へ動いているみたいだった。


            ◇


 西門を抜けた瞬間、街の空気が少し変わった。

 背後ではまだ荷車の音や人の声が響いている。

 けれど前方へ広がるのは、土の道と森の匂いだった。


 朝露の残る草。

 風に揺れる葉音。

 土を踏む感触。


 街の喧騒が薄れていくにつれて、代わりに森の音が近付いてくる。


「なんか久しぶりな感じするな」


 ぼそりと呟くと、隣を歩いていたエアルが少し笑った。


「まだ数日しか経ってないよ?」

「街は騒がしいからな……」


 後ろを振り返る。


 二層の石壁に囲まれたオーデンスは、朝日を受けながら遠くに聳えていた。その周囲を、同じように依頼に向かう冒険者達が行き交っている。


 前方には三人組の冒険者。大きな弓を持っているのが見える。少し離れた場所には荷車付きの採取組。街道脇では、既に帰還してきたらしい冒険者が解体用の荷物を積み直していた。


「思ったより人多いな」

「近場だからね。第三区域は初心者も多いし」


 エアルは地図を軽く広げながら歩く。


「街道沿いは比較的安全だけど、森に入ると依頼の範囲ごとに杭があるから、確認しながら動く感じ」

「全部覚えてんのか」

「慣れかなぁ」


 そんな話をしている間にも、前を歩いていた別の冒険者組が街道脇の杭を確認して森へ入っていく。


 木製の杭には番号と紋章が刻まれていた。


「第三ってあれか」

「うん。街道沿いはまだ杭あるけど、奥入ると無いよ。

だから地図と感覚で覚えるの」


「ふーん。面倒だな」

「慣れれば平気」


 即答だった。


            ◇


 森に入ると、空気が変わる。


 木々が頭上を覆い始め、風の流れまで静かになる。

 それでも、人の領域に近いからか完全な森の静けさではなかった。


 遠くでは斧を振るような音。

 別方向からは冒険者達の笑い声。

 どこかで鳥が飛び立つ羽音。


「ここら辺は普通の人も入るのか?」

「薬草採りとか薪拾いとかね。もっと奥は危ないけど」


 エアルは足元を確認しながら歩いていく。

 時折しゃがみ込み、草を掻き分け、何かを確認してまた立ち上がる。


「何を見てるんだ?」

「痕跡。灰牙狼なら爪痕とか足跡残るし」


 そう言いながら、木の根元を指差した。


 浅い傷跡。


「これ」

「分かるもんなのか」

「慣れるとね」


 レイには正直よく分からない。


 森で暮らしていた頃は、“気配”の方を見ていた。痕跡を追うより、近付いてくる魔力や空気の揺れを見る方が早かったからだ。


「キミ、森育ちなのに索敵ちょっと変だよね」

「そうなのか?」

「普通は痕跡見るもん」

「気配で分かるし」

「それ普通じゃないからね?」


 その後も気配を隠しながらゆっくりと森を進み続ける。


 その時だった。


 前方の茂みが音を立てて揺れる。

 低い唸り声。


 エアルが小さく息を止めた。


「……いた」


 木々の隙間から現れたのは、灰色の毛並みをした狼型の魔物だった。


 普通の狼より一回り大きい。喉の奥から低い唸り声が漏れ、口元から覗く牙は黒ずんでいる。


 灰牙狼。


 一頭。

 いや、奥にもう二頭いる。

 こちらにはまだ気が付いた様子はない。


「三頭か」

「依頼達成だね」


 エアルが杖に手を添える。

 だが、その横をレイが前へ駆け出す。


「え、待っ――」


 気が付いた灰牙狼が地面を蹴り、飛び掛かってくる。


 それに対し、半歩だけの踏み込みに止め、噛み付こうとしてきた狼の首元へ剣を滑り込ませる。


 血飛沫。

 そのまま勢いを殺さず身体を流す。


 横から飛び込んできた二頭目の爪を避け、振り抜きざまに喉元へ剣を突き刺した。


 残る一頭が唸りながら後退する。


「逃げ――」


 逃がさない。


 言い終わるより早く、レイは地面を蹴っていた。

 木々の間を抜け、最後の一頭へ距離を詰める。


 向き直った灰牙狼が牙を剥いた瞬間、下から振り抜いた剣がその身体を斬り裂いた。


 静かになる。

 風だけが木々を揺らしていた。


「……終わった」


 振り返る。終わってみれば返り血すら浴びてない。

 エアルは少し離れた場所で固まっていた。


「え、いや……終わるの早いよ?」

「三頭だけだったし」

「そういう問題かなぁ…?」


 呆れたように言いながらも、途中から笑いを堪えきれていなかった。


「普通はもっと危ないんだよ」

「そうなのか?」

「そうなの!」


 小さく息を吐きながら近付いてくる。

 けれど、その表情はどこか安心したみたいにも見えた。

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