第15話 また明日
外は昼前の熱気がむわりと肌へ纏わり付くようだった。
訓練場で暴れ回ったせいか、まだ身体の奥に熱が残っている気がする。
通りには既に人が溢れ始めていて、荷車の軋む音や露店の呼び込みが絶え間なく重なり合っている。焼き肉の煙、香草の匂い、焼き立てのパンの香りまで風に混ざり、朝よりも街全体が緩んだ空気へ変わっていた。
「……腹減った」
自然と零れた声に隣を歩いていたエアルが、しょうがないなぁ、といった顔で笑う。
「美味しいとこ連れてってあげるから我慢!」
後ろでは訓練場の修繕がどうとか叫んでいた気がする。
たぶん気のせいではない。
「どのお店がいいかな?」
「どんなのがある?」
「いっぱいあるよ? シチューのお店とか、パン屋さんとか――」
「肉だな」
即答すると、こちらにじっとりした目を向けてくる。
「最後まで聞こう?」
「でも結局肉だろ」
「また言ってる……」
肩を落としながらも、どこか楽しそうだった。
ちょうど通りの向こう側では串焼き屋が煙を上げていて、焼けた脂の匂いがこちらまで流れてくる。視線が自然とそちらへ向いた瞬間、エアルは堪えきれないと言った風に吹き出した。
「ほら、もう反応してる」
「いやあれは仕方ないだろ……」
くすくすと笑いながら、そのまま慣れたように露店通りを抜けていく。
昼前だからか、街は活気に満ちていた。
露店の前では商人同士が怒鳴り合うみたいに値段交渉をしていて、その横を木箱を抱えた配達人が半ば突っ込むように走り抜け、すぐさま荷物を置いていく。危なっかしいな、と思った直後、今度は昼間から酒を飲んでいる冒険者達の笑い声が飛んできた。
相変わらず騒がしいのは、好きになれない。
それでも、森にいた時みたいに鐘だけに意識を引っ張られる事は減っていた。人の声や足音、鍋の煮える音や笑い声まで混ざり合っているせいで、耳も自然とそちらへ流れていく。
「こっちこっち」
エアルに連れられて入ったのは露店通りから少し外れた小さな食堂だった。
暖簾を潜る。
昼にはまだ早いのか席は半分ほど空いている。奥では店主らしい男が大鍋をかき回していて、肉と香草の匂いが湯気と一緒に店の中へ広がっていた。
席へ座るなり、壁一面に貼られたメニューを見上げる。
「やっぱ肉多いじゃん」
「だからって最初から肉しか見てないのどうなの……」
結局、串焼きと肉スープ、焼き立てのパンに揚げ焼きされた厚切り肉と野菜を挟んだサンドを頼む事になった。
運ばれてきた串焼きに勢いよく齧り付く。
熱い。
けれど美味かった。
香草の香りと肉汁が口いっぱいに広がり、空っぽだったお腹へ一気に落ちていく。
「……うま」
「ふふ、良かった」
向かい側ではエアルが小さく笑う。森で焚き火を囲んでいた時より、少しだけ距離が近くなった気がした。
店の外からは人々の声が聞こえ続けている。
冒険者らしい笑い声。
商人の値切り交渉。
走り回る子供達の足音。
騒がしい場所のはずなのに、不思議と落ち着いていた。
◇
食事を終えて店を出る頃には、通りの人通りもさらに増えていた。
「あ、そうだ」
エアルが思い出したみたいに足を止める。
「午後から教会へ報告に行かなきゃだった」
「また?」
「うん。昨日は森の調査報告で、今日は依頼完了の方かな。キミは、どうするの?」
そう言った時だけ、少し空気が変わった気がした。
柔らかいままなのに、どこか距離を置くような響き。
「別にする事ないし着いてく」
「えぇ……」
露骨に困った顔をされる。
だけど本気で嫌がっている訳でもなさそうだった。
エアルは少し迷うみたいに視線を揺らした後、
「教会、あんまり面白くないよ?」
と、困ったみたいに笑った。
その言い方が少し気になった。
「……少しだけなら大丈夫かな」
観念したみたいに小さく息を吐き、エアルは歩き出す。
◇
昼の喧騒を抜けながら、二人は中央区画へと向かった。街の中心に近付くにつれ、人々の服装や空気も少しずつ変わっていく。
石畳は綺麗に整えられ、建物の装飾も増えていく。行き交う人々の声色までどこか落ち着いて見えた。
やがて見えてきたのは、巨大な鐘楼。
隣接するのは白亜の建築物。
高く伸びた尖塔と白い壁に刻まれた鐘の紋章。
開かれた正門の向こう側では、大きな噴水がある広場。
祈りを終えたらしい人々が静かに行き交っている。
その光景を見た瞬間。隣を歩いていたエアルの空気が、ほんの少しだけ静かになった気がした。
「……エアル?」
「ん?どうかした?」
笑っている。けれど、
森やギルドで見せていた笑顔とは少し違っていた。
「じゃあ、私。報告に行ってくるね」
少しだけ丁寧になった声でそう言うと階段へ向かう。
「キミはその辺りで待っててね。たぶんそんなに長くならないと思うから」
「あいよ」
軽く手を振ると、エアルはそのまま階段を上がり教会の中へ入っていく。
白い扉が静かに閉じる。
一人残された後、何となく広場を見回した。
街の中心にあるはずなのに、ここだけ妙に静かだった。
噴水の周囲では人々が談笑し、祈りを終えたらしい老夫婦がゆっくりと階段を降りていく。遠く離れた場所では小さな子供が走り回るのを大人が止めていた。親子だろうか?ぼんやりそんな事を考えていた、その時。
「ふふ、珍しそうなお方ですね」
柔らかな声が後ろから聞こえた。
振り返ると、一人の女性が立っていた。
背中の辺りまで流された髪は陽光を受けて淡く揺れ、その色はエアルとよく似ていた。
けれどその雰囲気はまるで違った。
深い蒼色の瞳。
白を基調にした上品な服装。
静かなのに、自然と目を引くような存在感がある。
女性はレイの格好を見ながら、小さく首を傾げる。
「明るい内からそんなに隠していると、逆に目立ってしまいますよ?」
「そうか? 冒険者とかこんな感じじゃないのか?」
「まぁ、そうですの?」
くすり、と笑う。
嫌な感じはしない。
「でも少し気になります。お顔、見せてもらっても?」
「……なんで?」
「怪しい人なので」
即答だった。
レイが半目になる。
女性は楽しそうに肩を揺らして笑う。
「冗談です。でも、少しだけ興味がありますのよ?」
「別にいいけど、怪しいもんじゃないよ……説得力ないだろうけど」
面倒になって、フードを少しだけ持ち上げる。
その瞬間、女性の目がわずかに見開かれた。
「……綺麗」
ぽつり、と零れる。
「何が?」
「いえ。ただ、思っていたよりもっと。ずっと…普通の方だったので」
「どういう意味だよ」
また笑う。
後ろで教会の扉が開く音がした。
「どうやらお連れの方が、戻ってきたみたいですね」
女性が小さく会釈する。
教会から出てきたエアルは、女性の姿を見た瞬間だけ足を止める。
「……ミレア様」
声が変わっていた。
森や街で話していた時より、ずっと丁寧な響き。
ミレアと呼ばれた女性は穏やかに微笑む。
「お疲れ様です、エアル」
「はい……」
短いやり取りだけ。
「それでは、また」
それ以上は何も言わずミレアは教会の中に入っていく。
白い扉が閉じるとエアルも少しだけ視線を落とした。
「知り合い?」
「……うん。そんな感じ」
返ってきた声は、やっぱり少し硬かった。
レイは閉じられた扉を見上げる。
「もう帰ろっか」
エアルが笑う。
けれど、その笑顔はどこか疲れて見える。
レイは数秒だけ教会を眺め、それから肩を竦めた。
「……そうだな」
◇
夕方が近付き始めた街は、昼とは違う騒がしさへと少しずつ変わり始めていた。
店仕舞いを始める露店。
逆に灯りを点け始める酒場。
行き交う人々の流れも、昼とは少し変わっていく。
教会からの帰り道。
「そういえば」
エアルが思い出したように口を開く。
「今日は良さそうな依頼、あんまり残ってなかったね」
「あー、あの紙いっぱい貼ってたやつか」
「遅かったからね。もう少し早く行くと色々あるよ?」
「そんな変わるもんなのか?」
「人気がある依頼はすぐ無くなるからね。護衛に討伐。
採取も簡単なのは朝に取られちゃうの」
「へぇ」
何となく思い返してみると、ギルドの掲示板には大量の紙が貼られていたが、終わった依頼や剥がされた跡もかなり多かった気がする。
「明日の朝なら、ちょうどいい依頼も出てるかな」
「いい依頼?」
「初心者向けの採集とか、森外縁の魔物討伐とかかな。
今日みたいに試験じゃない普通の依頼」
「採集って?」
「薬草取ったり、素材集めたり。鐘花とか夜光茸とか」
「地味だな……」
「初心者向けだもん」
少し呆れたみたいに笑う。
「いきなり危ない依頼なんて行かせないよ。銀級でも新人は新人なんだから」
「少しは戦えるけど、新人なら仕方ないか」
「それは……うん」
何故か視線を逸らされた。
「まぁ、討伐系の方が向いてそうだけど。森外縁なら灰牙狼とか、その辺かな」
「狼か」
「群れだと結構危ないんだよ?」
「へぇ」
実感の薄そうな返事に、小さく息を吐いた。
「キミ、本当に危機感薄いよね……」
「そうか?」
「そうだよ。普通はローエンさんと真正面から殴り合わないの」
「あれは楽しかったな」
即答だった。
エアルがとうとう吹き出す。
「絶対にそう言うと思ったよ……」
呆れているのに、どこか楽しそうだった。
石畳を踏む二人の足音が夕方の通りに小さく響く。
「明日の朝は早めにしないとね」
「そんな取り合いになんの?」
「人気のある依頼、ほんとにすぐ無くなるんだから。護衛依頼とか割いいのは特に」
「へぇ。なんか朝から戦争みたいだな」
「たまになるよ?」
「怖ー」
「全然怖がってないよね」
苦笑する代わりに、軽くこちらの肩を押してくる。
「じゃあ、また明日。朝はギルド前に待ち合わせでもいいかな?」
「了解」
そう返すと、エアルはどこか安心したみたいに笑った。
沈み始めた陽の光が、街並みをゆっくりと橙色に染め始めている。
別れ際、レイは何となく街を見回した。
遠くでは誰かが笑っていて、酒場からはまた騒がしい声が漏れている。荷車の軋む音も、店の呼び込みも、人の足音も相変わらず煩かった。
それでも。
森を出たばかりの頃より、外の空気に少しずつ自分が馴染み始めている事だけは、なんとなく分かった。




