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鐘は鳴り止まない〜ただ一人、君の歌だけが綺麗だった〜  作者: 秘色ひすい
鐘の鳴る街

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第12話 冒険者ギルド

 受付の奥で、白髪の老婆が静かに目を細める。


「坊や。アンタ……リュシアさんの弟子か何かかい?」


 ギルドの中は思っていた以上に騒がしかった。


 昼間から酒を飲んでいる冒険者達が机を囲み、笑い声と怒鳴り声が絶え間なく飛び交っている。空いた皿を抱えた店員がその間を慌ただしく抜け、壁一面に貼られた依頼書の前では武器を背負った連中が紙を睨みながら揉めていた。


「討伐三体で銀貨二十枚は安すぎんだろ!」

「嫌なら受けなきゃいいだろうが!」


 怒鳴り返された男の背後で誰かが吹き出し、そのまま別の机から笑い声が広がる。


 騒がしい。


 なのに、ただ散らかっている感じとは違った。色んな音がぶつかっているのに、不思議と全部が同じ場所に収まっているみたいだった。


 差し出したままの封筒を見ながら小さく首を傾げる。


「あー、弟子っちゃ弟子かな?」

「疑問形なんだ……」


 隣でエアルが呆れた声を漏らした。

 老婆はそんな二人を見比べ、フッと喉の奥で笑う。


「あぁ、なるほどねぇ。確かにあの人らしい」


 そう言いながら、封筒の封を指先で軽く撫でる。その仕草だけで、ただの知人じゃないのだと分かった。


「お知り合いなんですか?」


 エアルが尋ねると、少し遠くを見る様に目を細めた。


「昔、ちょいとね。辺境じゃ割と有名だったんだよ。黒髪の魔法使いなんて珍しいからねぇ」

「師匠が?」

「……アンタ、本当に何も聞いてないんだねぇ」

「まぁ、説明するような人じゃないしな」

「それもそうかい」


 呆れ半分、懐かしさ半分みたいな声だった。

 老婆は封を切り、中に目を通す。


 数秒後。


「……あぁ、はいはい。相変わらずだねぇ」


 深々と溜め息を吐いた。


「なんて書いてあった?」

「要約すると“コイツを冒険者にしろ。宿と飯も適当に世話してやれ”“しばらく帰って来させるな”だってさ」

「あはは……」


 エアルも言葉が出ない様だ。


「あと、“変な女に引っかかる前に常識を覚えさせろ”とも書いてあるねぇ」

「余計なお世話だろ……」


 その時だった。


 近くの机からガタンッ!! と大きな音が響く。


「おい! 誰だ今、椅子引いたやつ!」

「自分で転んだんだろオッサン!」


 酒臭い男が椅子ごとひっくり返り、周囲がどっと笑い声を上げる。


 レイはそちらを見ながら、小さく瞬いた。


 街に来てからずっと思っていたが、人は本当によく喋るし、よく騒ぐ。森の動物達だって鳴きはする。でも、こんな風に何人もの感情が同時にぶつかり続ける事はない。


 怒鳴っていた男が次の瞬間には笑い、別の机では肩を組んで歌い始めている。誰かが依頼書を剥がせば、その横で店員が皿を叩きつけるみたいに置き、奥の厨房では鍋を混ぜる音が絶え間なく響いていた。


「あー……なんか凄いなここ」

「今更?」

「店っていうより戦場みたい」


「まぁ冒険者ギルドだからねぇ」


 老婆が可笑しそうに笑った。


「で、坊や。冒険者登録はするのかい?」

「冒険者って、魔物倒したりするやつだろ?」

「雑な理解だねぇ……」

「でも間違ってはないかな……」


 エアルが苦笑する。


 横の受付では、若い冒険者が受付嬢に食い下がり、


「だからオレ達の方が先に受けてたって!」

「規約違反です。諦めてください」

「そんな殺生なぁ……!」


 別の場所では包帯姿の男が仲間に頭を叩かれている。


「だから突っ込み過ぎだっつっただろ!」

「仕方ねぇだろ、目の前にいたんだから!」


 騒がしい。でも誰も、本気で怒ってはいない。好き勝手に動いているのに、変な熱だけが一つに纏まっていた。


「あー……」


 少し考えた後、レイはエアルを見る。


「一緒に依頼受けるなら、登録した方がいいんだっけ?」

「うん。街の外に出る依頼は、その方が通りやすいかな」


「じゃあやる」


 即決だった。


 老婆はそんな様子を見ながら、小さく頷く。


「登録だけなら今すぐ出来るよ。試験は後日だけどねぇ」

「試験?」

「ランク認定さね。筆記と簡単な実技。普通はそこで新人かどうかを見る」


 そこで言葉を切り、老婆はレイを見る。


「……アンタの場合は、ちょいと面白そうだけどねぇ」

「?」


 意味が分からず首を傾げるレイの隣で、エアルだけが微妙な顔をした。


 森での戦闘を思い出しているのだろう。魔猪を転がし、詠唱を崩しながら魔物を止め、最後には石を投げて吹き飛ばしていた光景を。


「……ほどほどにね?」

「?」

「絶対分かってない顔してる……」


 レイは本当に分かっていなかった。


 老婆は登録用紙を差し出してくる。


「名前」

「レイ」


「姓は?」

「ない。森だしな」


「森でもある人はあるからね!?」


 書類を書いている途中、隣の机で誰かが地図を広げた。


「最近、西側の街道また騒がしいらしいぞ」

「商隊の護衛増えてるって話だな」


 何気なく耳に入った会話に、エアルが少しだけ視線を向ける。だが冒険者達はそのまま酒の話へ移ってしまった。


 老婆はその様子を横目に見ながら、登録札を机に置く。


「仮登録だ。試験までは見習い扱いだけどね」

「へぇ……」


 手のひらサイズの金属札だった。

 表面には、小さな鐘の紋章が刻まれている。


 指先で触れた瞬間、微かに魔力の感触が返ってきた。


「これ、なんか入ってる?」

「……簡易認証魔法さ。偽造防止だよ」

「ふーん……」


 さらっと答えたが、普通に感知している時点でだいぶおかしい。


 エアルが嫌な予感をした顔になる。


「……試験、本当にほどほどにしてね?」

「だから何が?」


 本当に分かっていない。

 老婆が堪えきれず吹き出した。


「まぁいいさ。試験は早けりゃ明日にでも。それまでは街を見て回るといいよ。オーデンスは退屈しない街だからねぇ」


          ◇


 ギルドを後にすると西日が石畳を赤く染め始めていた。

 昼間より、人が増えている。


 酒樽を運ぶ男達が通りを塞ぎ、露店商達は慌ただしく灯りを吊るし始めていた。焼き串の煙と香辛料の匂いが混ざり、旅芸人の弦楽器に合わせて子供達が笑いながら駆け回っていく。


「うわ、危なっ」


 すぐ横を荷車が勢いよく通り抜け、レイのコートが風に煽られた。


「ちゃんと避けてね!」

「いや急に来たんだけど」

「街は急に来るの!」

「理不尽だなぁ」


 エアルが笑いながら人混みを縫っていく。

 レイはその後ろを追いながら、何度も周囲に視線を向けていた。


 昼間とは違う。

 街全体が、これから夜に向かって形を変え始めている。


 閉まり始める店。逆に灯りを増やしていく酒場。仕事帰りらしい人の流れ。鍛冶場から響く最後の金属音。それらが混ざり合い、一日が終わるというより、街そのものが別の顔に変わっていくみたいだった。


「……なんか、生き物みたいだな」

「街が?」

「ん。ずっと動いてる」


 誰かが帰る横で、別の誰かが働き始める。笑い声が遠ざかったと思えば、次の通りではまた別の騒ぎが起きている。


 止まらない。

 森みたいに静かにはならない。


「宿、どうする?」

「おすすめある?」

「あるよ。安いし、ご飯美味しいとこ」

「それ大事だな」


 エアルが可笑しそうに笑った。

 案内された宿は、ギルドから少し離れた通りにあった。


 入口には小さな鐘飾り。

 扉を開けた瞬間、煮込み料理の匂いが流れてくる。


「いらっしゃ――あら?」


 受付にいた女将がエアルを見る。


「あんた久しぶりじゃないかい」

「こんにちは。また少しお世話になると思います」


「おや、その子は?」


 視線がレイに向く。

 フードを被っていても、目立つものは目立つらしい。

 女将は一瞬きょとんとした後、にやりと笑った。


「彼氏かい?」

「ち、違いますよ!?」


 エアルが即座に否定する。


「違う違う! 旅の途中で会っただけですから!?」

「へぇ?」


 完全に信じてない顔だった。

 そのやり取りを見ながら首を傾げる。


「前も聞いたけど、彼氏ってなんだ?」

「そこからなの!?」


 エアルが顔を赤くすると、女将が吹き出した。


「ははっ、面白い子連れてるねぇ」


          ◇


 荷物を置いた後、二人はそのまま宿の食堂で晩ご飯を食べる事になった。


 夕食時らしく、食堂はかなり賑わっている。


 冒険者らしい連中が大皿を囲み、隅では商人達が酒を飲みながら地図を広げていた。厨房からは鍋を混ぜる音が響き、焼けた肉と香草の匂いが店中に流れている。


「おすすめ定食を二つお願いします!」


 エアルが慣れた様子で注文すると、女将が「はいよ」と笑いながら奥に引っ込んでいった。


 レイは椅子に腰を下ろし、店内を見回す。


 壁には魔物素材らしい角や牙が飾られ、天井近くには小さな鐘が幾つも吊るされていた。客が入る度に揺れ、ちり、と軽い音を鳴らしている。


 大鐘楼みたいな不快感はない。

 でも、やっぱり街は音が多い。


「……街の店って、どこもこんな感じなのか?」

「んー、オーデンスは特に賑やかかも。辺境都市だし、人の出入り多いから」


 エアルは水を飲みながら答える。


「冒険者も商人も旅人も集まるし。詠唱学校も教会もあるから、色んな人が来るんだよ」

「なるほどなぁ……」


 隣の席では弓を背負う男達が討伐依頼の話をしていた。


「西側の街道、また狼増えてるらしいぞ」

「最近多いな」


 別の席では、蒼族らしい女性達が歌うみたいな発音で会話している。


 完全には聞き取れない。

 でも、その響きは妙に耳に残った。


「キミ、さっきからずっと見てるね」

「面白いからな」

「なにが?」

「全部」


 即答だった。


 人。店。食べ物。知らない言葉。見た事のない服。聞いた事のない音。


「……ほんと田舎から出てきた子みたい」

「実際そうだろ」


 エアルがくすっと笑った。

 そのタイミングで料理が運ばれてくる。


 木皿に盛られた肉の煮込み。香草入りのシチュー。焼き立ての黒パン。それに、小さな魚を香ばしく焼いた料理まで並んでいた。


 湯気と一緒に濃い香りが立ち昇る。


「うまそう」

「でしょ?」


 レイは早速パンを千切り、シチューに浸した。


 口に入れた瞬間、思わず目を見開く。


「……うま」

「ふふっ、顔」

「いやこれ凄いな」


 森で食べていた料理も美味かった。


 でも、全然違う。


 保存肉と香草だけじゃない。色んな味が重なっている。


「街ってすげぇな……」

「またそれ言ってる」


 エアルが笑う。


 レイはシチューに浸したパンを口に放り込みながら、ぼんやり周囲を見回した。


 誰かが歌い始め、それに別の誰かが手拍子を重ねる。笑い声が広がり、厨房ではまた鍋が鳴る。


 騒がしい。

 なのに、不思議と嫌じゃなかった。


「……人が生きてる音する」


 ぽつり、と漏れる。


 エアルは少し目を丸くした後、小さく笑った。


「んー、なんかわかるかも」


 人が喋って、人が働いて、人が笑う。その全部が重なって、一つの流れみたいになっている。


「オーデンス、好き?」


 エアルが聞く。


 レイは少し考え、それから頷いた。


「鐘は好きになれないだろうな」

「そこは変わんないんだ……」


「でも、街は嫌いじゃない」


 そう言うと、エアルは少し嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見ていると、街の騒がしさまで少し柔らかく感じる。一人だったら、きっとここまで落ち着かなかった。


「……?」

「いや、なんでもない」


 小さく首を傾げたエアルから視線を逸らし、レイはスープを飲んだ。


          ◇


 食事を終える頃には、外はすっかり夜になっていた。


 宿の窓から見える街には灯りが増え、昼間よりむしろ賑やかになっている。遠くではまだ演奏の音が聞こえていた。


「じゃあ、わたしそろそろ教会戻るね」


 宿の入口で、エアルが小さく息を吐く。


「あ、そっか」


 そういえば、別行動になるのは初めてだった。


 森を出てからは、ずっと隣にいた。朝起きればエアルがいて、一緒に歩いて、飯を食って、話して。それが自然になっていたらしい。


「明日、依頼見に行こっか」

「行く」


 即答だった。


 エアルが少し笑う。


「まだ何時頃かも言ってないのに」

「でも行くだろ」

「まぁ、行くんだけど」


 くすっと笑った後、エアルは少し真面目な顔になる。


「街、迷わないでね?」

「多分大丈夫」

「大丈夫かなぁ……」


 完全に信用されてなかった。


「朝、迎え来る?」

「じゃあ、お願い」

「ふふっ、起こしに来てあげるよ」


 その言葉が妙に嬉しかった。


 エアルは軽く手を振る。


「じゃあまた明日ね」

「また明日」


 離れていく背中を、レイはしばらく見送っていた。


 その時だった。


 ――コォォォン……


 空気が震える。


 街全体を包み込む様に巨大な鐘の音が夜空に広がった。


 反射的にレイの眉が寄る。


 昼間、見上げた鐘楼。

 あそこから鳴っている。


 重い。


 村の鐘より遥かに深く、空気の奥まで響いてくる。耳じゃない。もっと内側を直接擦られているみたいだった。


 ――コォォォン……


 二度目の音が夜に広がる。


 周囲の人々は足を止め、どこか安心したような顔で鐘を聞いていた。


 祈るように目を閉じる者。胸元で印を切る者。静かに空を見上げる者。


 レイだけが、その音を好きになれなかった。

 巨大な何かが、無理やり鳴き続けているみたいで。


「……うるさいな」


 ぽつり、と漏れる。


 明日は何をするんだろう。どんな依頼があるのか、またエアルと街を歩くのか、知らない事ばかりなのに、不思議と嫌じゃない。


 鐘の音が夜に溶けていく中、レイはゆっくり空を見上げた。オーデンスの夜は、まだ眠りそうになかった。

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