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鐘は鳴り止まない〜ただ一人、君の歌だけが綺麗だった〜  作者: 秘色ひすい
鐘の鳴る街

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第11話 鐘街オーデンス

 街道を進むにつれ、道の空気が少しずつ変わっていく。


 草と土の匂いに混じって乾いた煙の香りが流れてきた。荷車の車輪が石を擦る音に、馬の嘶きと誰かの怒鳴り声が重なり、その間を縫うみたいに人の話し声が絶え間なく続いている。森では風と鳥の声くらいしか耳に入らなかったのに、今は何もしなくても次々と音が流れ込んできた。


 街道を行き交う人影も増えている。


 大きな荷を背負った商人。槍を担いだ冒険者。白い法衣を纏った巡礼者らしき集団。道端では鎧姿の男達が酒瓶を回しながら笑い、先を行く馬車の列からは乾草と獣の匂いが漂ってきた。


 誰もが当たり前みたいに、街に向かって歩いている。


 少し前まで乗せてもらっていた商人の馬車は、途中で西市場方面へ向かう隊列と合流して別れていった。荷台の上から「また縁があったら乗せてやる!」と笑う声が飛び、別方向へ流れていく荷車の列を見送りながら、二人はそのまま街道を歩き続ける。


「……増えてきたな」


 周囲を見回しながら呟くと、前を歩いていたエアルが振り返った。


「もう街の近くだからね。ここから先は、オーデンスに向かう人ばっかりだよ」


 そう言いながら、人混みを避けるみたいに少しだけ近くへ寄ってくる。


 レイは小さく息を吐いた。


 うるさい。


 嫌という程じゃない。でも静かな森と違って、人が喋っているだけで空気そのものがざわついて感じる。馬車が横を通る度に音と匂いと人の気配が重なり、その度に頭の奥を細かく叩かれているみたいだった。


 無意識に視線が周囲を追う。


 擦れ違う旅人。

 絶え間なく続く足音。

 荷車の軋み。

 呼び声。

 笑い声。


 止まる事なく流れ込み続けてくる。


「大丈夫? 体調悪くない?」


 エアルが少し心配そうに顔を覗き込む。


「んー……まぁ」


 曖昧に返すと、エアルはレイの顔を見上げながら少し考え込んだ。


「やっぱりフード被っとこっか」

「なんで?」


「視線、集まってるから」

「……そうか?」

「そうなの」


 即答だった。


 そう言いながらエアルは黒コートのフードを軽く引き上げ、乱れていた前髪を整えるみたいに指先で払った。


「これでちょっとはマシかな」

「そんなに変わるか?」


「変わるよ。キミ、自覚ないけど結構目立つから。街でも被っといた方がいいと思う」


「ふーん、そんなもんか。……あ」


 レイの足が止まる。


 丘を越えた先。

 灰白色の巨大な城壁が視界いっぱいに広がっていた。


 積み上げられた外壁は森の大樹より遥かに高く、等間隔に並ぶ塔の上では弓や長槍を持った兵士達が街道を見下ろしている。胸壁の隙間には弩まで並び、城壁の下では街に入る旅人達が長い列を作っていた。


 さらに、その向こう側。


 街の中央から、空を押し上げている様に巨大な鐘楼が聳えている。


 陽光を受けた白亜の鐘楼は、ただ高いだけじゃなかった。空そのものを押さえ込んでいるみたいな圧がある。街全体が、あの鐘楼を中心に積み上がっているみたいだった。


「……でっか」


 ぽつり、と声が漏れる。


 村とは比べ物にならない。

 壁の向こうだけで、一つの世界みたいだった。


「ここが西の辺境で一番大きな街だよ」


 隣に並んだエアルが、少しだけ誇らしげに笑う。


「鐘街オーデンスへようこそ!」


 レイは返事を忘れたまま鐘楼を見上げていた。


 話には聞いていた。でも、実際に見るのとは全然違う。大きいとか高いとか、そんな言葉じゃ足りない。人が集まって、積み上げ、長い時間をかけて形にした“何か”が、あそこには確かに存在していた。


「……すげぇな」


 自然と口から零れる。

 エアルはそんなレイを見て、小さく目を細めた。


          ◇


 正門に近付くにつれ、人の流れはさらに増えていった。


 旅人達は列を作り、兵士達が順番に荷物や身分証を確認している。商人らしき男が通行証を差し出しながら何かを説明し、その隣では冒険者達が気怠そうに順番待ちをしていた。


「結構厳しいんだな」

「最近は魔物も増えてるし、街は何処もこんな感じかな」


 そう言いながらエアルは懐から銀色の紋章を取り出し、近付いて来た衛兵に差し出す。


 鐘と翼を模した教会紋章。


 それを見た瞬間、衛兵の表情が変わった。


「聖教会所属の方でしたか」

「はい。調査依頼から戻りました」


 短いやり取りのあと、衛兵の視線がレイへ向く。


「そちらは?」

「同行者です。調査補助をお願いしていました」


 衛兵は少しだけレイを見たあと、頷いた。


「確認しました。どうぞ」


 そのまま開かれた門の中を潜り、巨大な城壁の影を抜けた瞬間、一気に熱気が押し寄せた。


「うわっ……」


 思わず足が止まる。


 すぐ横を荷車が通り抜け、跳ねた泥水が石畳に散った。通り沿いでは肉が焼かれ、油の弾ける音と香辛料の匂いが混ざりながら流れてくる。呼び込みの声に値段交渉の怒鳴り声、笑い声、鍛冶場から響く金属音まで重なり続け、人波そのものが街を動かしているみたいだった。


 建物も高い。


 石造りの商館や教会建築の間に、木造の宿屋や工房が肩を寄せるように並び、見上げれば渡し干しされた洗濯物が通りの上を横切っている。色ガラスの窓には陽光が反射し、露店には見た事もない果物や魔道具が雑多に積み上げられていた。


 森とは何もかも違う。


 風じゃない。

 人の営みそのものが、景色を動かしていた。


 通りを歩く人波に押されそうになり、レイは一瞬だけ立ち止まりかける。その袖をエアルが軽く引いた。


「止まるとぶつかるよ」

「……人多すぎだろ」


「まだ外周だからね。中心の方はもっと凄いよ?」

「マジかぁ……」


 その時。


「《火よ、灯れ》」

 通りの端で短い詠唱が響く。


 次の瞬間、屋台の竈に火が灯った。

 レイの視線がそちらへ向く。


 かなり簡略化された詠唱だった。言葉を削り、必要最低限だけで無理矢理形にしている。それでも魔法として成立している辺り、扱いには慣れているのだろう。


「生活魔法だね」


 エアルが人混みを避けながら説明する。


「オーデンスは詠唱学校があるから、魔法使いが多いの。街の人も普通に使うよ」


「へぇ……」


 歩きながら周囲を見回すと、人族以外の姿も多かった。


 露出を抑えた涼しげな装束を纏った翠族の女性が、長い耳を揺らしながら香草を選んでいる。鋼族の職人達は煤で汚れた太い腕で木箱を抱え上げ、蒼族らしき男は青みがかった髪を揺らしながら、水瓶片手に露店商と笑い合っていた。


 村では見なかった光景ばかりだった。


「……ほんとに色々いるんだな」

「辺境都市だからね。この辺りに来る人は多いし、交易も盛んだから」


 エアルは慣れた様子で人混みを抜けていく。


 時折、教会関係者らしき人に軽く会釈を返したり、道端の露店主へ手を振ったりしている姿を見ると、この街に馴染んでいるのが自然と分かった。


「エアルって、結構ここ来てるんだな」

「ん?」


「迷わないし」

「調査とか教会の手伝いでね。滞在する事も多いかな」


 そう言って少し苦笑する。


「まぁ、人混みは今でも慣れないけど」

「オレも嫌」


 二人は顔を見合わせて小さく笑った。


 その時だった。


 視界の先に、再び巨大な鐘楼が入り込む。

 近くで見ると、外から見えていた時より更に大きい。


 塔の表面には幾重にも彫刻が刻まれ、上層部には巨大な鐘が吊るされている。街の中央に立っているだけなのに、その存在感だけで空気が沈んでいるみたいだった。


 ぞわり、と背筋を冷たいものが撫でる。


 まだ鳴っていない。


 静かなはずなのに、耳の奥には妙な圧迫感だけが残っていた。村の鐘よりずっと重く、音になる前の響きが空気の底へと沈んでいくみたいで、知らないうちに呼吸が少し浅くなる。


 レイの眉が僅かに寄った。


「……どうかした?」


 エアルが不思議そうに覗き込む。

 思わず鐘楼から視線を外す。


「いや。なんか圧あるなって」

「街の鐘楼だからね」


 エアルは鐘楼を見上げながら、小さく笑った。


「夜になると灯りがついて綺麗なんだ。わたし結構好き」


 レイは曖昧に頷いた。


 綺麗。

 そう思える気はしない。


 でも周囲の人達は、誰も気にしていなかった。


          ◇


 その後も二人は街を歩き続ける。


 教会近くでは子供達が歌の練習をしていて、鐘楼周辺では制服姿の学生達が詠唱を口にしながら慌ただしく行き交っていた。楽器店の軒先に吊るされた金属楽器が風に触れる度に小さく共鳴し、露店街では旅芸人が歌を披露して人集りを作っている。


「……なんか、すげぇな」


 ぼんやり呟きながら周囲を見回していると、不意に香ばしい匂いが鼻を掠めた。


「なんかいい匂いする」

「聞いてた!?」


 完全に屋台へ意識が向いていた。


 炙られる肉。焼き立てのパン。甘い果実酒。香辛料の混ざった煙が流れる度に、空腹が刺激される。


 エアルは呆れたみたいに笑った。


「ほんと食べ物好きだよね……」

「腹減るだろ」


「さっき食べたでしょ?」

「歩いたから減った」

「育ち盛りなのかなぁ……」


 結局、焼き串を一本買う事になった。


 炙られた肉に香草が振られていて、噛むと肉汁と一緒に塩気が広がる。


「……うま」


「美味しそうに食べるね」

「エアルも食う?」


「食べようかな」


 自然と半分こになった。

 そのまま食べ歩きながら街を進んでいく。


 人混みは苦手だし、鐘も嫌だ。

 でも、それだけじゃない。


 歩く度に、森では見た事のない景色が次々流れてくる。


 風に触れる度に音を鳴らす楽器店。

 怪しげな物から便利そうな物まで並ぶ魔道具屋。

 色鮮やかな布を吊るした露店。

 歌いながら歩く旅芸人。


 知らない世界が、街の熱と一緒に流れ込み続けていた。


          ◇


「で、ここが冒険者ギルド」


 最後に辿り着いたのは、西区画の外れ近くに建てられた大きな建物だった。


 石造りの外壁に木製の増築部分が繋がっていて、酒場と一体化しているのか、中からは笑い声と食器のぶつかる音が聞こえてくる。入口近くには武器を背負った冒険者達が集まり、壁には大量の依頼書が貼られていた。


 レイは建物を見上げる。


「……ギルドって一個じゃないのか?」

「オーデンスは広いからね」


 エアルが答える。


「商業ギルドとか、共鳴術師ギルドとか色々あるよ」

「へぇ……」


 感心しながら見回していると、エアルが思い出したように口を開いた。


「あ、そうだ」

「ん?」


「キミ、手紙あるって言ってたよね?」

「あー」


 レイはコートの内側から封筒を取り出した。


 少し古びた封。裏には、リュシアの文字。


 エアルがそれを見る。


「誰宛て?」

「知らん」

「知らないの!?」


「ギルドに持ってけって言われただけだし」

「適当だなぁ……」


 二人で受付へ向かう。


 受付に座っていたのは、小柄なおばあちゃんだった。

 白髪混じりの髪。柔らかく細められた目。


「依頼かい?」

「いや、手紙」


 レイが封筒を差し出す。


 老婆は何気なく受け取り――そのまま指を止めた。

 細められていた目が、ゆっくり封の文字へ落ちる。


 隣でエアルが不思議そうに首を傾げた。


「……これは」


 小さく漏れた声。


 老婆はしばらく黙った後、ゆっくりレイを見上げた。

 その目は、昔の誰かを探しているみたいだった。


「坊や」


「ん?」


「アンタ……リュシアさんの弟子か何かかい?」

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