第90話 いつもの巡回
朝の霧は薄い。
視界は開けている。
でも、完全に晴れることはない。
レブラートの街は今日も変わらない。
人は歩いている。
店も開いている。
声もある。
それでも、どこか静かだ。
「異常なし」
レオンが呟く。
横を歩くマルタが短く返す。
「ああ」
巡回もいつも通りに。
路地を一つ曲がる。
視線だけで確認する。
影はない。
匂いもない。
「楽だな、今日は」
レオンが言う。
「こういう日もある」
マルタは前を見たまま。
「逆に気持ち悪いけどな」
「慣れろ」
短い返答。
それで会話は終わる。
少し歩いて、住民とすれ違う。
「ああ、司祭さん」
年配の男が声をかける。
「どうも」
レオンが軽く手を上げる。
「最近はどうだ?」
「まあ、ぼちぼち」
曖昧に笑う。
「夜は出歩くなよ」
マルタが言う。
「分かってるよ」
男は頷く。
それで終わる。
何も起きない。
それが普通。
でも、少しだけいつもとは違った。
レオンは、無意識に周囲を見る回数が増えている。
マルタは、判断を下すまでの間が短くなっている。
ほんの少し。
でも確実に。
そのとき。
細い路地の奥に一瞬だけ、白い影。
レオンの足が止まる。
「見たか」
「ああ」
マルタも同じ方向を見る。
でも、もういない。
静かだ。
「行くか?」
レオンが聞く。
「いや」
マルタが首を振る。
「距離を保て」
判断は早い。
「追わねえのか」
「必要ない」
短く言う。
「今はな」
それで終わる。
そしてまた、歩き出す。
そこから少し離れたところ。
別の通り。
イレーネは同じように歩いていた。
相変わらず、何も変わらない。
ただ、少しだけ違う。
“間”がある。
人との距離。
視線の流れ。
避けられているわけじゃない。
でも、近づかれない。
「……まあ、そうだよね」
小さく呟く。
止まらずにそのまま歩く。
遠くで、子供の笑い声が聞こえる。
一瞬だけそちらを見て、すぐに視線を逸らした。
「……元気だね」
それだけ言う。
感想以上でも以下でもない。
そのとき、ほんのわずかに空気が揺れた。
視線を感じた。
でも、昨日までとは違う。
軽い。
でも、均一。
“測られている”。
イレーネは気にしない。
「……どうでもいいけど」
ぽつりと言う。
でも、その“どうでもいい”が少しだけ遅れた。
ほんの一瞬だけ。




