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やがて霧に還る  作者: いづくにか
セラフィナ編
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第86話 そのままでいること

 霧はいつもより少しだけ濃かった。


 レブラートの通りは静かだ。


 人の気配はある。


 でも、遠い。



 イレーネは歩いていた。


 理由はない。


 行き先もない。


 ただ、歩いている。



 視線は上げない。


 周囲も見ない。


 それでも、分かる。


 少し離れた位置。


 一定の距離。


 “いる”。


 足音はほとんどしない。


 でも、消してはいない。



 教会の監視。


「……まあ、そうなるよね」


 小さく呟く。


 特に困らない。


 特に気にもならない。


 近づいてくるわけでもない。


 攻撃されるわけでもない。


 ただ、見られているだけ。


「……それなら、別にいいか」


 静かに歩き続ける。



 でも、それだけじゃない。


 もう一つ。


 もっと曖昧なもの。


 はっきりしない。


 でも、ある。


 視線を感じる。


 重さはない。


 圧もない。


 でも、消えない。


「……いるよね」


 ぽつりと呟いても返事はない。


 でも、間違いなくいる。



 ルキウス。


 姿は見えない。


 気配もほとんどない。


 でも、“見ている”。



 イレーネは止まらない。


 振り返りもしない。


「……どうでもいいけど」


 小さく言う。


「……見てて、何か変わるのかな」


 答えはない。


 でも、少しだけ考える。


 あのときのこと。


 倒れていた人間。


 震えていた身体。


 止まった呼吸。


 全部、そのまま。



「……あの人、助けられたのかな」


 ぽつりと出る。


 けれど、すぐに自分で止める。


「……まあ、どっちでもいいか」


 続ける。


 ほんの少しだけ、間があった。



 また、歩きだす。


 足は止まらない。


 でも、どこにも向かっていない。


 ただ、“ここにいる”。


 それだけだった。




 遠くで、鐘の音が鳴る。


 教会の鐘。


 誰かが祈る時間。


 イレーネはそれを聞く。


 意味は考えない。


 ただ、聞く。


 少しだけ、目を閉じる。


 何も変わらない。


 何も決まらない。


 それでも、そのままでいる。


 誰にも選ばれず、誰も選ばず、ただそこにいる。


 それを、見ているものがいる。


 それを、見ているものたちがいる。


 イレーネは、気にしない。


 でも、消えない。


 どこにも行けないまま、ただ残っている。





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