第85話 正しさの配分
部屋は、落ち着いていた。
重厚な机。
整えられた空気。
外の霧とは、切り離された空間。
その中央に、一人。
司祭長。
背筋は伸びている。
視線は柔らかい。
声も、穏やかだった。
「……では」
静かに言う。
「報告を」
マルタが前に出る。
「昨夜、外縁部にて接触」
簡潔に報告する。
「対象は二体」
「一体は既知の個体、ルキウス」
一拍。
「もう一体は、イレーネと名乗る女」
言葉を選ばない。
事実だけを淡々と。
「被害者一名。処理済み」
司祭長は頷いた。
「エリアス」
「はい」
エリアスが一歩出る。
「状況補足を」
「現場にて、対象イレーネは明確な敵対行動を示さず。しかし、吸血衝動と思われる反応を確認。また、ルキウスは意図的に状況を操作していた可能性が高い」
淡々と続ける。
「以上より、本件は単独事象ではなく、継続的な干渉の一部と判断します」
司祭長は、静かに目を閉じた。
一瞬だけ、思考の間。
「……レオン」
「はい」
短く応じる。
「現場の印象は」
「……妙でしたね」
少しだけ言葉を選ぶ。
「敵って感じでもないし、でも、放っといていい感じでもない……そんな感じです」
曖昧な表現。
司祭長は、ゆっくりと頷く。
「ありがとうございます」
そして、全員を見渡した。
視線は優しい。
責める気配はない。
「結論を述べます」
静かに言う。
「ルキウスは、危険度最大の個体として扱います。接触は極力回避。遭遇時は単独行動を避け、即時報告を」
誰も異論はない。
「次に、イレーネ」
一拍置く。
「現時点で、排除の必要はありません」
空気は動かない。
自然な判断だった。
「しかし」
続ける。
「監視対象とします。接触時は距離を保ち、行動を観測。不用意な刺激は避けてください」
ここまで、完全に合理的だった。
そして、ほんの一瞬。
「……まだ」
わずかに、言葉を置く。
「使える段階ですから」
静かに言う。
誰も、すぐには反応しない。
間が一つ。
エリアスが頷く。
「合理的判断かと」
迷いはない。
マルタも、小さく息を吐く。
「まあ、今はな」
短く言う。
納得している。
レオンだけが、ほんの少しだけ視線を逸らす。
その言葉が、どこか引っかかる。
でも、否定はしない。
ユリウスは、黙っていた。
何も言わなかった。
ただ、理解していた。
この人は、正しい。
そして、少しだけ、違う。
「最後に」
司祭長が言う。
「ユリウス」
「……はい」
「引き続き、巡回に参加してください。接触経験は貴重です」
静かな言葉。
「……了解」
短く答えた。
拒否する理由はなかった。
司祭長は微笑む。
「皆さんの判断は、常に正しいものです。自信を持って行動してください」
優しい声。
温かい言葉。
それに、誰も疑問を持たない。
ただ一人を除いて。
ユリウスは、その言葉を聞きながら、少しだけ目を細めた。
“正しい”という言葉が、ほんのわずかに重く感じられた。




