第84話 処理
部屋は静まり返っていた。
呼吸の音だけが、かすかに響いていた。
ベッドの上。
人間は、まだ生きている。
不安定な呼吸で時折、身体が震える。
内側で何かが進んでいる。
それを、全員が理解していた。
マルタがさらに一歩前に出る。
迷いはなかった。
レオンが、わずかに視線を落とす。
エリアスは、静かに目を閉じる。
ユリウスは、動かない。
そのまま、見ていた。
「……やるぞ」
マルタが言う。
誰も止めない。
止められない。
マルタの手が、静かに動いた。
無駄のない動き。
白い刃が、わずかに光る。
その瞬間。
人間の呼吸が、一瞬だけ整った。
目が、ほんのわずかに開く。
焦点が合う。
誰かを見る。
それが誰かは、分からない。
でも、確かに“戻った”。
一瞬だけ。
ユリウスの指が、わずかに動く。
でも、それだけだった。
そして次の瞬間、終わった。
音は、ほとんどない。
呼吸が、止まる。
静寂。
マルタは、手を引く。
表情は変わらない。
ただ、確認する。
「……終了」
短く言う。
レオンが、視線は外したまま小さく息を吐いた。
エリアスが、静かに祈る。
言葉は小さい。
でも、迷いはない。
それは、慰めじゃない。
“正しい行い”の確認だった。
ユリウスは、何も言わなかった。
ただ、見ていた。
終わったものを。
そして、終わらせた側を。
やがて、マルタが振り返る。
「これで確定だな」
低く言う。
「ルキウスが動いてる」
レオンが頷く。
「間違いねえな」
エリアスも、静かに口を開く。
「警戒レベルを引き上げます……全巡回班に通達を。単独行動は禁止、異常個体との接触は即時報告」
一つ一つ、線が引かれていく。
「……あと」
マルタが言う。
「あの女…イレーネだったか、あれも対象に入れる」
空気が、少しだけ変わる。
「同意します」
エリアスが言う。
「現時点で敵対行動は確認されていませんが、リスクが高すぎる。監視対象に指定します」
決定だった。
レオンは、少しだけ間を置く。
「まあ、そうなるよな」
小さく言う。
納得しきれてはいない。
でも、理解はしている。
ユリウスは、黙ったままだった。
何も言わない。
言えない。
その沈黙の中で、すべてが決まっていく。
外では、霧が少しだけ濃くなっていた。
見えないものが、確実に増えている。




