第71話 選んだあとに残るもの
距離は、もう一歩で触れられるところまで縮まっていた。
セラフィナは動かない。
逃げない。
でも、近づかない。
ユリウスも、それ以上は踏み込まない。
そこで止まる。
ほんのわずかな距離。
でも、越えない。
静かな時間が流れた。
呼吸の音だけが、微かに重なる。
ユリウスが口を開く。
「……お前が選ぶなら」
ゆっくりと、落とすように。
「なんでもいい」
空気が、わずかに揺れる。
「……でも」
続ける。
「……お前、いつも綺麗だろ」
セラフィナの視線が、揺れた。
初めて、はっきりと。
「……今も」
息が、詰まる。
苦しい。
でも、もう逃げない。
ゆっくりと、セラフィナが一歩、前に出た。
距離が、消える。
迷いはない。
選んだ。
今、ここで。
手が、ユリウスの腕に触れる。
冷たい。
でも、確かにそこにある。
顔を寄せる。
躊躇はない。
そして、静かに、噛みついた。
鋭い痛み。
血の匂いが広がった。
でも、すぐに口を離す。
ほんの少し。
それだけ。
セラフィナの呼吸が、わずかに整う。
でも、足りない。
それでも、それ以上はしない。
しないと決めたから。
ユリウスは何も言わなかった。
ただ、その様子を見ていた。
そして、自分の懐に手を入れ、ナイフを取り出した。
迷いはなかった。
刃を、自分の腕に当て、そのまま引く。
血が、溢れた。
そのまま、下に垂らす。
「……飲め」
短く言った。
セラフィナが、目を見開く。
理解が追いつかない。
「……お前が選んだなら」
続ける。
「……俺はそれでいい」
息が、震える。
差し出された血。
自分からじゃない。
でも、拒まれてもいない。
これは、選択の外側にあるもの。
だから、自由だ。
ゆっくりと、手を伸ばす。
触れる。
その血に。
一瞬だけ、迷う。
でも、次の瞬間にはもう飲んでいた。
静かに。
深く。
身体が、満たされていく。
さっきまでの苦しさが、少しずつ引いていく。
やがて、
ゆっくりと離れる。
呼吸が整う。
視界が戻る。
ユリウスは、まだ立っていた。
同じ距離で。
何も言わない。
セラフィナも、何も言わなかった。
でも、一つだけ、はっきりしている。
これは、誰にも強制されていない。
全部、自分で選んだことだ。




