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第7話 静かに管理されるもの

 朝は、何事もなかったように始まった。


 いつもと同じ時間。


 同じ鐘の音。


 同じ人の流れ。


 昨日の夜に起きたことは、どこにも残っていなかった。



 ユリウスは食堂の席に座る。


 食事は変わらない。


 味も、量も、すべて同じだった。


 周囲の人間も、いつも通りに見える。


 話し声は少ない。


 笑い声も、ほとんどない。


 それでも、誰も不自然には見えなかった。


 


「……顔、死んでるぞ」


 向かいからレオンが言う。


「そうか」


「そういうのは隠しとけ。ここじゃ目立つ」


 軽い口調だった。


 いつも通りのはずなのに、どこか距離があった。


「昨日のこと、どうなってる」


 ユリウスが聞く。


 レオンは少しだけ手を止めた。


「どうにもなってねえよ」


「報告は?」


「上には上げてるだろうな」


「それで終わりか」


「終わりだ」


 あっさりと言う。


「騒ぐほうが面倒だからな」


 ユリウスはそれ以上何も言わなかった。


 納得したわけではない。


 ただ、ここで食い下がる意味を感じなかった。



 食事を終える。


 席を立つ。


 周囲も同じように動く。


 誰も急がない。


 誰も遅れない。


 流れは揃っていた。


 食堂を出たところで、声をかけられる。


「ユリウスさん」



 振り向くと、エリアスがいた。


 いつもの柔らかい笑み。


 昨日と何も変わっていない。


「少し、お時間よろしいですか」


「……ああ」


 ユリウスは頷く。


 エリアスは歩き出す。


 自然な流れだった。


 断る理由を考える前に、ついていく形になる。



 廊下は静かだった。


 足音だけが響く。


「昨夜の件ですが」


 エリアスが言う。


 やわらかい声。


 それでも、話題ははっきりしていた。


「処理はすでに済んでいます」


「処理」


「はい」


 迷いなく頷く。


「記録も残していますし、必要な対応も行っています」


 それ以上の説明はしない。


 それで十分だと言うように。



「街への影響は?」


「ありません」


 即答だった。


「混乱を広げることは、望ましくありませんから」


 穏やかな言い方。


 否定する余地はない。


「……知らされないのか」


「必要な方には伝えています」


 エリアスは歩みを止めない。


「すべてを共有することが、必ずしも正しいとは限りません」


 その言葉に、ユリウスは少しだけ視線を落とす。


 反論は思いつく。


 けれど、口には出さなかった。



「恐怖は、広がりやすいものですから」


 エリアスは続ける。


「それを抑えるのも、私たちの役目です」


 その声に揺れはない。


 ただ、正しいことを言っているだけの響き。


 廊下の奥に差し掛かる。


 窓の外を見ると、霧が少し濃くなっていた。


 朝よりも、視界が悪い。


 理由は分からない。


 天候の変化かもしれない。


 それでも、どこか引っかかる。



「……こういうことは多いのか」


 ユリウスが聞く。


 エリアスは一瞬だけ間を置いた。


 ほんのわずかな間。


「一定数は、起きています」


 曖昧な答えだった。


「ですが、すべて対処可能な範囲です」


 すぐに言い添える。


 その補足が、妙に印象に残った。


「安心してください」


 微笑む。


 その笑顔は、やはり変わらない。


 疑う理由が見つからない。


 だからこそ、完全には受け入れられなかった。




 そのとき、廊下の奥から別の気配が近づいてくる。


 足音は静かだ。


 それでも、存在感があった。


 エリアスがわずかに姿勢を正す。


 自然な動きだった。



 やがて、男が現れる。


 黒い衣。


 整った所作。


 年齢は分からない。


 若くも見えるし、そうでもないようにも見える。


 視線が合う。


 その瞬間、空気が少しだけ変わった。



「おはようございます」


 エリアスが頭を下げる。


 深すぎず、浅すぎない礼。


 慣れた動きだった。


「話は聞いています。あなたがユリウスさんですね」


 男が言う。


 穏やかな声だった。


 よく通る、それでいて、押しつけがましさはない。


 ユリウスは軽く頭を下げた。


 男は小さく頷く。


「この街へようこそ」


 それだけの言葉。


 それだけなのに、なぜか印象に残る。



「不便なことがあれば、遠慮なく言ってください」


 柔らかい口調。


 否定する理由が見つからない。


 自然と、受け入れてしまいそうになる。


「……ありがとうございます」


 気づけば、そう返していた。


 男は満足そうに微笑む。


「それは何よりです」


 それ以上は何も言わない。


 すれ違う。


 足音は静か。


 振り返ることもない。



 エリアスはしばらくその背を見ていた。


 それから、ゆっくりと息を吐く。


「……あの方が、司祭長です」


 小さく言う。


 誇らしげでもなく、ただ事実を伝えるだけの声。


 ユリウスは何も言わなかった。


 さっき感じたものを、言葉にできなかった。


 安心感に近い何か。


 それでいて、どこか触れてはいけないもののような感覚。




 窓の外を見る。


 霧がさらに濃くなっていた。


 さっきよりも、はっきりと。


 遠くが見えない。


 音も、少しだけ鈍くなる。



「……天気、悪くなってきたな」


 思わず口にする。


 エリアスも外を見る。


「そうですね」


 穏やかに答える。


「ですが、問題ありません」


 その言葉に、なぜか、少しだけ違和感が残った。


 何が問題ないのか。


 それを聞く気にはならなかった。


 ユリウスは視線を外す。


 廊下の先は変わらない。


 人も、空気も、すべて整っている。


 それでも、どこか見えなくなっていく感覚だけが確かにあった。




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