第58話 理由のない方向
落ち着かない。
理由は、ない。
ユリウスは歩いていた。
いつもの通りを特に目的もなく、適当に。
それなのに。
足が、止まる。
何かを考えたわけじゃない。
ただ、止まった。
「……なんだ」
小さく呟いても、答えはない。
周囲を見る。
変わった様子はない。
人もいる。
音もある。
夜も、いつも通り。
それでも、何かが違う。
はっきりとは分からない。
でも、確実に、胸のあたりが、少しだけ重い。
痛いわけじゃない。
苦しいわけでもない。
ただ、引っかかる。
息を吸う。
浅い。
自分でも分かるくらいに。
吐く。
うまく整わない。
「……はぁ……」
ため息が出る。
「……変だな」
しばらくその場に立っていた。
動く理由がない。
でも、動かない理由も、ない。
結局、歩き出した。
さっきとは、違う方向に。
理由はない。
ただ、そっちに行ったほうがいい気がした。
足取りは普通。
急いでもいない。
迷ってもいない。
でも、どこか決まっている。
通りを抜ける。
人が減る。
音も減る。
そして、気づく。
静かだ。
でも、歩き続ける。
止まらない。
止まる理由がないから。
胸の違和感が少しだけ強くなる。
足が、ほんの少しだけ速くなる。
無意識に、路地を曲がった。
見覚えはあまりない。
でも、不安はない。
その先に、建物が見える。
古く、すでに使われていない、暗いままの場所。
今度は、はっきりと足が止まった。
見上げる。
看板は崩れていて読めない。
でも、なんとなく分かる。
「……劇場、か」
中は暗い。
灯りもない。
人の気配もない。
胸の違和感が、一瞬だけ強くなった。
眉をひそめる。
「……なんだよ」
少しだけ苛立つ。
理由が分からないから。
一歩、前に出た。
扉の前。
古い木の扉は閉じられている。
手を伸ばしたが、触れる寸前で止まる。
なにかが、違う。
手を引いた。
理由はない。
でも、やめた方がいい気がした。
しばらくそのまま立っていた。
動かない。
考える。
でも、答えは出ない。
ゆっくりと息を吐いた。
「……やめとくか」
小さく言う。
そのまま背を向け、歩き出し来た道を戻った。
数歩進んで、少しだけ振り返る。
劇場は変わらない。
ただ、そこにある。
何もない、はずだ。
それでも、胸の奥に何かが残る。
小さく、でも、消えないまま。
ユリウスはそれを無視した。
できる範囲で。
完全には無理でも、とりあえず。
そのまま夜の中へ歩き続ける。
理由のない方向から、少しだけ外れながら。




