第54話 分類できないもの
昼の光ははっきりしていた。
霧は薄い。
街の輪郭も、人の動きも、すべてが見える。
曖昧なものは少ないはず、だった。
エリアスは窓際に立ち、外を見ていた。
何かを探しているわけではない。
ただ“正常”を確認していた。
「……変化はありません」
背後から声がした。
司祭からの報告。
簡潔。
「そうですか」
エリアスは振り返らない。
そのまま答えた。
「継続してください」
「はい」
足音が遠ざかり、静けさが戻る。
変化はない。
異常もない。
記録も整っている。
それなのに、何かが引っかかる。
明確ではない。
だが、無視できるほど軽くもない。
机に戻り、紙を手に取った。
報告書。
巡回記録。
市民の様子。
どれも、問題はない。
“表面上は”。
一枚、別の紙を取り出す。
簡易な観測メモ。
個人的なもの。
正式な記録ではない。
「……未分類」
それだけが小さく書かれていた。
対象の名前も、詳細もない。
ただ、それだけが残っている。
エリアスは少しだけ長くそれを見ていた。
それから、ペンを取り、追記する。
「……観測継続」
短く、それだけ。
それで十分だった。
同じ頃、
別室。
「――だからさ」
レオンが壁にもたれて腕を組んでいる。
「最近、変じゃねえか」
相手はユリウス。
椅子に座っている。
姿勢は崩れている。
いつも通りだ。
「何が」
ユリウスが気のない声で返した。
「お前だよ」
即答。
「……俺?」
「そうだよ」
少しだけ苛立ちが混じる。
「なんかぼーっとしてるし、急にいなくなるし」
一拍置く。
「……誰といるんだ」
問いは直接的。
ユリウスは少しだけ考えた。
答えを探す。
だが、言葉にならない。
「……別に」
結局それしか出ない。
曖昧な返答。
「別にってなんだよ」
レオンが眉をひそめる。
「人だよ」
ユリウスが言った。
「……たぶん」
「たぶん?」
曖昧なまま言葉が止まった。
レオンはしばらく黙る。
見ていた。
ユリウスを。
観察するように。
「……なあ」
低く言う。
「それ、“普通のやつ”か?」
その一言で、空気が変わる。
ユリウスは答えなかった。
答えられなかったから。
分からないから。
沈黙が重い。
だが、壊れない。
「……まあいい」
レオンがため息をついた。
完全には納得していない。
だが、追及はしない。
今は。
「……死ぬなよ」
それだけ言った。
軽く。
でも、本気で。
「……分かってる」
ユリウスが短く返した。
その返答に、レオンは少しだけ視線を逸らす。
完全に安心はしていない。
でも、それ以上は言えない。
廊下の奥では。
「……あの」
小さな声だ。
若い修道士がエリアスに声をかけた。
「何でしょう」
落ち着いたまま、振り向く。
「……最近、外で」
少し言いにくそうに。
「“変な人”がいるって」
曖昧な報告をした。
だが、無視できない。
「……変な、とは?」
「えっと……」
言葉を探す。
「なんか、普通なんですけど…でも、ちょっと違うっていうか……」
説明になっていない。
だが、感覚は伝わる。
エリアスはそれを静かに聞いていた。
「……分かりました」
短く答える。
「引き続き、観察を」
「はい」
修道士は去り、足音が消えた。
エリアスは一人になった。
廊下に立ったまま、動かない。
「……未分類、か」
小さく呟く。
あの言葉。
分類になっていない。
目を閉じる。
一瞬だけ。
すぐに開けた。
思考は止めない。
「……排除対象ではない」
小さく言った。
現時点での判断だ。
「……だが、放置もできない」
それが、結論だった。
変わらない廊下をゆっくりと歩き出す。
だが、その中で一つだけ、確かに変わっているものがある。
名前も、正体も、まだ分からない。
それでも、そこにあるもの。
分類できないまま、確かに存在しているものが。




