第49話 選べないもの
夜は静かだった。
いつもと同じ。
何も変わらない、落ち着いた夜。
セラフィナは歩いていた。
ゆっくりと、迷いなく。
通りを抜け、人の流れに紛れる。
視線が動く。
人を見る。
一人、また一人。
立ち止まる。
少しだけ、気になる人間がいた。
若い男。
姿勢は整っている。
無駄がない。
表情も、悪くない。
近づいて、自然に隣に立つ。
「ねえ」
柔らかく声をかける。
男が振り向く。
「……はい?」
警戒は薄い。
いい反応。
「ちょっとだけ、いい?」
軽く笑う。
距離を詰める。
目を合わせる。
呼吸を合わせる。
意識が、こちらに向いた。
数秒の沈黙の後。
男の視線が変わる。
わずかに引き込まれる。
問題ない。
条件は満たしている。
ここから、整えればいい。
セラフィナは少しだけ考える。
いつも通り。
何も変わらない手順。
だが――
「……違う」
自分にだけ聞こえる声で小さく呟いた。
「……ごめんね」
すぐに笑う。
軽く手を振る。
「やっぱりいいや」
それだけ言って離れた。
男は戸惑う。
だが、引き止めない。
そのまま、通りに戻っていく。
セラフィナはその背中を見ない。
興味がない。
もう、終わっているから。
「……なんか違うんだよね」
ぽつりと呟いた。
いつもなら、それで十分だった。
選べばいい。
整えればいい。
完成させればいい。
それだけ。
なのに、今日は違う。
再び歩き出す。
別の人を見る。
次は女。
落ち着いている。
悪くない。
近づく。
声をかける。
同じように。
同じ手順で。
同じように――
「……違う」
また、同じ言葉。
そのまま離れる。
今度は、少しだけ早く。
「……おかしいな」
軽く首を傾げた。
「……こんなこと、なかったのに」
選べない。
条件は満たしているのに、決定できない。
理由は分からない。
ただ、“違う”と感じるだけ。
人の少ない路地で足を止めた。
静かな場所で息を吐く。
少しだけ、疲れている。
考える。
何が違うのか。
どこが足りないのか。
分からない。
だが、一つだけ、浮かぶものがある。
名前ではない。
輪郭も曖昧。
でも、感覚だけが残っている。
近い距離。
揺れているのに、立っている感じ。
目を細め、小さく笑った。
「……あれのせいか」
納得する。
完全にではない。
だが、それで十分だった。
壁に背を預け、視線を落とした。
「……基準、狂ったなあ」
軽く言った。
まるで、ちょっとした失敗みたいに。
だが、意味は重い。
今までの“美しさ”では、満足できなくなっている。
沈黙が少しだけ長い。
身体が、わずかに重い。
だが、まだ問題はない。
「……どうしよっかな」
ぽつりと呟いた。
いくらでも選択肢はある。
だが、そのどれもが、しっくりこない。
目を閉じると思い出す。
完全ではない、あの形。
壊れているのに、消えていないもの。
ゆっくりと、目を開けた。
「……もう一回見るか」
小さく言う。
決定は早い。
迷いはない。
ただ、理由が少しだけ違う。
「……惜しいしね」
軽く笑った。
それだけじゃないと分かっている。
でも、それ以上は言わない。
そのまま、夜の中へ歩き出した。
選べないまま、それでも選ぼうとする側として。




