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やがて霧に還る  作者: いづくにか
ノクス編
39/75

第39話 届かない距離

 夜は静かだった。


 風もなく、音もない。


 ただ、わずかな気配だけが動いている。



 レオンは足を止めた。


「……いるな」


 低く呟いた。



 視線の先。


 通りの端。


 街灯の光が途切れるあたりに二つの影。


 重なっている。


「……はい」


 エリアスが小さく頷く。


 確認するように。


「対象、確認」


 声は抑えられている。


 だが、緊張は隠せない。


 レオンは一歩踏み出す。


「……行くぞ」


「待ってください」


 エリアスが即座に止める。


「段階的に接触を――」


「そんな余裕ねえだろ」


 低く、短く遮る。



 エリアスは一瞬黙る。


 正しい。


 だが、危険だ。


「……最小限で」


 妥協する。


 完全には止められない。


 レオンはそれ以上言わない。



 そのまま影の中へ歩き出した。


 距離が縮まる。


 十歩。


 五歩。


 三歩。



「……ユリウス」


 低く、はっきりと呼んだ。



 影が動く。


 ゆっくりとユリウスが振り向いた。


「……レオン」


 声は、普通だった。


 変わらない。


 それが、逆に不気味だった。


「……来い」


 短く言う。


「戻るぞ」


 命令に近い。


 迷いがない。



 ユリウスは少しだけ首を傾げた。


「……なんで」


 静かに問い返した。


 感情は薄い。


「なんで、戻る必要がある」


 レオンの眉が動く。


「……何言ってんだ。ここにいたら危ねえって言ってんだろ」


 少しだけ声が荒くなる。



 ユリウスはそれを見ていた。


 理解はしている。


 だが、納得はしていない。


「……別に」


 小さく言う。


「今、問題ない」


 その言葉に、エリアスの視線がわずかに動く。


 “今”。


 そこに違和感がある。



「ユリウス」


 エリアスが一歩だけ前に出た。


「現状の認識を確認させてください」


 いつも通りの穏やかな声。


 ユリウスは視線を向けた。


「……何だよ」


「ここ数日の記憶について」


 一拍置く。


「何を覚えていますか」


 ユリウスは少しだけ考える。


 問題はない。


 答えられる。


「教会にいた」


「お前と話した」


「あと――」


 わずかに止まる。


「……」


 思い出そうとする。


 だが、代わりに浮かぶ。


 隣にいる存在。



 視線が、自然に横へ流れる。


 セラフィナを見る。


 その瞬間、思い出す必要がなくなる。



「……それで十分だろ」


 言葉が変わる。


 思考が途切れる。


 エリアスの目が細くなった。


「……偏っていますね」


 小さく呟く。


 確信に近い。


「何がだよ」


 ユリウスが少しだけ苛立つ。


 エリアスは静かに答えた。


「記憶の優先順位が」


 レオンが舌打ちする。


「面倒な話してんじゃねえ」


 前に出る。


「ユリウス、来い」


 もう一度、今度は強く言う。



 ユリウスは動かない。


「……行かない」


 はっきりと言う。


 初めて、明確に。


「……は?」


 レオンの声が低くなる。


「なんでだ」


「……ここがいい」


 短い答え。


 それだけ。


 レオンの表情が歪む。


「……誰のせいだ」


 視線が動く。


 セラフィナへ。


 初めて、はっきりと認識する。


「……そいつか」



 セラフィナは何も言わない。


 ただ、穏やかにそこにいる。


「……ねえ」


 小さく柔らかく声を出した。


「そんな言い方しなくてもいいんじゃない?」


 レオンが睨む。


「黙ってろ」


「うん、黙るよ」


 すぐに引く。


 反発しない。


 争わない。


 ただ、空気を崩さない。


 それが、余計に気に食わない。



「……ユリウス」


 レオンが一歩踏み出した。


「連れてくぞ」


 今度は、強制の意思。


 ユリウスの身体がわずかに反射的に動いた。


 だが、止まる。


「……やめろ」


 低く言う。


 さっきとは違う声。


「触るな」


 明確な拒絶。



 その瞬間、空気が変わった。


 レオンが動く。


 一気に距離を詰める。


 腕を掴んだ。


「――来い!」





 その瞬間、ユリウスの視界が揺れた。


 ノイズのように何かが重なる。


「……っ」


 頭が痛む。


 一瞬だけ、何かが“戻る”。


 教会。


 レオン。


 ノア。


 エリアス。


 マルタ。


 ――危険。


「……!」



 だが、すぐに消える。


 霧がかかったように。


「……離せ」


 ユリウスが低く言った。


 目が戻る。


 さっきの揺れが、なかったことになる。


「……くそ」


 レオンが舌打ちする。


 分かる。


 今、何かが起きた。


 だが、掴めない。



「……これ以上は危険です」


 エリアスが冷静に言った。


「接触時間が長すぎる」


「……ちっ」


 レオンが歯噛みする。


 引きたくない。


 だが、判断は分かる。


「……ユリウス」


 最後に呼ぶ。


「次は、引きずってでも連れてく」


 警告。


 そして、意思表示。



 ユリウスは何も言わない。


 ただ、セラフィナの隣に立っている。


 それが答えだった。



 レオンは踵を返した。


 エリアスも続く。


 離れていく。


 距離が開く。




 やがて、気配が消えた。


 静寂が戻る。



 ユリウスは立ったまま動かない。


 さっきの違和感。


 一瞬の記憶。


 それを、思い出そうとする。


 だが、


「無理に思い出さなくていいよ」


 すぐ隣で声がする。


 やわらかく、安心させるように。


「疲れるだけだから」


 ユリウスは目を閉じる。


 一瞬だけ。


 そして、開いた。


「……ああ」


 小さく答える。


 それで、終わる。





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