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やがて霧に還る  作者: いづくにか
ノクス編
29/75

第29話 やさしい輪郭

 外の空気は静かだった。


 教会の外に出た瞬間、それだけで分かる。


 中とは違う。


 同じ街のはずなのに、空気が軽い。



 ユリウスはゆっくりと歩いていた。


 目的はない。


 ただ、あの場所から少し離れたかった。


 足を止める。


 通りの端。


 人が行き交っている。


 普通だ。


 会話も、動きも、どこにも違和感はない。


 ――さっきまでとは違う。



「……よかった」


 小さく息を吐く。


 それだけで、少しだけ肩の力が抜ける。



「何が?」


 声がした。


 すぐ隣から。


 そこにはセラフィナが立っていた。


 柔らかな光の中で、まるで最初からそこにいたみたいに。



「……驚かないんだ」


 少しだけ笑う。


 優しい声音。


 自然な距離。


「前にも会ったからな」


 ユリウスが答える。


「それに……」


 一瞬だけ言葉を探す。


「……ちゃんといる」


 セラフィナは目を細める。


 意味を理解したように。


「それ、大事だよね」


 静かに言う。


「“いる”って分かること」


 その言葉は、やけにしっくりきた。



「……中、ひどいことになってる」


 ユリウスが言う。


 少しだけ、息を吐くように。


「うん」


 セラフィナは頷く。


 迷いなく。


 知っているように。


「見てたのか」


「少しだけ」


 曖昧な答え。


 それでも、違和感はない。


「どう思う」


 ユリウスが聞く。


 自分でも驚くくらい自然に。


 セラフィナは少しだけ考えた。


 それから、穏やかに答える。


「壊れてるね」


 あっさりと。


 だが、残酷ではない。


 ただ事実として。



「でも」


 続ける。


「まだ全部じゃない」


 ユリウスは黙って言葉を待った。



「人ってね」


 セラフィナはゆっくり話す。


「思ってるより、ちゃんと残るから」


 柔らかい声。


 包むような。


「少しくらい欠けても、動き続ける」


 教会の中で見た光景が浮かぶ。


 確かにそうだった。


 壊れているのに、続いていた。



「……それって、いいことなのか」


 ユリウスが呟く。


 自分でも分からないまま。


 セラフィナは少しだけ笑った。


「どうだろうね」


 答えは出さない。


「でも、嫌いじゃないよ」



 視線を上げ、空を見る。


「綺麗だと思う」


 その言葉は、どこかずれていた。


 けれど、不快ではない。


 むしろ、妙に納得してしまう。



「……お前は」


 ユリウスが口を開く。


「怖くないのか」


 セラフィナは少しだけ首を傾げる。


「何が?」


「全部だよ」


 短く言う。


「記憶が変になるとか、わけ分かんねえ声とか。自分が自分じゃなくなるかもしれないってこととか」


 一気に言う。


 少しだけ荒くなる。


 セラフィナはそれを静かに聞いていた。


 否定しない。


 遮らない。


 ただ、受け止める。



「……うん」


 少し考えて、答える。


「怖いよ」


 あっさりと。


「でも」


 続ける。


「それって、今だけじゃないから」


「今だけじゃない?」


「うん」


 頷く。


「人って、もともとそんなに安定してないし」


 軽く言う。


 当たり前みたいに。


「昨日と今日で、同じ人って言い切れる?」


 ユリウスは言葉に詰まった。


 答えられない。


「だからね」


 セラフィナは少しだけ近づく。


 距離が縮まる。


 それでも、不快じゃない。


「今、ちゃんと話せてるなら、それでいいんじゃないかな」


 優しい声。


 逃げではない。


 受け入れ。


 ユリウスは目を逸らした。


 さっきまでの重さが少しだけ軽くなる。



「……楽だな」


 ぽつりと呟く。


「ここは」


 セラフィナは微笑む。


「そう?」


「少なくとも、中よりは」


「それはそうかも」


 くすっと笑う。


 空気が柔らかい。


 ちゃんと会話が成立している。


 ズレない。


 途切れない。


 理解できる。


 それが、こんなにも安心するものだとは思わなかった。



「……なあ」


 ユリウスが言う。


「お前、名前」


 セラフィナは一瞬だけ止まる。


 それから、ゆっくりと答える。


「セラフィナ」


 自然に名乗る。


「……ユリウスだ」


「知ってる」


 即答。


「前に聞いたから」


 その言い方は自然だった。


 違和感はない。


 だが、ほんの少しだけ引っかかる。


 それでも、気にならない程度。


「……そっか」


 それで終わる。



 沈黙。


 だが、不快じゃない。


 むしろ、心地いい。


 教会の中とは違う。


 ちゃんと、繋がっている感じ。


 ユリウスは思う。


 ここなら、大丈夫かもしれない。


 そう思ってしまう。




 その瞬間、セラフィナが少しだけ目を細めた。


 ほんのわずかに。


 満足したように。


 だが、それに気づく者はいない。


 空気は穏やかだった。


 何も壊れていないように見える。


 すべてが、ちゃんと“ある”場所で。





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