第27話 噛み合わない言葉
朝の空気は澄んでいた。
窓から差し込む光も、廊下を行き交う人の動きも何一つ変わっていない。
それでもどこか引っかかる。
ユリウスは足を止めた。
廊下の途中。
特に理由はない。
ただ、耳に入ってきた会話が妙に残った。
「……ですから、それは先ほど申し上げた通りで」
修道士の一人が言う。
落ち着いた声。
相手も頷く。
「ええ、聞きました」
少し間が空く。
「……それで、どうすれば?」
ユリウスは眉をひそめる。
最初の言葉は“説明”だったはずだ。
なのに、その後のやり取りは、まるで最初から聞いていなかったかのように続いている。
会話はそのまま流れていく。
誰も違和感を持っていない。
持っていないように見える。
ユリウスは小さく息を吐いた。
気のせいかもしれない。
そう思うしかない。
歩き出す。
曲がり角を抜けると、別の修道士が立っていた。
棚の前。
手を伸ばしたまま動かない。
「……何してる」
ユリウスが声をかける。
修道士がゆっくり振り向いた。
「ああ……」
少しだけ間がある。
「いえ……その」
視線が棚を彷徨う。
「何を、取りに来たんでしたか……」
言葉が途切れる。
自分で驚いている顔。
だが、すぐに笑う。
ごまかすように。
「すみません、最近少しぼんやりしていて」
軽く頭を下げる。
それで終わる。
異常ではない。
そういうこともある。
そう思わせる程度の出来事。
ユリウスは何も言わない。
ただ、通り過ぎる。
胸の奥に、小さな棘のようなものが残った。
医療室の前。
扉は閉じている。
軽く叩く。
「いる」
中から声が返る。
扉を開け、入る。
薬の匂い。
布の音。
マルタがベッドに横たわっている。
顔色はまだ良くない。
だが、目は開いていた。
「……来たか」
短く言う。
声は少し掠れている。
「どうだ」
「死なねえ」
即答だった。
いつもの調子。
それだけで、少しだけ安心する。
「……そっちは」
マルタが視線を向ける。
「変じゃないか?」
唐突な問い。
だが、違和感はない。
「……ああ」
ユリウスは頷く。
「少しな」
それだけで通じる。
マルタは小さく息を吐いた。
「やっぱりな」
納得したように言う。
「外だけじゃねえ」
視線を天井に向ける。
「中も、来てる」
静かな断定。
確信がある言い方。
「……何がだ」
「知らねえよ」
即答だった。
だが、迷いはない。
「でも、線引きできてねえ」
ゆっくり言う。
「これ、普通じゃねえやつだ」
ユリウスは何も言えない。
ただ、その言葉が、妙に重く残った。
扉が開く。
エリアスが入ってきた。
静かな足取り。
いつも通りの表情。
「お加減はいかがですか」
穏やかな声。
「最悪」
マルタが即答する。
それでも、少しだけ口元が緩む。
エリアスは小さく頷く。
それから、ユリウスを見た。
「少し、お時間をよろしいでしょうか」
控えめな言い方。
だが、断れない空気。
「……ああ」
ユリウスは頷いた。
医療室を出て廊下に出る。
扉が閉まる。
静寂。
「……何か、気づきましたか」
エリアスが聞く。
単刀直入に。
「……少し」
ユリウスは答えた。
「会話が、変だ」
「ええ」
エリアスはすぐに頷く。
否定しない。
「他にも、いくつか」
言葉を選びながら続ける。
「昨夜の巡回についても記録と一致しない点が見受けられます」
「記録?」
「はい」
淡々と説明する。
「人数、配置、行動。どれも整合性が取れているようで、取れていません」
ユリウスは眉をひそめる。
「……どういうことだ」
エリアスは一瞬だけ考える。
それから、ゆっくりと言った。
「何かが、もしくは誰かが、抜けているのです」
静かな声。
だが、確信に近い響き。
「最初から存在しなかったように」
「ですが」
少しだけ間を置く。
「私は、それが“あった”と認識している」
矛盾した言葉。
それでも、はっきりとした確信がある。
ユリウスは黙った。
言葉が出てこない。
理解しきれない。
だが、否定もできない。
「……昨日の巡回は俺とレオンだった…気がする」
「……広がってますね」
エリアスが言う。
独り言のように。
「一部ではありません」
その言葉で、はっきりする。
これは、個人の問題じゃない。
ユリウスはゆっくりと息を吐いた。
廊下を見渡す。
人がいる。
普通に動いている。
変わらない、はずなのに。
どこかが、ずれている。
「……なんなんだよ、これ」
小さく呟く。
答えはない。
エリアスも何も言わない。
ただ、その場に立っている。
静かに。
理解しようとするままに。
ユリウスはその横で、同じように立ち尽くしていた。
ここは、まだ教会の中だ。
安全なはずの場所。
守られているはずの場所。
――そのはずだった。




