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第14話 夜の美学

 夜はいつもより静かだった。


 霧が濃い。


 視界は狭く、音は遠い。


 それでも、“何かがいる”気配だけは、はっきりと分かる。




 ユリウスは外にいた。


 理由はない。


 ただ、じっとしていられなかった。


 教会の中にいると何かを見逃してしまう気がした。



「……物好きだな」


 後ろからレオンの声。


 振り向かなくても分かる。


「お前もだろ」


「俺は仕事だ」


 軽く返す。


 だが、その声は少しだけ低い。


「今日は、ちょっと違う」


「何が」


 レオンは少しだけ間を置く。


「……空気だな」


 曖昧な答え。


 それでも、否定はできない。


 確かに、違う。


 霧のせいだけではない。


 もっと、はっきりとした何か。



 そのときだった。



 ――音がした。


 小さく、鋭い。


 息が詰まるような音。


 二人は同時に顔を上げる。


「……行くぞ」


 レオンが言う。


 走る。


 霧の中を、一直線に。


 距離感は曖昧だが、方向ははっきりしていた。



 やがて、開けた場所に出た。


 そこに、人影があった。


 いや、二つ。


 一つは、倒れている。


 もう一つは――


 立っている。



 ゆっくりと、振り返る。


 その動きに、無駄はない。


 整っている。


 あまりにも。



 長い外套。


 整えられた髪。


 そして、その顔。


 美しい。


 整いすぎている。




「……来るのが少し遅かったね」


 男が言う。


 穏やかな声。


 柔らかい。


 だが、その奥に、はっきりとした愉悦がある。


 ユリウスは一歩止まる。


 本能的に。


 近づいてはいけないと分かる。


 だが、目が離せない。



「……そいつ、離せ」


 レオンが低く言う。


 男は、軽く視線を落とす。


 足元の人間を見る。


 まだ生きている。


 呼吸はある。


 だが、目は完全に恐怖に染まっていた。


「ああ、もちろん」


 男は頷く。


 あっさりと。


 だが、その場から動かない。


「だけど、もう少しだけ」


 その言い方が、あまりにも自然だった。


 まるで、許可を求めているかのように。



 次の瞬間、男の手が、ゆっくりと動く。


 倒れている人間の首に触れる。



「――やめろ」


 レオンが踏み込む。


 だが、間に合わない。


 触れた瞬間、男の表情が変わる。


 ほんのわずかに、口元が歪む。


 楽しんでいる。


 はっきりと分かる。



 倒れている人間が、声にならない悲鳴を上げる。


 身体が震える。


 恐怖。


 痛み。


 それが一気に溢れる。


 だが、男はそれを受け止めている。


 まるで、それを味わうかのように。



「……素晴らしい」


 小さく呟く。


 心から、そう思っている声。


「恐怖というものは、本当に美しいね」


 その言葉に、ユリウスの背筋が凍る。


 理解できない。


 だが、分かってしまう。


 これは、違う。


 今まで見てきたものと、決定的に。



「――離せ!」


 レオンが一気に距離を詰める。


 手が届く。


 だが、その瞬間、男の視線が向く。


 ただそれだけで動きが止まる。


 身体が、硬直する。


 見られている。


 それだけで、踏み込めない。



「……きみも、興味あるの?」


 男が言う。


 視線はレオンに向いている。


 だが、問いは違う。


 ユリウスに向いていた。


「恐怖という感覚は、とても純粋なんだ」


 ゆっくりと続ける。


「飾りがない。嘘もない。ただ“生きたい”という本能だけが露出する」


 その言葉は、静かだった。


 だが、狂っている。


「それを共有できるというのは、非常に――」


 そこで言葉を切る。


 わずかに笑う。


「贅沢な体験だ」



 その瞬間、倒れていた人間の力が抜ける。


 完全に意識を失う。


 男はゆっくりと手を離す。


 名残惜しむように。



「……お前は」


 レオンが低く言う。


「誰だ」


 男は少しだけ考えるような仕草をする。


「名乗るほどのものではないけど」


 軽く肩をすくめる。


「そうだね……ルキウス、とでも」


 その名前が、空気に落ちる。


 重く。


 はっきりと。


 ユリウスの中に残る。



「……覚えておくといい」


 ルキウスは微笑む。


「この街の夜は、美しいものだけでできているわけじゃない」


 その言葉は、どこか優しかった。


 それが逆に、恐ろしい。


「むしろ」


 一歩、後ろに下がる。


 霧が、その輪郭を飲み込む。


「醜いものほど、魅力的だ」


 最後にそう言って、姿を消す。


 追うことはできない。


 気配すら残らない。


 静けさだけが戻る。




 ユリウスは動けなかった。


 理解が追いつかない。


 ただ、ひとつだけ分かる。


 あれは“違う”。


 圧倒的に。




「……っ、くそ……」


 レオンが息を吐く。


 身体の硬直が、ようやく解ける。


「……あれが」


 ユリウスが言う。


「……ああ」


 レオンは短く答える。


「吸血鬼だ」


 その言葉は、今までで一番重かった。


 ユリウスは倒れている人間を見る。


 まだ生きている。


 だが、その顔には、何も残っていなかった。


 恐怖すら。


 すべて、奪われた後のように。



 ユリウスはゆっくりと息を吐く。


 冷たい夜の空気が、肺に入った。





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