第112話 同じ高さに立たない
夜は、静かすぎた。
気配がない。
だからこそ、分かる。
“いる”。
「いるよね」
アデルが言った。
軽い声。
でも、完全に捉えている。
屋根の上。
誰もいないはずの場所。
「……バレるかー」
楽しそうな声。
影からするりとルキウスが現れた。
「久しぶり?」
軽く手を振る。
アデルは、動かない。
「そうでもないでしょ」
淡々と返す。
「ああ、そっか」
ルキウスが笑う。
「見てたもんね、さっきの」
わざとらしく言う。
アデルの目が、ほんのわずかに細くなる。
「ああいうの、趣味悪いよ」
軽く言う。
「えー?」
ルキウスは肩をすくめる。
「でもさ」
一歩だけ近づく。
「ちゃんと動いたじゃん、あの子たち」
楽しそうに言った。
「意味なかったけど」
空気が、一瞬だけ張る。
でも、アデルは動かない。
「で」
少しだけ首を傾ける。
「次は私?」
軽く言う。
「うん」
即答だった。
「でもさ」
ルキウスは笑う。
「普通にやっても勝てないの、知ってるでしょ?」
あっさり言う。
「当たり前じゃん」
アデルも即答する。
「だからさ」
ルキウスの声が、少しだけ落ちる。
「勝つ気ないよ」
笑う。
その瞬間、空気が歪んだ。
アデルの姿が、一瞬で消える。
次の瞬間、ルキウスの首元に手がかかっていた。
「で?」
低い声。
「何がしたいの」
距離はゼロ。
完全な間合い。
ルキウスは、それでも笑っていた。
「……ほら、それ」
小さく言う。
「そういうとこ」
アデルの眉が、ほんのわずかに動く。
「強すぎるからさ、全部“結果”で終わっちゃうんだよね」
静かに言う。
「つまんないでしょ?」
アデルの手に、ほんのわずかに力が入る。
でも、殺さない。
殺せる。
でも、しない。
その一瞬を、ルキウスは見ていた。
「ねえ」
小さく言う。
「さっきのさ、どっちも助からなかったんだよ」
さらっと言う。
アデルの動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
その隙。
ルキウスの身体が、ふっと抜ける。
距離が開く。
「……っ」
アデルが追う。
でも、もう遅い。
ルキウスは、屋根の端に立っている。
「知ってた?」
軽く言う。
「最初から壊してたんだよ、あれ」
「選ばせるだけ、意味ないって分かってて、それでもやるとこ、見たかっただけ」
ルキウスは楽しそうに言う。
アデルは何も言わない。
「でさ」
ルキウスが続ける。
「君ならどうする?分かってて、それでもやる?」
アデルは、ゆっくりと口を開く。
「やるでしょ」
即答だった。
「ああ、やっぱり」
ルキウスは嬉しそうに笑う。
「いいね」
小さく言う。
「じゃあさ」
一歩下がる。
「今度は君でやろうか」
静かに言った。
その言葉は、軽いのに、重かった。
「やってみなよ」
アデルが言う。
「全部潰すから」
ルキウスは、それを見て、ほんの少しだけ目を細めた。
「…それ、ほんとにできるかな」
楽しそうに言う。
そのまま笑い声を残して、ルキウスは落ちるように消えた。
夜に静寂が戻る。
アデルは、しばらく動かなかった。
風だけが、髪を揺らす。
「最悪」
小さく呟いた。
その声は、ほんの少しだけ低かった。




