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やがて霧に還る  作者: いづくにか
血統構造編
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第108話 意味のない選択

 時間が、削れていく。



 二人の人間はまだ生きていた。


 息はある。


 脈もある。


 身体も、まだ温かい。



 だから、助かるように見えた。


 レオンには。


 ユリウスにも。



 けれど、ルキウスは知っていた。


 もう戻らないということを。


 見た目には分からないところまで壊してある。


 それは、傷ではない。


 もっと内側。


 命が命として残るための場所。


 そこに、ひびを入れてある。


 だから、選んでも意味はない。


 選ばなくても意味はない。



 ただ、選ぶ姿だけが残る。



 それを見るための場だった。





「……こっちからやる」


 レオンが言った。


 状態の悪い方へ手を伸ばす。


「こいつの方が危ない」


 判断は早い、そして正しい。


 少なくとも、彼の知っている範囲では。



 ユリウスはもう一人を見た。


 こちらも悪い。


 でも、まだ持ちそうに見える。


「……俺はこっちを見る」


 短く言った。


 レオンは頷く。


 役割が決まる。



 その瞬間、エイドルが口を開いた。


「選択を確認」


 淡々と言う。


「対象二名に対し、同時維持を試行。成功確率、低」


「うるせえ」


 レオンが吐き捨てる。


「確率で人間見てんじゃねえよ」


「人間であることは評価軸に含まれない」


 エイドルは当然のように答えた。



 レオンの手が止まりかけた。


 でも、止めない。


 止めたら、本当に終わる気がした。



「……ユリウス」


「分かってる」


 ユリウスは答える。


 分かっている。


 何をすればいいかは。


 でも、なぜか。


 指先に触れた体温が、妙に軽かった。


 生きているはずなのに。


 そこにいるはずなのに。


 奥が、空っぽに近い。



 ユリウスは、ほんの少しだけ目を細めた。


 違和感。


 前にもあった。


 死んでいるわけじゃない。


 でも、もう届かない感じ。



「……レオン」


「なんだ」


 レオンは手を止めない。


 血を押さえ、呼吸を見て、できることを積み重ねている。



「……これ」


 ユリウスは言いかけ、言葉を探す。


「……たぶん」


 そこで止まる。


 言っていいのか。


 今、言うべきなのか。



 レオンは顔を上げない。


「……言え」


 ユリウスは息を吐いた。


「……どっちも、もう無理かもしれない」



 空気が止まる。



 レオンの手が、ほんの一瞬、止まった。


 でも、またすぐに動きだす。


「……かもしれない、だろ」


「ああ」


「じゃあやる」


 即答だった。


 迷いはなかった。


 いや、迷いを動きで振り払った。



 ユリウスはそれ以上言わなかった。


 言えなかった。



 エイドルは、そのやり取りを見ていた。


 人間が、失敗確率を認識した上で継続する。


 非効率。


 非合理。


 しかし、反応としては記録に値する。


「継続理由を確認」


 エイドルが言う。


「成功確率は低い。失敗時の損失は変化しない。それでも継続する理由は何か」



 レオンは答えなかった。


 答える余裕がなかった。


 代わりに、ユリウスが口を開く。


「やめる理由がないからだろ」


 エイドルの視線がユリウスに向く。


「理由として不十分」


「だろうな」


 ユリウスは短く返す。


「でも、人間はそれで動く」



 エイドルは、しばらく沈黙した。


 理解ではない。


 分類している。


「人間的反応」



 レオンは、笑わなかった。


 怒りもしなかった。


 ただ、必死に手を動かしていた。




 そのとき。


 一人目の呼吸が、ほんの数秒だが、不自然に整った。


 レオンの表情に、わずかな光が差す。


「……戻った」



 だが、次の瞬間。


 その呼吸は、深く沈んだ。


 どこかへ、落ちていくように。



「……おい」


 レオンの声が掠れる。


「おい、待て」


 返事はない。


 体温だけが、残っている。


 命の形だけが、そこにある。


 でも、もう戻らない。



 レオンは、それを理解した。


 理解してしまった。


 それでも、数秒、手を離せなかった。



 その数秒の間にもう一人も、静かに沈んでいった。


 ユリウスの手の下で。


 暴れもしなかった。


 叫びもしなかった。


 ただ、静かに終わった。


 あまりにも静かに。




 誰も何も言わなかった。



 選んだ。


 動いた。


 それでも、何も救えなかった。




 エイドルが、沈黙を破る。


「結果確認。対象二名、消失。人間側対応、失敗」


 記録。


 ただの記録。



 レオンが、ゆっくり顔を上げた。


「……てめえ」


 声が低い。


 でも、エイドルは揺れない。


「本件はルキウスによる撹乱行動と推定。構造痕の偽装を確認」



「……偽装?」


 ユリウスが聞く。


「この場の痕跡は、構造側によるものではない」


「類似処理、目的は誘導」


 一拍。


「教会および構造の同時誘引」



 レオンの顔が歪んだ。


「……じゃあ、俺たちは」


 言葉が続かない。



 ユリウスが静かに言う。


「……遊ばれた」


 その言葉が、いちばん近かった。



 エイドルは否定しない。


「表現は不正確。だが、概ね一致」



 レオンは拳を握った。


 怒り。


 後悔。


 無力感。


 全部が混ざる。



 それでも、今ここには、ぶつける相手がいない。


 ルキウスはいない。


 ただ、結果だけしかない。




 ユリウスは、二人の遺体を見た。


 彼らは助からなかった。


 誰が何をしても。


 でも、その事実に気づいたところで、何も軽くはならなかった。


 むしろ、もっと重くなる。


 選択には意味がなかった。



 それでも、選んだことは残る。


 動いたことも。


 迷ったことも。


 救えなかったことも。


 全部。




 エイドルは、その場を離れようと動いた。


「……待て」


 ユリウスが言う。


「お前は何を見に来た」


「ルキウスの逸脱行動、および人間側の反応」


「……人間側?」


「肯定」


 エイドルの視線が、レオンに向いた。


「失敗を認識してなお行動を継続。記録価値あり」



 レオンが、静かに息を吸う。


「……ふざけんな」



 エイドルはその言葉を記録しない。


 必要がないから。


 そして、姿が薄れる。


 消える直前、最後に言った。



「本件、唯一性あり」


 それだけを言い残して消えた。



 残されたのは、レオンと、ユリウスと、二つの終わった命。




 夜は、静かだった。



 それが、何よりも腹立たしかった。






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