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バジーレ辺境伯という人

あの日以来、バジーレ辺境伯は城塞にいることが多くなった。それは毒殺未遂事件の真犯人の捜査があってのことだとは思われる。ただ、プルデンテは勿論アストゥートと共にではあるが、当主である辺境伯と食事を共にすることも多くなり、家事に関して多少なり言葉を交わすようになった。

バジーレ辺境伯は、彼女の側にいる娘達を気にして視線を向けている。特に成長に伴って感情が芽生え、よく笑い、好奇心から様々なものに輝く瞳を向け始めたファビオラを気にかけている。彼はプルデンテと言葉を交わしつつ、腕の中のファビオラを凝視と見つめる。目の合ってファビオラが笑えば慌てて視線をそらすが、抱き上げているプルデンテは気付いてしまう。

テオドラのことも気にしてはいるが近付こうとはしない。恐れを抱くかのように、今まで通り離れて眺めている。第二子で娘であるファビオラは彼の信条からバジーレ家の跡継ぎからは遠く、何よりまだ将来の夢を思うことすら浮かばない赤子であるにも拘わらず、非常に気にしていた。


(関わりは皆無と言っていいほど。言葉を交わしたのだって、テオドラを出産して以降のこと。今はバジーレ家の家事や行事の取り決め、采配についてのみ言葉を交わしている。私については何も仰らないし、子供達のことは気にしているだけといったところ)


バジーレ辺境伯は、跡継ぎにしたい男児を産めないプルデンテを初見の様子から快く思っていないはずであるのに、以降は蔑みも苛立ちも向けることはなかった。


「複雑な心をお持ちの方かもしれないわね」


「まあ、若奥様に対してまだ問題のある者がいらっしゃるのですか?」


夏の日の夜半、寝室にて。

水分補給のために用意された毒味済みの冷水を飲みながら、思い耽っていたプルデンテは声を漏らしてしまった。二人がけのソファに深く身を沈めて、片手にグラスを持つ彼女は、締め付けのない薄地のネグリジェに身を包んでいる。気も緩んでしまったようで、思うことが口から漏れてしまった。

その呟きの内容から、不穏だと感じたシエナが眉を寄せている。このままでは思い描いた問題の人物を探り当てて抗議をしてしまうだろう。すっかり心を寄せてくれている彼女に対して、プルデンテは笑みを零した。


「いえ、私に対して問題のある方ではありません。バジーレ辺境伯について思うことがありまして・・・子を生むたびにその性別で落胆されるのに、以降は責めることはしない。それぞれに向ける感情は違えど、あの子達を気にかけて見守っていらっしゃるでしょう?アストゥートの妻として望まなかった王家の人間である私と、望まない性別の孫達であるのに虐げる真似はされない。私達に悪感情だけはないのかしら、と考え耽ってしまったのです」


「そうでしたか・・・それは、まあ、ふふ!ご安心ください、若奥様。大旦那様は単純な方です。何かしら思い詰めたから、あのような対応をされているわけではありません」


おかしそうに含み笑いをしたシエナは、水が半分以下になっていたグラスを「失礼」という言葉と共に取ると、ピッチャーからなみなみと注いだ。

冷水で冷えたグラスが再びプルデンテに手渡される。


「バジーレ家の跡継ぎは男児。防衛地の武の家系だから当然であり、女児では将になり得ない。だから、お子様達の性別に落胆された。それだけでございます。生まれてしまったからには存在を否定するなどといたしません。何より、大旦那様にとって女性は守るべき存在ですわ」


「守るべき、存在?」


シエナに語られて思い出す。数カ月前の中庭にて、毒殺未遂に激昂したバジーレ辺境伯の言葉の一端を。


『守るべきか弱き女の命を散らすなど非道極まりない!!』


抑えきれないほどの感情が高ぶっての発言であることから、あの言葉は本心であるとプルデンテは理解した。

何より、辺境伯は出産で疲労している彼女に対して労りの言葉を送ってくれてはいた。嫌みのような発言と共にではあったが、だからこそ印象が薄れてしまっていたのかもしれない。


「大旦那様は正しく戦うために生まれたと言っても過言ではない武人であり、少々、人との交流に問題があります。他者の心が分からないといいますか、他者の視点に対する理解ができません。自分の考えを押し通し、信用した者の発言には間違いはないと純粋に信じてしまう。きっと若奥様の出生の噂を鵜呑みにしてしまったことで、最初こそは嫌悪感はあったのでしょう。噂の元を絶ったことで、もはや悪感情は抱かれていないかと」


「そうですか。つまり、バジーレ辺境伯は・・・悪い言葉になってしまいますが猪突猛進な単純な方、ということですか?」


「ええ、正しく」


苦笑したシエナの顔から視線を落とし、清らかな冷水の注がれたグラスを見る。喉の渇きから口を寄せて一口飲むと、冷たさが喉を通り、食道へと落ちていった。


「女性はか弱く守りべき存在だという考えは改めません。ですから、若奥様や幼いながらも気の強いテオドラお嬢様の対応ができないのだと思います。恐れを抱かれる容貌から女性に挑みかかれるなど皆無でした。ご自身の奥様、今は亡き夫人のヴィオラ様は大旦那様の思い描いた女性そのもので、男性としても騎士としても守るべき者だと、支えて寄り添っていらっしゃいましたもの」


口へと傾けていたグラスを戻し、シエナに目を向ければ、彼女はどこか遠くを見つめていた。記憶の中にある思い出に浸っているようで、その穏やかながら憂いのある表情は、恋物語の小説を読んでいた二番目の姉スプレンディドと重なる。


「ご夫婦の仲は良かったのですね」


「ええ、とても。実は私はヴィオラ様の侍女でした。バジーレ家に嫁がれた際、そのままお仕えすべく同行したのです。大旦那様のことも、それこそ幼い頃からの婚約者だったので知っておりました。まだ四歳の男の子が、我が主を前に『妻になる君を守るのが使命だ』と勇んでいておりまして、非常に可愛らしいと思ったものです」


「まあ」


口元が緩んでしまったプルデンテは、そっと右手で隠した。

その瞬間、恋物語が悲恋だったと顔を曇らせたスプレンディドと、シエナは同じ表情を浮かべた。


「ヴィオラ様が殺害されたときの大旦那様はあまりに悲痛でした。私もヴィオラ様の突然の死が苦しくて悲しくて思わず泣き叫んでいましたが、大旦那様はそのご遺体にしがみついて離さなかった。従者達が引き離すほどで、墓所への埋葬すらも妨害していました。ヴィオラ様を死の国にも渡したくないと仰って、愛情は本物だったのでしょう。だから、守るべき人を失った慟哭は凄まじく、殺人者に対する恨みから残虐な刑を自ら行う気持ちも分かってしまいますわ」


シエナの目が煌めくのは、思い出から涙が浮かび上がったから。

プルデンテは、敢えて向かい合うローテーブルに音を立ててグラスを置く。その音にハッとした彼女は、手の指で素早く涙を拭うと、グラスを回収した。


「シエナのおかげで、バジーレ辺境伯に対する印象は変わりました。ありがとうございます」


「いえ、長話となってしまい、若奥様にお時間を取らせてしまいました。申し訳ございません」


「お気になさらないで。また昔の、私の知らない家族のお話をお聞きしたいわ。お義母様がどのような方だったのかも知らないのですから」


「・・・はい、若奥様が望まれるのでしたら、私の知る全てをお話いたします」


グラスをピッチャーの載る銀のトレイに載せたシエナは、手押しのワゴンに置いた。


「お嬢様方が目覚めてしまったのならお任せください」


「ええ、お願いします。ですが、ファビオラは乳児ですから乳を欲したならば私が」


「若奥様の負担を軽減するために、乳母という役職があるのですよ。若奥様は少々働きすぎかと。家事にアストゥート様の補佐、お嬢様方の養育もされているのです。ゆったりとお休みになられる時間が必要ですわ」


「そうかしら・・・この程度ならば普通かと思います。私は為政者ではありませんが、王国東の防衛を任された貴族家の女主人となりました。次代の子を育て、当主たるバジーレ辺境伯と夫のアストゥートを支え、家内の平穏を守るべく采配を振るう。どの貴族家でも当たり前のことでしょう?」


シエナは顔を顰めると、首を横に振った。


「ですから、若奥様のご負担を軽減すべく乳母を含めた使用人達がいるのです。何もかもをお一人でなさっては、いつかは倒れられています」


自身の母よりも年上のシエナだからか、プルデンテは諫言であると聞き入る。


「では、若奥様。アストゥート様は書類仕事を終え、入浴を済ませたらいらっしゃるそうです。本日はお二人でごゆっくりお休みください」


「ええ、休息となればよろしいけれど・・・」


プルデンテが気恥ずかしく頬を染めて言えば、シエナは小さく笑みを零した。


「ご夫婦が仲睦まじくいらっしゃるのは喜ばしいことです。ですので、これ以上の発言は控えさせていただきますね」


シエナは敬礼をした。彼女の後ろ姿を眺めることしかできず、気持ちに呼応する心臓の高鳴りを感じながら、ソファの背もたれに深く身を沈めた。


「快楽に耽るなど堕落そのもの・・・でも、はっきりと愛情を受けていると分かる行為ではあるし」


数カ月前まで、ファビオラが宿っていたことで膨らんでいた腹部に手を当てる。


「妊娠はしないと。子を生み育てるのが妻の役目だもの」


来訪を告げるために扉がノックされる。職務のように言うことを嫌う彼を思い、プルデンテは口を閉ざして唇を引き締めた。


(次こそは男の子を・・・バジーレ家の跡継ぎだからではなく、辺境伯に喜んでもらうためではなく、私自身が欲しいから。女の子とはまた違った子育てになるはずよ)


彼女は返事をするとソファから腰を上げる。同時と扉は開かれて、絹のパジャマを身に着けたアストゥートが入ってきた。


「プル」


両手を広げて歩み寄る彼に、プルデンテは躊躇わずに近付き、その引き締まった胴に腕を回して抱き着いた。途端に彼女の体は抱き締められて、愛しい温もりに包まれる。


「こうして貴女を抱き締めると安心する・・・はぁ、今宵はこのまま過ごしたい」


「お疲れでしょう、アストゥート。未だ発見に至らない毒殺犯の究明に、軍人としての職務、書類事も熟していらっしゃいますもの。本日はゆっくりと休んで」


彼の筋肉質な胸に頬をつけながら見上げれば、熱を帯びた眼差しを向けられていると気付いた。

理解をしたプルデンテは目を閉じる。すぐに彼女の唇は柔らかな温もりに齧り付かれた。






次の日の正午過ぎ。

プルデンテは、領内で獣の大量発生と報告されたために大規模な狩猟祭を開くという事柄をバジーレ辺境伯から聞かされた。

祭りに際してバジーレ家が保有する資材の在庫確認、帳簿と照らし合わせての資金捻出を話し合う最中、彼女の腕の中にはファビオラがいた。母の温もりを恋しがってか、どうしても泣いてしまうために抱き上げた状態だった。ファビオラは、バジーレ辺境伯に対して興味深いと言いたげな眼差しを向けている。辺境伯も、まだ喃語しか話せない彼女が気になっているようで頻繁に視線を向けていた。

二人の様子を言葉を交わしつつ気になったプルデンテは、思い切ることも大切であると思い直す。


「ところで、『お義父様』」


「なんでしょうか、何か気になることが・・・待て、今、私をお義父様と」


「帳簿のページを捲りたいので、暫しファビオラを預けてもよろしいでしょうか?」


「何、預ける?あ、お、お待ちください、少し、ああ」


身を寄せてることでファビオラを彼に寄せる。体勢からも抱き上げてほしいと願えば、バジーレ辺境伯は慌てながらもか弱い乳児を受け取ってくれた。

ぎこちなくもしっかりと抱き支え、微笑みを浮かべたプルデンテと目を丸くさせたファビオラを交互に見る。


「あ、あの、王女殿下」


「私の名はプルデンテです。お義父様・・・それで、資金に関してですが、中庭の維持費を今月分は抑えることができます。先月に購入した物資で賄えていますので祭りの経費に回せますわ」


「名は存じています。今さら呼ぶなど躊躇っていましたが、いえ、そうではなく」


「狩猟祭において金銭面では問題はありませんね。ですので、警備の人員こそお願いします。各町村の守備が薄くならない程度に守備部隊から徴用していただけませんか?日雇いの傭兵は手軽ですが、きちんと我がバジーレ軍に所属したものでなければ安心できません。そうでしょう、ファビオラ。お強いお祖父様がいても、貴女の側にはずっといることはできませんもの。お祖父様にはご当主としての責務がありますものね」


動揺を見せるバジーレ辺境伯を押し切って話を進めれば、彼は自身に手を伸ばすファビオラに目を向けた。頬を叩かれつつも、ただ見つめて、口元を緩める。


「・・・当然です。バジーレ家の婦女に手を出す悪漢など決して近付けはしない。ファビオラ、お前が安全に過ごせるように采配をしよう」


「あうー!」


声を上げたファビオラに、高い鼻を掴まれても義父は怒らなかった。優しい笑みを浮かべて眺める様を、プルデンテは穏やかな心で見つめる。


「慣れていらっしゃいますね」


「子の対応ですか?当然でしょう。アストゥートがこのくらいのときは、よく抱き上げたものです。それこそ、あれが父は嫌だと怒るまで」


「まあ・・・」


優しい笑みの浮かぶ顔を向けられて、彼女も口元を緩めた。

職務の最中でのこと、突如とした僅かな休憩時間。プルデンテは義父と共に愛しい我が子について語り合う。

これほど長くなるとは思わなかったから、お義父さんの名前は考えてませんでした。イタリア語縛りなんで、いつか公の場とかでバーンッとカッコいいイタリア名を掲げたいもの。未定ですけどね。

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