中庭で思い耽る
幼児の舌足らずさを上手く表現できない自分が憎い。幼児の愛らしさの一端に舌足らずさがあるのに!
日の差し込む中庭、赤い花が整然と並び咲く花壇の前。至近距離で花を眺めるテオドラには、シエナが付いている。まだ乳児のファビオラは、移動式のベビーベッドの中で爽やかなそよ風を受けながら健やかな寝顔を見せていた。
プルデンテは二人の愛娘の姿を捉えながら、ベンチに腰を下ろしている。内心に不安を抱えながらも平静と表情を引き締める彼女には、ぴったりとアストゥートが寄り添っていた。
彼の目も娘達に向かってはいるが、プルデンテの肩を抱き、膝に置いた手に自身の指を絡めて握ることで、彼女を支えていた。
未遂となった毒殺事件は、実行犯とされた厨房の見習いの自害によって暗礁に乗り上げている。
見習いの男は動機を話さずに死を選んだ。プルデンテやバジーレ家に対する恨みがあってのことならば、抱えきれずに吐露するはずである。致死力の高い毒薬を使用することから、強い殺意を感じる。それにも拘わらず、男は死を選んだ。何も語らないことを選んだ。つまりは、彼自身に殺意はなく、何者から命じられたからこそ行動に映し、真の主人のことを話せないから死を選んだ。
そして何より、使用された毒薬が辺境伯夫人の命を奪ったものと同じであることから、以前よりバジーレ家の排斥を狙っている者の犯行と推測できる。
これはプルデンテ自身の推測だが、見習いの男の行動から間違いないと確信を得ていた。
彼の忠誠心の高さ。その後ろにいるらしき真犯人がどのような立場、権力を含めたどれほどの力を保有しているのか。恐れを抱かずにいられない。
未だに家族の命を狙われている恐怖心から、彼女の体も顔も強張っていた。
「プル・・・」
耳元に聞こえた気落ちした声に、プルデンテの視線は横へと向かう。彼女の前では感情を見せる夫は、周りにいる従者も侍女も目に入っていないと、悲しそうに表情を曇らせていた。
「貴女の心中を思えば、決して穏やかではいられないと思います。俺がいたとしても死の恐怖は拭えない。未だに主犯が不明であることは、貴女に多大な不安を与えているはずです・・・俺は身を寄せることしかできない。それが非常に不甲斐ないと思ってしまう」
「あ・・・いいえ、アストゥートが今も真犯人の捜査をしていると存じてますから、不安は・・・ないとは言えませんが、夜に眠れぬほどの不安はありません。貴方が寄り添ってくだっているから安心感を得ています」
言葉にしたことは真実であると口元に笑みを浮かべれば、アストゥートは眉間にあった皺が深くなる。
「貴女が不安を抱えることのない心穏やかな日々を送らせてあげたい」
「こうして側にいてくださるから、私の心は不安に塗り潰されることはありませんよ」
彼の頭が動き、プルデンテのこめかみに触れた。重みを感じて、耳元に息が掠める。ぞくりとした感覚を得たが、昼間の中庭、何よりも娘達を含めた人目があることで彼女は己を律する。
「貴女に対して使用された毒薬は母を殺したものと同じ・・・きっと以前に母を、いや、本来ならば父の殺害を企てた人物と同じでしょう。バジーレ家中の者による計画として捜査を続けます。領軍に属する部下だけでなく分家も調べて、すぐにでも貴女の不安を拭いましょう」
「・・・思うのですが、以前のお義母様を死に至らしめた人物ならば、そうすぐには判明しないでしょう。辺境伯夫人の殺害ですもの。以前も家中や末端に至るまで捜査されたはずです。それでも真犯人の発見に至らなったのですから、よほど隠蔽工作が得意でいらっしゃるのか、偽装技術が高いのか・・・そもそも、捜査範囲を違えていた可能性もありますわ」
「捜査範囲・・・バジーレ家に属する者でも、傘下の者ではないと?」
「そのような方達を実行犯に唆せることができる人物ではないかと、ふと思いました。計画を立てた主犯の方は、バジーレ家の者では届かぬ地位や権力を持ち、物理的にも距離があることで、家中から犯人を発見したところで所詮はトカゲの尻尾切りといった状況なのかもしれません。今回の事件では、自害された男性の立場は調理場の見習い。お義母様のときは、確か給仕の方だと聞き及んでいます。バジーレ家によって雇用が決定されていましたが、紹介こそは分家か、領軍の、今回は鉱山町の部隊長による募集での斡旋でしたね?」
一度頭を離し、アストゥートは視線を合わて頷いた。プルデンテは言葉を続ける。
「では、分家か鉱山町の部隊長こそが真犯人だとして、そのように足のつくようなことをされるでしょうか。現にお義母様の事件では、紹介をされた分家にバジーレ辺境伯による捜査が入ったと存じています。ただ、どれほど追及しても当時のご当主は無罪を訴え、証拠もありませんでした。証拠等は消失させられたのかもしれませんが、発見に至らなかったのはもとより存在しなかったから。当時のご当主による計画ではなく、隠れ蓑にした別の権力者による指示だった」
「母を殺害した給仕に別の雇用主がいて、その指示に従った。そういうことですか?」
「私の想像による憶測ですが・・・考えられることだとは思います。今回の件も同様です。実行犯の死亡により、彼の関係者は紹介状や契約書等に記載された関係者のみ。明確に残っている証拠だからこそ着目されています。ですが、彼本人の交流はそれだけではないはず。彼の死によって消失してしまった」
「・・・ああ、そうか。地位を持たない人間だからこそ誰と接触し、誰と関わりがあっても記録には残らない」
プルデンテは頷く。思考のためか真顔になったアストゥートは、息を漏らすと再び頭を寄せた。
「雇用主の正体によっては、何も語るべきではない。そいつに対する恐れから死を選んだのか・・・母の時も給仕は、動機を話さずに黙秘を続けたことで処刑となりました。当時子供だった俺は目にしなかったが、父による私刑に近い残虐な行いを受け、それでも一言も漏らさなかったそうです」
「あまりにも口が硬いと思います。給仕は無言で残酷刑を受け、今回の見習いの方も自死を選ぶほどですから」
「おかしゃま、おとしゃま」
寄り添い、声を潜めた会話の最中。赤い花の花壇を眺めていたテオドラが、即座に振り返って駆け寄ってきた。慌てて追うシエナに振り返らず、真っすぐに近付いてきた彼女は、プルデンテの身に着けるドレスの柔らかなスカートにしがみつく。
「君は全く・・・随分と元気がいいな」
「おはなをおひめしゃまにささげたいんです!あれ、きれーでしょ?いいでしか?」
テオドラは振り返りはせず、プルデンテを見上げながら鮮やかな花弁を広げる花を指で示す。
「花壇のお花は私達の心を・・・そうね、私達が目にすることで綺麗だと思ってもらう庭師の方がお世話をしています。勝手に摘んでしまうのはいけません。庭師の方にお願いして、大丈夫だと仰っていただいてからよ」
「君は相変わらずファビオラを姫だと言っているのか」
「だっていもーとでしから!テオドラはきし!ファビはいもーとでかわいいのでおひめしゃま!きしは、おひめしゃまにはおはなをささげるんでし!」
「ファビオラを姫だと認めたとして、そうなれば広義的に君も姫になるんだが」
「?・・・よく分からないのでしけど、テオドラはおひめしゃまじゃりません!きしになりましゅ!きしだからささげたいんでし!」
両足を叩き付けるように地団駄を踏むテオドラ。幼いながらに我を通そうとする様は、感情がないほど落ち着いた時の彼女とはあまりにも真逆であるため驚きを与えられる。感情の起伏が激しい子なのだと再確認しながら、プルデンテは口元を緩めた。
彼女は、呆れと溜め息を漏らしたシエナに顔を向ける。
「シエナ、ご苦労をおかけしますが、庭師の方にお話してくださいますか?」
「はい、畏まりました」
「シェナ、お花もらいにいくでしか?テオドラもいきまし!」
敬礼をして踵を返したシエナ。その動作を耳に捉えたらしいテオドラは即座に振り返り、歩き進む彼女の後を追う。
「・・・あの子の性格は俺に似ていると思ってましたが、どうも違う要素があるようだ。顔立ちから判断しても、貴女の家柄から継いだ気質ですかね?」
「そうですね・・・やはりといいますか、ディニタお姉様と似ている部分があると思います。普段はアストゥートのように穏やかですのにね?」
「俺が穏やかというのは語弊があると思いますよ。テオドラの賑やかな性分は生まれ持ってのものでしょう。ファビオラはどうなるか」
ベンチの横に設置したベビーベッドの中へとアストゥートは顔を向けた。プルデンテも倣って振り向けば、ファビオラの健やかな寝顔が目に映る。時折、唇を食むように動かして、手を動かしていた。夢を見ているらしい乳飲み子の娘へと手を伸ばす。薄く生えた銀と思しき髪を撫で下ろし、清潔なロンパースに包まれた柔らかい腹部にその手を下ろした。呼吸で膨らむ様子に安堵して、プルデンテは娘の穏やかな寝顔を眺める。
「話が転じたが」
短い息遣いのあとに発せられた声。アストゥートの真剣な声色に、彼女は振り返ろうとした。
だが、誰かの慌てた声と重さのある足音。そして、金属の擦れる音を耳にしたことで身を固める。
思わずベンチから立ち上がった。肩を抱いていたアストゥートの手も外れたが、彼も立ち上がり、来訪者へと対峙するような体勢になっていた。顔を向けたプルデンテには、背中を見せるアストゥートの奥、重装の鎧姿で腕を組む義父のバジーレ辺境伯の姿が見えた。
「何の用か、と言うのはおかしいか。お前も報告を受けただろう。急いで戻ってきたようだが、プルデンテの毒殺未遂に関しては現在」
「王女殿下に被害はなかったのだな?」
冷めた声での発言を遮った辺境伯は、プルデンテへと眉間に皺を寄せた観察するかのような視線を向けた。威圧感のある眼差しに多少気圧されながらも、彼女が頷けば、バジーレ辺境伯は深く息を吐き、肩の力を抜いた。
組んでいた手も解いて、右手で額を押さえるように触れる。
「御身が無事と知り、安心しました。では、アストゥート」
「あぁ?」
言葉を遮られていたアストゥートは、二の句を継げようと窺っていたようだった。だからこそ、突然名前を呼ばれた瞬間に混乱と声を漏らす。
「王女殿下を我が妻のように殺害至らしめようとした悪漢はどうした?きちんと処刑したのだろうな?」
怒りに震えた声。無理に抑えようとしているために抑揚がおかしかった。同じように怒気の滲んだ表情は迫力があり、自身へと会話の矛先が向かっていないことで、プルデンテは遮ることもできなかった。
「・・・実行犯は服毒自殺をした。現在は指示役と思われる主犯の捜査をしている」
「また実行犯か!ヴィオラの時と同じではないか!同じ毒薬、同じく末端を実行犯に使った犯行!お前が探しているその主犯とやらはヴィオラのときと同じ者だ!!早く見つけろ!決して逃がすな!!二度も我が家を、ヴィオラに続き王女殿下の命をそれも明確に狙うなど許してはならん!!捜査資料を寄越せ!!私が指揮を執る!!守るべきか弱き女の命を散らすなど非道極まりない!!」
怒りが噴出したと顔を赤くして吠えたバジーレ辺境伯。迫力のある怒声は響き、物語に語られるオーガのような形相を浮かべる彼に、流石のプルデンテは怯んだ。自身に向けられていないと分かっていても、殺意すら感じ取って身動きができない。
「ふっ、ふぇ、ふぎゃ、ふぎゃぁ!ふぎゃぁ!」
だが、怒声に目覚めて怯えたファビオラの泣き声に、彼女はハッとする。すぐざまベビーベッドに近付くと、手足をバタつかせる愛娘を抱き上げて、胸に寄せた。まだ首すら座っていないため、しっかりと抱きかかえて、自身の温もりを感じさせながらゆっくりと体を揺らす。
プルデンテとしては、なぜだか怒り露わなバジーレ辺境伯を責めるつもりはなかった。彼女に悪感情を抱いているはずの辺境伯だが、毒殺が逆鱗に触れたのだろうと思うだけ。彼が口にしたヴィオラという名前こそ毒殺された辺境伯夫人であり、同様とプルデンテも殺されかけた。だからこそ、妻を失った怒りを思い出して荒ぶっているのだと理解を示していた。
だが、彼女が視線を向ければ、先程までの怒りは鳴りを潜めたとバジーレ辺境伯は顔を引き攣らせていた。怯んだかのように一歩下がる。
「も、申し訳ございません。赤子を泣かせるつもりはなく、感情の制御ができていませんでした」
謝罪まで言葉にして会釈をされた。
そのような彼に、アストゥートは深く息を吐くと、ベンチから腰を上げる。
「聞き慣れない重装の大男の大声と気配を間近で感じたんだ。泣くに決まっているだろう・・・子と遊んだことすらないお前は知らないだろうが、赤子は意外にも人の気配に敏感なんだ。生まれて数日だろうとも、自分の脅威となる者を感じれば警戒から泣き叫ぶ。気を付けろ」
ファビオラを宥めるために体を揺らして声をかけるプルデンテを尻目に、彼は実父に言葉を投げつけると、彼女へと身を寄せた。
涙を流すファビオラの頬を傷付けないように、指の背で撫でて涙を拭う。
「・・・言われなくとも分かっている。赤子だったお前は知らんだろうが、私はそのお前の世話をしたことがあるのだからな」
「・・・ああ、そうか。ならば、そのときのことをよく思い出すんだな」
アストゥートが支えるようにプルデンテの背中に手を添えた。身を屈めた彼は腕の中のファビオラを眺めているようだが、その目線はバジーレ辺境伯に向かい、鋭く睨み付けていた。辺境伯も険しい表情を見せている。
プルデンテがバジーレ家に嫁いで五年経つ。だが、彼女は数度ほどしか二人が顔を合わせることを目にしたことがない。言葉を交わせば、親子とは思えない厳しい口調となっている。彼らはお互い相容れない相手だと言動で表していた。
辺境伯が自身とも関わりを持とうとしないことで今まで意識していなかったが、アストゥートとバジーレ辺境伯は険悪な親子関係だと気付く。
これは立場から自身こそが諌めるべきだろうか。プルデンテはそう考え、ファビオラが落ち着いたこともあり、二人へと言葉を投げかけようとすれば。
「おはなとってだいじょぶですだそうでし!じゃま!!」
バジーレ辺境伯の背後に駆け寄ってきたテオドラが、大きな声で報告するついでに辺境伯に再び「邪魔」という言葉を浴びせた。
肩を跳ねた彼が振り返れば、膨れた顔のテオドラが見えたようで、慌てながら会釈をすると、そのまま立ち去っていく。
急ぎ足で遠ざかっていく武人の広い背中を眺めるプルデンテ。彼女は、顔を寄せたアストゥートが額にキスをすることでハッとすると、彼と顔を向かい合わせる。
「母を殺された怒りを思い出して、こちらに特攻してきたようです。周りの見えない男で困ったものだ」
「そう、ですか・・・でも、バジーレ辺境伯は私のことを心配に思ってくださっていましたし、大声に泣いてしまったファビオラのことも気にかけてくださいました」
「言われてから気付くなど遅いのです。ファビオラは先日生まれたばかりなんだから」
「おかしゃま!おはな!おひめしゃまにおはなあげましゅ!さげるー!」
「分かった、分かったから。そんなに大きな声を出してはいけない。折角落ち着いたファビオラがびっくりしてしまうだろう」
プルデンテのスカートの布地をんで引いて揺らすテオドラは、見かねたアストゥートが制した。彼はシエナと共に追いついた庭師に言葉をかけて、花を選ぶべく、テオドラを連れて花壇に近付いていった。
プルデンテは夫と娘が花を眺めている姿を眺めつつ思う。
(思えば・・・テオドラは孫であるのに恐れを抱いたかのように対応する。ファビオラを泣かせたことには怒りを収めてすぐに謝罪をした・・・アストゥートと仲が悪いようだけれど、辛く当たっているのはアストゥートだけ。辺境伯自身はすぐに身を引いている・・・私に対しても、悪感情を抱いているはずであるのに身を案じてくれた。毒によって排除できたかもしれないのに・・・いえ、自身の妻を死に至らしめた毒だったのだもの。毒にも計画した真犯人にも怒りを燃え上がらせるのが当たり前・・・だからこそ)
「・・・思い込みでどのような人であるかと決め付けるなど、愚行だわ」
「プル」
そよ風にすらかき消える小さな声で呟けば、アストゥートに声をかけられた。
彼女が視線と意識を向ければ、三本の花を手に抱えたテオドラと、プルデンテへと手を差し出しているアストゥートが映る。
「テオドラが貴女と俺にも花を渡したいそうです。こちらに」
「・・・ええ」
口元を緩めた彼女は、健やかな寝息を立て始めたファビオラを起こさないように、ゆっくりと歩きながら愛する家族のもとに向かう。




