十年振りの王城
バジーレ領から出立して三日、最後の宿場から辺境伯家の馬車で走ること二時間ほど。整備された石畳の街道を進む先に平原が見え始めて、その中央にそそり立つ障壁があった。
馬車の窓際の席に座っていた濃紺のワンピース姿のテオドラが気付いて声を上げると、レースが控えめなパステルオレンジのドレスを身に着けたファビオラが窓枠へとかぶりつくように身を寄せた。
「すごく大きく高いカベだ。あれが王都」
「バジーレのりょうとのカベよりも大きいですわね〜・・・門もかざりが沢山で、まあ!お姉様ごらんになって!怖いカイブツのせきぞうが上から門をみはっていますわー!」
「あれは魔除けの像だよ。戦っていたばかりのバジーレでは、ああいった像はハカイされてなくなってしまったんだ。王都は周りも味方しかいないからハカイする敵がいない。だから、昔造られた魔除けの像も残っているんだと思う」
「まあ、そうですの?あのようにコワイすがたでも悪い方ではないのですね〜・・・」
お互いに窓の外を見つめながら娘達はのんびりとした会話をしている。
黄色に金糸で刺繍がされたデイドレスを身に着けたプルデンテは、その微笑ましさから口元を緩める。彼女は空腹を訴えてぐずったヴェネリオに食事を与えていた。対面した席に座る黒い軍服姿のアストゥートが持つ小さな器にスプーンを差し込むと、牛乳と千切ったパンを混ぜて作った離乳食を掬い取り、腕に抱えたヴェネリオの身に着けるロンパースを汚さないように口元に運ぶ。大きく口を開いて待ち構えていた彼は、スプーンにぱくりと食らいつくと、柔らかな離乳食を口を動かして咀嚼する。
「おいち、あ〜」
「はい、あ〜ん」
再びスプーンで掬った一口を寄せれば、すぐにかぶりついて頬を膨らませながらも咀嚼する。
食器を持つアストゥートはヴェネリオの食欲に感心しつつ、ふと眉間に皺を寄せた。
「この食欲は父に似たのかもしれない。このままヴェネリオがあの大食らいと同じようになると思うとゾッとします」
「そうですか?食欲だけでは推し量れませんわ。この可愛らしいお顔は貴方によく似ていらっしゃいます。将来はアストゥートのような美男子になると思いますよ」
「つまり、延長線上に父がいるといることでは?食事制限をしてはヴェネリオが可哀想だが、俺よりも食べるとなると体格は逞しくなるのは必然。食事量に合わせて体は大きくなり、いつかは父のようになってしまう・・・この子の将来のためにも文官職を薦めるべきか?」
ヴェネリオの大口に、たっぷりと離乳食を掬ったスプーンを差し込む。一生懸命に咀嚼する彼を見つめながら、プルデンテは小さく息を吐いた。
「まだ物事の把握もできない赤子ですよ。将来のことを考えるのには早すぎます。この子が考えられるようになって様々な事を知り、自身に合うものを見出してからでしょう」
「・・・そうですね。父と似た部分に気がはやってしまった」
アストゥートの持つ器は空になり、ヴェネリオも満足したと息を吐く。プルデンテは彼の汚れた口元をハンカチで拭くと、スプーンをアストゥートから受け取った器と共にバスケットの中に収めた。
馬車の御者台に続く小窓が軽く叩かれる。アストゥートがその窓を開ければ、侍従が声を発した。
「王都の南門に到着します。検問が設けられているので審査が済み次第、進入となります」
「分かった」
装飾された南の大門が近付いてくる。他の馬車を目にしたファビオラは座席から降りて食い入るが、テオドラが注意をしている。順番に検問を受けるため、馬車は縦に並んでいく。僅かに進むとすぐに止まり、また僅かに進んで止まるの繰り返し。
戴冠式の参列者による王都入りだと理解して、飽きから腕の中で身じろぐヴェネリオを宥めながらプルデンテは静かに待つ。
テオドラとファビオラが暇を潰すためにボードゲームを出した。ゲームルールに則って駒を動かす彼女達は時折、窓の外を見て景色の変わらなさに溜め息を漏らす。
「・・・長いな」
「貴族家の紋章がある馬車も多く見受けられます。他家もディニタお姉様の戴冠式に参列するために領地からいらっしゃったのでしょう」
「これほど長い車列は初めてです。思えば、現国王陛下の戴冠式から三十二年振り。女王陛下の誕生をこの目にしたいと思うのは当然なのでしょう」
馬車はゆっくりと前進する。再び止まり、ヴェネリオは眠そうな顔を浮かべて頭を揺らしていた。プルデンテは背中を一定のリズムで優しく叩き、その眠りを誘発させる。また馬車が前進する。ボードゲームではテオドラが勝利したようだった。不満だと頬を膨らませたファビオラがもう一度と強請っている。その最中にも馬車は前進して僅かに進むと止まる。
ふと、後ろに続いているバジーレ家の従業員や護衛騎士を乗せた馬車をプルデンテは気にかけた。すぐに続いていてくれるのなら、はぐれる心配はないと考えて。その間にもまた馬車は僅かな前進と停車する。
「検問となります」
「やっとか」
王都の一警備部隊が設けた門前の検問所に到着した。馬車の周囲では複数の気配と足音、金属が接触して擦れる音は身に着けた鎧によるものだろう。
馬車に彫られた紋章から、バジーレ辺境伯家だと知られている。ディニタからの招待状もあることから、弾かれることなく無事に入場を果たすはずだった。
「アストゥート様、警備隊の者が直接お話したいそうです」
だが、プルデンテの予想に反して審査は難航している。アストゥート自らが対応するほどで、彼は躊躇いなく馬車の扉を開くと直接対応を始めた。
逞しい体が塞がることで状況は分からないが、何かしら会話をしているとだけ分かる。足止め状態からか、多少アストゥートの語気は荒くなっているものの、離れた位置にいるプルデンテには内容は聞こえない。
眼前で繰り広げられるやり取りはアストゥートが一歩下がることで終わった。対応した兵士の顔は表情は引き攣っているため、彼に厳しい言葉を受けたのではないかと心配に思う。
「了承した、これから向かう。後で手違いだったと言うならば、それなりの謝礼を願い出よう」
扉を閉めたアストゥートは、複雑な表情を浮かべてプルデンテへと視線を向けた。
「どうなさいました?」
何事かと問えば、彼はゆっくりと唇を動かして話し始める。
「警備部隊長からの通達ですがら、バジーレ辺境伯家は王家の外戚であることから王城での宿泊を命じられました」
「まあ・・・」
彼女は驚くも、もはや決められたことだと馬車は動き出す。対面する席に再び座ったアストゥートも、不可解といった様子で眉根を寄せていた。
確かに外戚であるのは間違いない。ただ、臣籍降下をしたプルデンテが属するだけの臣下の家に過ぎず、特別待遇と言っても過言ではない。前例がないことで彼女自身は戸惑いを覚えた。
「どうしましたー?」
困惑する様子が気になってか、ファビオラが声をかけてきた。プルデンテが視線を向ければ、彼女はボードゲームの駒を掴んだ手を宙に留めながら、首を傾げている。
向かい合っているテオドラは無言ではあるものの様子を窺うように視線を向けていた。
「泊まる場所に変更があります。王家の近衛騎士を務める親戚の屋敷から、我が国の王城になったのですけれど」
「本当ですか!?まあ!お城にお泊りするそうですわよ、お姉様〜!」
「王城」という言葉に反応したファビオラは、駒を挟んだまま両手を合わせると自身の頬に添えた。嬉しそうな笑みを浮かべて、座席から跳ね上がる。
「ファビオラ、馬車が走っている。足を取られて転んでしまうから、きちんと座っていなさい」
「ごめんなさいお父様〜!うれしくってはしゃいでしまいました!お姫様のいるお城にとまるのですもの。私もお姫様のような気分になってしまいますわー!」
座席に腰を下ろしても笑みは絶えない。気分がいいと足が揺れて、レースの飾るスカートも揺れてしまう。
「私達が王家の血を引いているから、安全対策もかねて王城に泊まるのですか?」
打って変わって冷静なテオドラは、不思議そうに首を傾けて聞いてくる。
答えを持ち合わせていないプルデンテは本当に困っていた。きっと采配したのはディニタであり、つまりは思い付きで指示を出したのだろうと容易に想像できる。
「答えはディニタお姉様が知っていらっしゃるから、このまま王城に向かえば分かるでしょう」
そう答えることしかできなかった。テオドラもプルデンテの気持ちを察したようで、ただ頷くとボードゲームに視線を落とす。気分上々のファビオラに「王城に着くまで続きをしよう」と語りかけてた。再びゲームに集中することで彼女を落ち着かせて、テオドラ自身も詮索をしてこない。
「王家による決定事項です。立場から辞すなどできないでしょう」
「そうですね・・・きっとディニタお姉様の指示によるものだと思いますが、お姉様は思い立ったら実行してしまう人です。私達はただ驚くばかりになりますわ」
腕の中で眠っているヴェネリオに視線を落とした。穏やかな愛らしい寝顔を見つめれば、多少動揺は抑えられる。
「まあ!ごらんになってお姉様!あの白くてスゴいお城が王様のいらっしゃるお城だと思いますわ!」
突然、ファビオラは嬉々とした声を上げた。彼女の方へと顔を向ければ、笑みを浮かべて窓の外を指さしている。その方角を見上げるテオドラも感嘆の声を漏らしていた。
プルデンテの目にも窓ガラス越しに映る白亜の城が見えた。彼女が生まれ育った王城は、彼女の記憶の中にあるものよりも小さく見えて、自身の成長したからだと結論付けると、懐かしさを覚えながら微笑みを浮かべる。
王城の駐車場に到着すれば、バジーレ家の親族である近衛騎士が出迎えてくれた。プルデンテがバジーレ領に送られる際、随行してくれた騎士の一人だったが、彼女はただ控えることを選び、アストゥートに対応を任せた。以前より王家の近衛ではあり、身近にいた騎士ではあるからこそ、気安く言葉を交わせばアストゥートを怒らせると理解しているからだ。
もし自らが率先して言葉を交わせば、罪のない彼が被害を受け、今夜のプルデンテも大変な思いをするなど容易に想像できる。
「お久しぶりです、若様。最後にお目にかかったのはプルデンテ様をバジーレ家に送り届けた日でした。今や三人のお子様がいるとは時の流れを感じます」
「お前も元気そうで何よりだ。それで、出迎えはディニタ王女殿下の指示か?」
「ええ、勿論」
先に降りたアストゥートは眠るヴェネリオを片手で抱き上げながらも近衛騎士と言葉を交わし、馬車の出入り口へと手を差し出した。その手を支えにしながらプルデンテは下車をする。
近衛騎士から敬礼を受けると会釈で返し、アストゥートの手を借りながら下車するテオドラとファビオラを見守る。
「眠られている赤ん坊もさることながら美しいお子様ばかりですね。流石はバジーレ本家の血筋とプルデンテ様がお伝えした王家の血筋によるものでしょうか」
穏やかに笑う彼からは好意が見えた。無能と蔑まれた王女時代でも、この近衛騎士は好意的だったとプルデンテは思い出す。身近にいたことと彼の人間性により、だからこそバジーレ家に向かう道すがらの護衛にも任命されたのだと分かる。
「無駄口はいい。本来ならばお前の屋敷に逗留するはずだった。親族だからと急遽王城の宿泊になって混乱している。お前は俺の判断を待たずに了承したのか?」
「通達は送りましたが、入れ違いになったのでしょう。そちらに関しては申し訳ない。ただ、ディニタ王女殿下の采配を否定することはできません。若様のお父上ならばご存じだと思われます。第一王女殿下は我々に強く出る方なので」
「父が失言を言ったことで絡まれるようになったと知った。それが当家の対応に関わってくるのなら問題ではあるな」
「失言で絡まれているとは知りませんでした。まあ、あの方らしいとだけ言っておきましょう」
続いていたバジーレ家の馬車から連れ立った使用人達と護衛騎士達が下車を終える。
彼らに視線を向けていた近衛騎士は確認から頷き、踵を返して王城の正門へと手を向けた。
「皆様がお待ちです。ご案内します」
アストゥートは後ろに振り返り、プルデンテに目配せをするとヴェネリオを抱いたまま歩き出した。彼女もテオドラとファビオラを連れて続き、その後に護衛騎士の一団と使用人達が続く。
その道中、他の貴族や王城に出仕している官職の目に止まった。最初こそ遠方からの貴族が謁見するつもりだと思われていたが、プルデンテの姿を捉えると皆一様に目を丸くさせた。
灰色の髪と瞳を持つ貴族女性がいるとするならば、それは王国では一人だけ。それも以前は王城にて、時折見かけていたと思い出したのだろう。
「まさか、灰色の王女?」
彼らからすれば、記憶の奥に沈んでいた無能な姫君が容貌が整った貴族男性と共にいて、王家の色すら持つ美しい少女達を引き連れている。
あり得ない光景から更に記憶を掘り起こしていた。
「そうだ、灰色の王女はバジーレ辺境伯家に嫁いだんだ。では、あの男はアストゥート・バジーレでは?」
「十年振りに家族を伴って現れたのか」
彼らの目には、色味だけ侮っていた王女そのもので、姿勢正しく歩き進む姿は王妃によく似た美女であった。間違いなく「灰色の王女」だと分かっているが理解が及ばないと、堂々としたプルデンテを視線で追っていく。
彼女はその視線も密やかながら聞こえる言葉も気にしない。元より関心を向けられたときと同じ対応だった。自身の姿が見えなくなれば、彼らの僅かな興味は失せると経験から理解している。
アストゥートこそは気にして、視線を送る者を睨み付けているようだが、プルデンテはその腕を撫でて身を寄せると、彼の抱き上げているヴェネリオに視線を落とす。
「ヴェネリオは眠ったままですから、どこかで休ませてあげたいですね」
「・・・ああ、そうですね。悪いが、俺達が宿泊する部屋に寄りたい」
プルデンテの言葉にアストゥートの険しい表情は失せた。真顔の彼は立ち止まり、案内の近衛騎士に話しかけた。
「それでは坊っちゃんと使用人達はお部屋に案内します。すでに世話役の用意もしていますから安心出来るかと」
「分かった。シエナと乳母を含めた侍女達は案内役に続け、侍従達はそうだな・・・二分にした護衛騎士の半数と部屋で待機していろ。謁見が終わり、合流次第改めて指示を出す」
「畏まりました」
代表としてシエナが返事をすると、引き連れた使用人達は全員敬礼と頭を下げる。
その間に近衛騎士が王城の侍従頭を呼び付けた。彼の先導によってヴェネリオと使用人達は、二手に分かれて一方の護衛騎士達に守られながらも用意された客間に向かっていく。
プルデンテは事の成り行きを静観していたが、どうにも彼女は登城を知らなかった者達に関心を寄せられていた。以前、冷めた対応をしていた侍女がすれ違いざまに驚きの眼差しを向けて離れたところで立ち止まりさえした。姉との連名で立てた政策であるのに、プルデンテの署名はいらないと勝手に訂正した文官も奇異の目を向けて呆然としている。その他の蔑んでいた者達も彼女を見かけると驚き、視線はそらさない。
いつもならば、すぐに自分の職務に戻り、興味もないことから振り返りすらしないのに、十年振りに現れたプルデンテが気になって仕方がない様子だった。
「態度の悪い連中だ」
アストゥートの小さな呟きは幼い娘達には聞こえない。テオドラは平静を努めて姿勢正しく佇み、ファビオラは王城の内装や調度品をきらきらとした瞳で眺めていた。
「彼らは・・・まあ、プルデンテ様の十年振りとなる帰郷に驚いているのでしょう。彼らに関してはプルデンテ様本人が、直接悪意は向けられず、ただ侮っているだけだと処罰を望まなかったという記憶があります」
「ええ、人から向けられる感情は、そうね・・・関わりのない方々から向けられる感情は些末なものです。両親とお姉様達がいたことで、言葉でも力でも暴力を向けられることはありませんでした。だから気にしていません」
「・・・そうですか」
アストゥートはそれだけ言うと黙り、近衛騎士に続いて歩き始めた。プルデンテはテオドラの背中に触れて進む合図を送り、辺りを見ることに夢中なファビオラの手を握って歩かせる。
「俺個人の憤りは凄まじいので解消しても構いませんか?」
二階に上がる階段の踊り場で、僅かに身を寄せたアストゥートが耳元に囁いた。怒りが滲んだ低い声だったが、聞いたことのない声色の美声にプルデンテは背筋に電流が走ったような感覚を得る。必死に耐えた彼女は微笑みを浮かべることで乗り切った。
「いけません。彼らは勤労であり、貴重な人材です。私が気に留めないことで、お姉様達も気にしないと約束してくださっています。だから、アストゥートも気にされないで」
そう返答をすると、軍服を張り詰めさせる逞しい背中をするりと手で撫で下ろした。彼が震えているように見えたが気にせずに、手を繋ぐファビオラがしっかりと段差を上がることを見守る。
そのまま階段を上り続けたプルデンテは、謁見の間に向かうのだと思っていた。しかし、近衛騎士は更に階段を上がり続けて、二層上の階層に足を踏み入れた。
アストゥートを追いながらも階段の脇に控える警備の騎士達を目にしつつ、彼女は首を傾げた。
「こちらは王家の方々の居住空間となりますが」
「ええ、そうですよ。そのご様子からおかしいと感じられているのでしょうが、何の不思議もありません」
辿り着いた両開きの扉の部屋は、居間として活用していたと記憶している。近衛騎士はその扉の両脇にいる騎士達に目配せをして、再び振り返った。
「ご家族が久方振りにお会いするのですから、仰々しい謁見の間は相応しくない。これは現国王御夫妻によるご指示です」
騎士達によって扉は開かれて、プルデンテには見慣れた室内とよく知る家族の顔が見えた。
今回で最終回になりませんでした。次話こそ最終回にしたい所存です。




