思考の果て
夕暮れ時。窓から差し込む光に部屋は橙色に染まっていた。アストゥートの部屋、結婚後すぐに二人のものとなった部屋で、プルデンテは夕日を受けながら二人掛けのソファに身を沈めるように座っていた。
領都四方の門前に控えて包囲するビセンテ軍は、レジェス率いる本隊と思しき北門の部隊を含めて、様子を窺っている。矢による掃射を行なっても、彼らは距離を開けることでやり過ごす。それぞれの門に五十騎と分かたれているが、撃退するにも人数が多かった。
領都内の戦力は、オルサコリーナ将軍が引き連れてきた部隊、四方の門の守備隊、内部の要所や巡回を担う警ら隊も含めて百五十人余り。正規の軍人で構成されたビセンテ軍に対応するには数が少ない。例えばではあるが、東の部隊に戦力を投入して撃破したとしても、他の三方が事態に気付いて侵略を開始されてしまっては対処できない力量差がある。
連絡経路を塞がれたことで、領内の他の町村に救援は送れず、何よりバジーレに深く入り込んだ内通者達の襲撃は続いている。バジーレ領内が混乱の最中であるため、王都や他の領地に救援も報告すらもできない。
八方塞がりの籠城状態だった。明確な打開策はなく、ただビセンテ軍が侵入しないように守備を強化するしかない。
「・・・・」
音もなく小さな溜め息を漏らしたプルデンテの目には、山の向こうに落ちようとする夕日が見える。その眩しさに彼女は目を細めるが、決してそらさずに、瞳が焼けても落ちる様を眺めていた。
怒りながらも涙を流していたシエナによって、戦乙女の鎧は脱がされた。この部屋で木組みのスタンドに飾られており、額当ての部分に穴が空いた兜も掛けられている。
バジーレ辺境伯とアストゥートが不在のため、プルデンテは領主代理として前に出なければならない。力がなくとも言葉で、対抗すべく思考をして、敵対者と対峙しなければならない。だからこそ、非力な体を鎧で包み、相手からの先制を受けることで、抗うことの正当性を得た。
それなのに、シエナには叱られながらも泣かれてしまい、領都の兵士達には、主にオルサコリーナ将軍に無茶であったと叱責を受けた。彼らの浮かべた表情や紡がれた言葉から、プルデンテの心には罪悪感が芽生えている。人を悲しませた、一瞬でも苦しませたという後悔に苛まれていた。
「敵前にこの身を晒すまではともかく、攻撃を受けるべきではなかったのね・・・騎士や兵士の方々の後ろに下がるべきだった。今の私は領都では総指揮官だもの」
『若奥様はご自身を蔑ろにされています!貴女がいなくなってしまったら、我々は、テオドラお嬢様やファビオラお嬢様、まだ赤子のヴェネリオはどうなると思っていらっしゃるのですか!!貴女を想う者達の気持ちを考えるべきです!!』
シエナの言葉が脳裏に反芻する。彼女は最終的に泣き崩れ、プルデンテが身を支えながら共に城塞へ帰ってきた。心労から休ませているため、シエナはこの場にいない。他のプルデンテ付きの侍女達も、室外に控えてもらっていた。
「・・・犠牲になるつもりはなかったけれど、危険に身を晒したことが誰かの苦しみになるのなら二度とするべきではないわ」
自分に言い聞かせるように呟いた彼女は、すっかりと夕日は落ちて輪郭が光っているように山を、目を閉じることで視界から消し去った。閉ざされた瞳は暗闇とは言えない瞼の裏を映し、アストゥートの姿を浮かび上がらせる。
敵対者との対峙から心を弱くさせてはならないと、プルデンテは奮い立っていた。レジェスによる人工的な土砂崩れがあってもアストゥートは無事だと信じて、思い込んで、立つことができていた。
だが、今は敵前ではない一人だけの時間。夜の訪れで空が藍色に染まる最中。その暗さに、押し込めていた不安や恐れが溢れ出ようとしていた。
彼女自身は土砂崩れの現場を見ていない。生き残ったバジーレ軍本隊の兵士達の証言と、レジェスの証言だけがアストゥートの身に起こったことを教えてくれた。兵士達は位置的に、レジェスは本隊の中央に土砂が向かって飲み込んだのを目にしたという。彼らはどちらも死を目撃したとはいっていないが、死と同然の言葉を口にしていた。
だからこそ、薄暗くなる部屋の中では気持ちも引かれてしまい、アストゥートは死したと思ってしまう。その思いに胸からこみ上げてくるものがあり、プルデンテは苦しいと唇を開くも、震えた喉が言葉にならない声を漏らして、耐え難いと身を屈めた。思いが涙となって溢れ始める。閉じた目からじわじわと漏れて、一筋頬へと流れていった。
内に渦巻く耐え難い感情を解き放ってしまおう。抑えきれないと口を更に開いて感情を声にしようとしたときに、部屋の扉がノックされた。
「お母様」
「おかあさまぁ」
愛しい子供達の声は、扉の向こうからでも鮮明に聞こえた。プルデンテは一度唇を閉じて引き締めると、目を開く。流れた涙は懐から取り出したハンカチを押し当てることで吸い取り、引き締めた唇に意識を集中して口角を上げた。
「どうぞ」
扉の向こうへと返事を返す。多少、声は上擦ったものの子供達には気付かれないだろうと願いながら。
「失礼します」
「おかあさまぁ!」
テオドラが扉を開けば、ファビオラが間を通り抜けるように飛び出て、小走りに近付いてきた。室外の侍女の誰かが「走ってはいけません」と言っていたが、ファビオラには聞こえないだろう。苦笑をしつつ、両手を広げて彼女を迎えたプルデンテは、しっかりとしがみついてきた小さな体を抱き締める。
「今日はぜんぜんおかあさまに会えなかったので、とってもさびしかったですぅ・・・」
温もりに自然と笑みは溢れる。彼女の絹糸のように艶やかな銀色の髪を、手櫛で梳くように撫でた。
「ファビオラ、さっきも教えただろう?お母様はバジーレ領のせきにんしゃになったのだからいそがしいんだ。今、領地は危険なじょうきょうで、せんじょうに行ったお祖父様やお父様に代わってお母様が守っているんだよ。だから、ずっと君のそばにはいられないんだ。ワガママはダメだよ」
「むずかしいお話はわかりません!おかあさまはわたしのおかあさまですもの。わたしのこと、だいすきですものね?ヤになっていませんよね?」
髪を梳いていた手で、ファビオラの背中を撫でる。覗き込んでくる瞳は潤み、黄金を思わせる煌めきがあった。
プルデンテは軽く頷くと、ソファの手前で佇むテオドラに顔を向けた。彼女はファビオラを窘めてはいたが、その顔は強張って見える。不安を感じているのだと分かった。
「今日はお仕事のことで忙しくしていました。二人とも、ごめんなさい」
扉の方へと視線を向ける。ヴェネリオの乳母である侍女が、お包みに包んだ彼を抱き上げて佇んでいた。プルデンテと目が合うとホッと息を漏らし、安堵していると分かる。
「領地を守ることが今のお母様のお仕事と知っていますから、私達はガマンできます。だから、あやまらないでください。それに」
テオドラの顔が立てかけられた戦乙女の鎧に向かう。
「騎士のよろいを着て敵の前に出たと聞きました。お母様が敵におそわれず、ごぶじでよかった」
ほぼ恫喝だった交渉の末に矢を受けたと聞いたら、我が子達を怯えさせてしまうとは理解している。
プルデンテは相槌と頷くことに留めた。
「おかあさま、夜はいっしょにねたいですわ。お外にも出れないし、コワイ方がいっぱいいるってへいしの方が言ってましたもの。コワイのはヤなのでいっしょにいてくださいませ」
「ファビオラ、ガマンだ」
妹を止めようとするテオドラの顔を見つめながら、プルデンテは首を横に振る。
「よろしいのですよ、皆で一緒にいましょうね・・・怖い方々は兵士の方々が対応してくださいますから、テオドラもファビオラも安心なさって」
「私は大丈夫です。バジーレの騎士の強さは知っています。私が目指すものですから、きっと領都をかこむ敵をたおすでしょう・・・私も、もう少し大きかったら騎士の一団にくわわるのに」
いつかのこと、アストゥートに師事をして己を鍛えるテオドラは、順調にいけば騎士となる。生まれもっての能力と鍛錬から、遠くない未来だとはプルデンテにも理解できた。
ただ、まだ幼い我が子が強靭な相手に対峙する姿、戦地に立つ姿を思い浮かべてしまい、胸が痛んだ。危険が伴う、もしかすれば死地となるかもしれないという最悪の事態が脳裏に過る。アストゥートも現在は消息不明。強き騎士である彼は戦場に向かったことで命を狙われ、土に飲まれて命を散らしたのかもしれない。考えたくはないが、今は子供達に告げることができない真実が心を掻き乱す。
アストゥートを失い、テオドラまで失ったのなら。何より、領都を包囲するビセンテ軍の侵入を許せば、ファビオラとヴェネリオも命を落とす。彼らにとってバジーレの血筋は不要であり、排除すべき存在だろう。そうして、プルデンテは夜の暗い海を眺めるような陰鬱さに沈み、考え続け・・・踏み止まってドレスの胸元を手で押さえる。サファイアのネックレスの存在を感じながらも、小さく深呼吸を繰り返した。
アストゥートの安否は不明だからこそ死は確定ではない。物証もなく、証言も不確かなことから生きている可能性はある。テオドラも、まだ騎士に憧れる少女であり、彼女の力量次第では無双の騎士となるやもしれない。
不安要素など今は先のこと、これからのこと。現在にいるプルデンテがどれほど思い悩んでも、時が流れなければ分かり得ない。
「・・・ええ、そうですね。もう少し成長をして騎士を叙勲されからのこと。貴女が勇ましい騎士となることを、私は夢に見ていますよ」
「そうなれば、お母様とファビオラ、ヴェネリオも私が守りします。姫君とか弱き者を守るのが騎士ですから」
「まあ」
真っ直ぐとした眼差しと言葉、依然と変わらぬ心に感嘆と声を漏らし、少し視線を落とした。やはり危険が伴うと思う。だが、ずっと見上げていただろう金色の瞳とかち合ったことで、言葉として漏れなかった。
「おかあさま、わたしはくーふくです。つまりは、おゆうしょくのおじかんでは?」
「・・・そうですね」
ファビオラの欲に忠実な様に口元が緩み、時計へと目線を向けた。あと一時間で夕食の時間となる。子供達に温かな食事を与えるべく、プルデンテ自らが調理をしなければならない。
「本日はお時間がかからないもの・・・ハンバーグにしましょう。もう少し早く夕食の時間に気付いていれば、煮込み料理ができたのですけど。本当にごめんなさいね」
「だからあやまらないでください。お母様はいそがしいと分かっています。食事だって私達のためにお母様が作っていると知っています。お母様にはかんしゃしてもしきれない・・・」
「母の料理を美味しいと思ってくれるだけで十分ですよ」
温和なテオドラに微笑みを向けると、プルデンテはファビオラを腕で支えたままソファから腰を上げた。そうすれば、テオドラが手を伸ばし、彼女に身を寄せたままのファビオラを請け負った。不満を口にする声を聞こえないふりをしながら、手を引いて食堂室へと向かっていく。
プルデンテはヴェネリオを抱いて静観していた侍女に声をかけ、彼女を連れ立って部屋を出る。先行く娘達はそれぞれの護衛騎士達に任せて、室外に控えていた他の侍女達も引き連れながら厨房に向かう。
「・・・門を塞がれた状態では食材の搬入はない。時間はかけられないわね」
「ビセンテ軍とは膠着状態だと聞き及んでおります。このままでは、飢えによる暴動が起きる可能性も否めません」
「ええ、その通りです。早期の解決を心掛けなければいけませんね」
思考しつつも、護衛騎士が扉を開いた厨房の出入り口を潜り、保管庫から食材を出す。
調理を始めながら考えるのは、レジェスが率いるビセンテ軍を退ける方法。例え血が流れても領都を守り抜き、彼らを撤退もしくは殲滅しなければならない。
戦士ではないプルデンテには思考しかなく、たった一人では良案など浮かぶはずない。アストゥートの生死に関する不安が精神に作用しているのも、思考の妨げとなっていた。
知恵を借りるべき。そう思い至り、現在の領都にいる軍の将官達とビセンテ軍のことを話し合わなければならない。
挽肉に細かく切った玉ねぎと人参、繋ぎの小麦粉と卵、スパイスを混ぜ合わせながら、プルデンテは考えを巡らせる。
子供達と一緒にアストゥートとの寝室で眠っていた彼女は、朝焼け前に目を覚ました。自身にしがみついている二人の娘の寝顔に目を向けて、隣に組み立てられたベビーベッドに聞き耳を立てる。健やかな寝息が聞こえることに安堵の息を漏らすと、窓に目を向けて暗い空を眺めた。
アストゥートとバジーレ辺境伯、五百人を超えた軍の本隊。無事だと思い込むことしかできず、息を漏らす。今はとにかく、レジェスのビセンテ軍を退かなければ領都の兵は動けず、救難も遅れず、領民は籠城生活を敷いられて苦しんでしまう。
プルデンテ自身が考えて、物事を決定する責任を負い、指示を出さなければいけない。それが今の彼女の役目。役目を全うしなければならない。それは彼女の生来の性根。
(もう少し明るくなったら体を起こしましょう)
ただ、しがみついている娘達は夢の中。夢だけは楽しいものであってほしいと願いつつ、目を閉じた。
意識を保ったまま、温もりを感じ続けて暫く。雄鶏の鳴き声を耳に拾った彼女は身を起こした。寝ぼけ眼の娘達には額にキスを与え、ベビーベッドで嬉々とした声を上げていたヴェネリオに挨拶をする。




