夫婦となって心を寄せる
結婚式後、招待客の見送りも済み、城塞に戻ったプルデンテ。夫となったアストゥートは義父であるバジーレ辺境伯と話があると、夕食の席には現れなかった。彼女は十人は付く食卓に一人で付き、不快感露わな給仕や使用人達に睨まれながらも、それらを気にせずに夕食を平らげた。
満腹にはせず、腹八分目に留めた。これから初夜。プルデンテは妻としての義務を果たさなければならなず、胃袋が膨れた状態では動けなくなってしまう可能性があるからだ。
「アストゥート様が本日いらっしゃると思います?」
彼女は自ら入浴を済ませ、薄化粧を施した。灰色の髪は背中に流し、清楚なデザインの白いネグリジェで夫婦の寝室にやって来れば、準備をしていた侍女の一人に言われた。嘲笑うようににやついた口元を手で隠した彼女は、綺麗に敷くべきブランケットをベッドに放る。
明確に悪感情を向けられている。結婚に際して臣籍降下をしたとしても元王女、何より仕えるべき主の一人となったプルデンテに対して、バジーレ家の侍女は侮りを見せた。
それにも拘わらず、プルデンテは怒らない。彼女からすれば下位の、何より従えている家内の者であるのに、感情を爆発させるようなことはしなかった。
「いらっしゃらないのですか?」
「え・・・」
首を傾げて問えば、侍女は困惑と顔を歪めた。
「アストゥート殿から言付かったのですか?そうであるならば私の予定も変えてればなりません。こちらのお部屋も使用しないので準備は」
滔々と語る彼女に、侍女は一歩後退りすらした。侍女には感情を見せないプルデンテが異様に見える。得体が知れない妙な女だと恐れすら抱く。
明らかに怯える侍女をそのままに、彼女の抱く感情など些末だと判断しているプルデンテは、語ることを止めなかった。しかし、もう一人の侍女、結婚式の際に髪型を整えてくれた侍女が、ブランケットを皺なく敷くとプルデンテに身を寄せる。
「若奥様、旦那様から中止の通達はございません。必ずこちらにいらっしゃいます」
何故だか対応が丁寧になっている。プルデンテの底知れなさから態度を改めたとは彼女自身には分からず、心境の変化に疑問を呈するつもりはないため、ただ頷いた。
「そうですか。では、このままこちらでお待ちします。貴女の、そうですね・・・推測も考慮して、一時間経ってもいらっしゃらないのならば部屋に戻りますわ」
「・・・」
緩く笑みを浮かべて伝えれば、侮りを見せた侍女は不安と眉を寄せた。もう一人の侍女は、プルデンテに敬礼をすると身を離し、同僚の肩を掴む。
「そのように。では、我々は失礼いたします」
呆然とする侍女を引いて歩いていく。彼女達が扉の向こうへと消えると、プルデンテはベッドの縁に腰を下ろした。
(・・・アストゥート殿がいらっしゃったら、お務めを果たせるかしら)
当たり前ではあるが彼女は乙女である。閨事はしっかりと学んだが、実践は初めて。
教本通りに男性であるアストゥートを満足させられるだろうか。満足してもらわなければ、子を成すための種はもらえない。義務を果たせない。
そのようなことを考えて、宙を仰ぎ見た。
扉がノックされる。プルデンテが顔を向ければ、同時と扉が開かれた。
少し濡れた黒髪、ビロードの黒いガウンを身に着けたアストゥートが入ってくる。躊躇いなく近付いてくる彼に、彼女は腰を上げて出迎えようとした。
しかし、腰を浮かせば、彼は手のひらを見せて首を横に振った。座ったままで構わないという合図に従う。
「アストゥート殿。このような体勢でのお迎えになってしまい、申し訳ございません」
「いえ、気にせずに・・・隣に座っても?」
「ええ、勿論」
アストゥートは戦士らしく体つきはしっかりしていても、筋肉量は然程ないと見える線の細さをしていた。逞しくはないと判断したが、彼がベッドに腰を下ろせば軋み、深く沈む。
厚手のガウンに隠された肉体は見た目以上に重く、筋肉があるのだとプルデンテは理解した。
(手加減をお願いすべきかしら)
そう考えるも、アストゥートが身を寄せることで触れ合ってしまう。温もりに思わず体を跳ね上げて、自身に恐れがあるのだと自覚した。そんな彼女の華奢な肩に力強く腕が回り、しっかりと大きな手で掴まれて、引き寄せられる。
突然のことに心臓が跳ね上がった。胸に感じた痛みからプルデンテは理解したが、それほどまでに男性に対する恐怖心が自身にあったのかと困惑する。
(ずっと鼓動が強くて・・・私、このまま務めを果たすことが)
不安が脳裏を過ぎる。妻として子を孕む役目が全うできるのか。何よりも、力が強く逞しい男性に、教本で学んだ閨事を熟すことができるのか。
彼女の思考は驚くような速さで巡るが、感情を見せないアストゥートは薄い唇を開いた。
「まず、貴女が今まで受けた被害について話していただきたい」
「・・・あ、あぁ、はい」
無感情で平坦な声色。それに動揺していた心は落ち着いていく。触れ合いも身を包む温もりも、アストゥートの熱のない金色の瞳を覗き込むことで気にならなくなった。
「些末なことですので、アストゥート殿に語るほどではありませんが」
「いえ、是非聞かせていただきたい。貴女は俺の妻です。俺には妻の受けた非礼を知る権利がある」
「・・・では」
感情のない声色と表情にも拘わらず、有無を言わせない圧力があった。凝視と見つめる金色の瞳も相まって、プルデンテは小さな唇を開いてしまう。
これほどまでに他者の意思に流されるなど、自身にとっては初めてだと思いながら。
彼女がバジーレ辺境伯領での人々の対応、受けた悪感情を話せば、以前のことも問われた。プルデンテは当時を思い出しながら、今まで自身を軽んじていた人々の心情を想像して、優秀な姉達と比べて無能だという判断を受けていたと話す。
終始無言で、それでいて視線をそらさずに見つめるアストゥート。話し終えた彼女が小さな唇を引き締めれば、肩を抱く手が慰めるように撫で擦り、彼の頭がプルデンテの頭に寄りかかる。
「貴女が受けた中傷は不当なものだ。軽んじて者達は、貴女自身をきちんと見ていないから軽率な判断で虐げたのだろう」
「いえ、虐げられたわけではありません。私の能力がお姉様達と劣ることで、適当な対応をされていただけかと思います」
「王女に対して適当な対応ではなく、虐げていたと言っても過言ではない。そして今の貴女は俺の妻。バジーレ家の女主人となる貴女に対して不敬極まりない行為だ・・・国境線が気になると逃げた父の代理などしている場合じゃなかった。俺は貴女の側にいるべきでしたね」
アストゥートの声が更に低くなった。声色からも気が落ちていると分かる。
僅かながら感情を表した様に、プルデンテは疑問を感じつつ、労わるように撫でる手を心地良く思い始める。
「バジーレにおける皆の対応の悪さは、確実に父による指示伝達によるものだ。あの人は、そうだな・・・いつからか王家に対して反感を持ち始めたので、王女だった貴女を排斥しようと考えたのかもしれません」
そこまで告げると、彼は声を上擦らせた。
「ああ、流石の父でも貴女に怪我を負わせるようなことはしない。心をへし折ろうと精神的に追い詰めるような真似はするでしょうが、これ以上は俺が許さないので安心してください。貴女のことは俺が守ります」
頭上に顔があるため、アストゥートの感情は声のみでしか判断できない。
いつもより低い声、やや上擦った口調。焦りのある弁解と、そして安心感を与えてくれる言葉。
彼の様子の変化にプルデンテは頭を動かす。彼の頭も動いたことで、彼女はその顔を見上げた。眩しいものを見るように細まった金色の瞳の目は、どこか熱を帯びている。
その目は見たことがあった。両親がお互いを見つめ合い、身を寄せて、唇にキスをするときの目。
いつかの日に、姉達と共に目にしてしまった両親の秘め事。なぜか気恥ずかしく思った彼女に、スプレンディドが教えてくれた。あれは相手に対する愛情が高まったからキスをしたのだと。
「アストゥート殿は」
「・・・」
なぜか震えたか細い声で語りかけてしまう。熱を帯びた眼差しのアストゥートは、何も言わずに待ってくれた。
「わ、私に・・・愛情を感じていらっしゃいますか?」
再び高鳴る心臓の鼓動。恐れか、また違う感情なのか分からないが、痛む胸を手で押さえつつ、おずおずと聞けば、彼の口元が緩んだ。
「俺は貴女に愛情を抱いていたから妻に願いました。こうして何も障害なく貴女を迎えることができて喜びを感じています。心の制御もできずに、表情が緩んでしまうほどです」
「妻に願った?私を?」
「初めて貴女に拝謁をした日より、ずっとその姿が脳裏に焼き付いていた。落ち着いた様子で姿勢よく佇み、柔和な笑みを浮かべた可愛らしい顔立ち。戦後で心が荒ぶっていた兵を目の前にして、動じない強さ。我らが王女殿下の容姿を評価するなど不敬極まりないと思われるでしょうが、どうにも印象深くて恋に落ちたのだと思い至りました」
「初めての拝謁・・・」
思い出そうと思考すれば、三年前の叙勲式が初対面だった。バジーレ辺境伯領の防衛戦において、アストゥートは功績を収めて叙勲を受けた。だが、勲章を受ける騎士達中の一人に過ぎず、私語厳禁だったため、その姿を視界に捉えた程度。
その後、催事にて何度か顔を合わせて、挨拶を交わしてはいたが、プルデンテには国防の騎士という立場のみが印象に残っていた、彼はそのときには恋心を持ち合わせていたというのに。
家族からの愛情は多大なほど与えらたことで、プルデンテはできる限り気持ちを返していた。だが、血の繋がりのない他者の、それも異性から愛情を向けられていたという事実に彼女は理解が及ばず、混乱してしまう。
一目惚れに近い状況で想われていたということが、冷たい眼差しを浴び続けた自身が受けるに値するのだろうか。それほどまでの価値が自身にあるのだろうか。プルデンテは考え耽ってしまう。
「プルデンテ王女殿下、いえ・・・プルデンテ」
「あ、は、はい・・・」
呼び声に彼女が落ちかけた視線を上げれば、そのくすんだ灰色の瞳は愛情の滲んだ眼差しを再び映す。
「貴女の姉君であるディニタ王女殿下に声をかけられ、貴女との結婚はどうかと問われたときに即答した自分を褒めてあげたい。愛しい貴女は俺の妻。神の前で誓った通り、これからの生涯を共にする。健やかなる時も、病める時も、俺は貴女と共に・・・」
近付いてくる顔に、プルデンテは驚きから体を跳ね上げた。咄嗟に、体を抱き締める腕から逃れようと、アストゥートの分厚い胸板を手のひらで押す。
しかし、当然ながらビクともしない。彼の体は離れるはずもなく、熱を帯びた眼差しのまま笑みが溢れた。
「怖がる気持ちは分かります。俺は感情が薄く、今まで貴女に見せなかった。状況から見せる必要はなかったが、今は抑えきれないほど高ぶっているせいで豹変したと思われているはずだ。貴女には、俺は情欲に飲まれた獣のように映っているでしょう」
「そ、そこまでは・・・突然の告白と、貴方の様子の変化に驚いてしまって、胸の鼓動が凄く早く」
「心臓が高鳴っている?俺も同じです。貴女に触れられる喜びに心臓が強く脈打っている」
「あっ・・・」
胸板に触れていた手の手首を掴まれると、彼の心臓の上に移動させられた。プルデンテが手のひらで感じる奥の鼓動は早く、アストゥートの言葉に偽りはないのだと理解する。
「凄く、早いですね」
「言った通りでしょう?貴女が妻という事実、触れている喜びに気持ちが抑えきれない。プルデンテ、俺達は神の前で夫婦となった。俺は貴女に触れて愛する権利を得ている・・・貴女が嫌でなければ、夫婦として愛し合いたい」
「愛し合う・・・」
脳裏に浮かんだのは学んだ閨事のこと。女性としては羞恥心が凄まじく、今は恐れすら感じている。アストゥートの逞しい肉体、力の強さ、そしてプルデンテには理解できない情熱。身を預けては怪我はせずとも、強い痛みを与えられるのではないのかという不安。
だが、彼はそのまま見つめ合うだけだった。夫という立場から強行できるはずなのに様子を窺っている。先程の発言でも彼女の心を慮っていた。
「嫌ではありません・・・恥ずかしくて、少し怖いと思っているだけです。貴方は私の旦那様ですもの。この身を預けるべきであり、それに・・・私に気を遣われていらっしゃいますから、お優しい方だと分かっています」
「・・・よろしいのですね?」
「はい・・・夫婦となったのですから」
どうしても声は震えてしまっていたが、プルデンテは正直に伝えた。言いたいことは述べることができた。
「俺に対する愛情が貴女に無くとも、俺は貴女を愛している。プルデンテ、やっと触れることができた愛しい人」
肩に触れていた大きな手に押されて、彼女はベッドに背中を預けた。見上げれば、変わらない眼差しのアストゥートに覗き込まれている。
彼の手は肩を撫で下ろすと、プルデンテのネグリジェのボタンに触れる。胸元が解放されたと質感から分かった。思わず目を閉じれば、柔らかな温もりが唇に触れる。
プルデンテは意識の覚醒と共に目を開く。
陽光が窓から注ぐ室内。天井の模様と純白の壁紙を眺めれば、倦怠感と疼くような痛みを感じた。そして、何より体にしがみついている重み。
「ん・・・アストゥート、さま」
視線を落とせば、なだらかな丸みのある胸の上にあった黒髪の頭が動いた。寝ぼけ眼を向けながら、アストゥートは顔を寄せて唇に触れるだけのキスをする。
「おはよう・・・」
「おはよう、ございます」
重い体を引いて腰を締める腕から脱出しようとするも、彼は力を強めた。再びプルデンテの胸に顔を押し付けると、小さく息を漏らす。
「んっ・・・」
肌を擽られたことで、声を漏らし、身を震わせれば、アストゥートから上目遣いの視線を向けられる。
「どうして離れようと?」
「太陽の位置から昼間近だと思いまして、体を起こすべきだと」
「まだいいでしょう」
即座と近付いてきた顔。額が合わせられて、彼女は間近から熱を帯びた眼差しを受ける。
「暫くは子を作るための蜜月ですから・・・プル、もう一度」
いつの間にか愛称で呼び始めたアストゥートの唇に、プルデンテの小さな唇は齧り付かれた。
ほどなくして、プルデンテはアストゥートの子供を妊娠する。




