人々に軽んじられた存在
たまには愛が一方通行ではない物語を書くべきだと思い立ちました。
短編にしようとしましたが無理でした。何故。
大陸の西端にある王国は国土こそ小さいが、武力による防衛で他国からの侵攻を何百年も防ぎ続けた古き国だった。
輝く銀色の髪と深い海を思わせた青い瞳の男を始祖とするグラツィアーニ王家には、現在三人の姫君がいる。王位継承者である威厳溢れるディニタ。絶世の美女で社交界の花スプレンディド。そして、落ち着きのあるプルデンテ。
王家の色を受け継いだ正しくグラツィアーニの姫達だが、末の姫であるプルデンテだけは、臣民の見方が違っていた。
グラツィアーニ王家の色は引き継いでいるとされているが、彼女の髪色はくすんでいて、銀ではなく灰色に見えた。瞳の色も、海のような青々としたものではなく、青みがかった灰色。優しい顔立ちは王妃譲りで、二人の姉達とも似ているが、迫力も華やかさもない。見目は決して悪くはないのに、姉達の存在から霞んで見える。
だからこそ臣下の誰にも期待されず、民から忘れかけられることもある。輝きのないくすんだ色味の彼女は、いつしか「灰色の王女」と呼ばれて、王城の奥にひっそりと過ごすのみ。
両親にはきちんと娘として扱われているものの、末の子ゆえの過保護からか公務事態が少ない。行動力も発言力もある姉達に追従するように控えて佇むのみ。華やかがないことで場を彩る花にもなれない。ディニタとスプレンディドが優秀であることで、プルデンテの存在をかき消してしまう。
二人の姉にも虐げられているわけではない。むしろ愛されて信頼を置かれていた。ディニタからは意見を求められ、共に政策を推し進めたこともある。スプレンディドには社交の場で互いを補佐して支え合った。
それでも、印象の薄さからプルデンテには誰も目を向けなかった。為政者にも花にもなれないと、ただ侮られるだけ。王家の姫であり、強く麗しい姉達の妹であることから表立って非難も落胆もされはしないが、臣民からの対応から感じ取れていた。
プルデンテがどのような将来を目指し、迎えようとも関心は持たれることは決してない。
「バジーレ辺境伯のご子息との結婚ですか?」
ある日のこと。政務を熟す次期女王のディニタに、プルデンテは休憩を共にしたいと呼び出された。彼女の采配でお茶の準備がされ、上の姉が好む茶葉を用意して自ら淹れると、好みである手作りの焼き菓子を用意した。席に付いたディニタは紅茶を飲むと小さく息を吐き、プルデンテの手作り菓子を躊躇いなく口にする。満足だと口元を緩めていたが、再び紅茶を飲むと、その口元を引き締めて注げてきた。
「ああ、先日の建国祭での夜会を覚えているな。あの夜、辺境伯の代理として参加をしていたが、中々の良い男だと思った。お前の夫に相応しい」
短く切り揃えた銀の髪は、中央で前髪を分けている。その右の前髪が美しい青い瞳に差し掛かったのか、ディニタは片手で掻き上げて姿勢を崩す。テーブルに肘を乗せ、頬杖を突く様は不躾ではあるものの、王者の風格と品の良さから無様には見えず、何より家族間であるため咎める必要もなかった。
背筋を伸ばした姿勢を崩さずに、プルデンテは姉へと首を傾けた。
「バジーレ辺境伯子息、アストゥート殿とは挨拶を交わしました。その程度の交流でしたので、決して笑みを浮かべずに無表情に徹した美貌の貴族男性という印象のみしかありません。私は美しいとしか感じませんでしたが、ディニタお姉様はそれ以外に感じ取れるものがございましたか?」
「そうか、お前は彼を美しいと思ったのだな。それだけで充分だ。美男との結婚だぞ、プル喜べ」
「私の質問には答えてくださっていませんし、結婚の了承もしておりません。喜びよりも混乱が勝っている状態ですが・・・」
一息突いたプルデンテは、皿に並べた手製の焼き菓子へと目線を落とした。マドレーヌもフィナンシェも食欲を唆る焼き色と香りを漂わせている。実際に姉のディニタは二つ目を摘んで口元に運んでいた。これは、きっちりと指南書通りの手順と分量で作った結果によるもの。
「・・・ディニタお姉様が仰るのであれば間違いないのでしょう。是非お受けいたします」
「了承を得られてよかった。アストゥート殿も喜ぶだろう」
目線を上げれば、ディニタは破顔していた。彼女は喜ばしい事柄だと思っている。プルデンテも共感したのか、微笑みを浮かべた。不穏などない和やかな雰囲気は笑い合う二人によって作られている。その光景を、控えてている従者や警備の兵士、侍女達にどう見えているかなど彼女達は気にしなかった。
バジーレ辺境伯は国の東の端に領地を持つ。つまりは東の隣国からの防衛の要であり、国境線で度々起こる戦いの指揮官だった。建国時から東の国防を担っている貴族家で、数多くの武人や名高い騎士を輩出してきた武の名家。配下である領内の臣民ですら武器を取り、王国への侵略を妨げていると言われていた。
末の姫、存在感が薄いほど大人しいプルデンテがバジーレ家に突如として嫁ぐ。緊急の発表に、王城の臣下も王都の臣民達も、その日だけは彼女の話題を口々にした。
王家は無能な姫を激戦地の辺境伯家に渡し、忠誠心を高めるつもりだと。何もできないプルデンテを厄介払いしたのだと、彼女に対する評価の低さから嘲り、引き取るバジーレ家を哀れだと話す。
ただ、本当にそれは一日程度、人々の話題に上がっただけ。ディニタと婚約者である公爵家次男との結婚が発表され、スプレンディドが諸外国への外遊を決めると、誰もが口にすることはなくなった。次期女王の結婚に喜び、華やかな王女の外交に色めき立つ。
プルデンテが王家の重厚な馬車により辺境へと旅立つ日には、彼らは目すら向けなかった。前日に両親と姉達と別れを惜しみ、最後にただ穏やかな時間を共に過ごしたことだけを胸に、彼女は舗装された街道を進む馬車に揺られながら、窓から景色を眺める。
精鋭と呼べる騎士の部隊が護衛に付き、中にはそのバジーレ家出身の者もいたが、彼らは王城に在籍する騎士隊。プルデンテを辺境に送り届ければ戻ってしまう。侍女も、二人ほど同行を願い出てくれた者達はいたが、プルデンテ自身が断った。
王都から遠く離れた辺境であり、何より戦火の近い土地。侍女達の身に危険が及ぶ可能性は高く、家族から引き離すべきではないと判断したからだ。
知人すらいない土地にプルデンテは一人で嫁ぐ。手を差し伸べてくれる人がいるのかなど、夫となるアストゥート・バジーレですら疑わしい。姉の勧めで結婚の了承をしただけであり、僅かな交流でその人間性を推し量れるわけがないからだ。
だが、彼女は不安などなかった。何日も馬車に揺られて辿り着くバジーレ辺境伯の領地が、どのような風土で、どのような慣習があるのか。家族となるバジーレ家はどのような人々なのか。ただそれだけを想像をしながらも、次第に自然が豊かになっていく景色を、青みがかった灰色の瞳に映す。
辿り着いたバジーレ辺境伯の領地は、高い障壁に囲まれた領都を望む高台に一目で堅牢だと分かる城塞がある。それこそがバジーレ家の屋敷であり、常に外敵からの防衛を担う拠点であると分かった。
城塞の門前、重装の鎧を纏う兵士達が守備に配置されている。護衛の騎士の介助を受けて馬車から降り立ったプルデンテは、強固ながらの竜の彫刻がされた鉄の門扉を仰ぎ見る。ただ眺める彼女を兵士達は不審に思っていたが、年齢と上質な生地の装い、何よりも髪と瞳の色で、拝する王家から嫁いできた灰色の王女プルデンテだと理解していた。
一人の門番が報告と駆け出しはしたが、他の兵士達は険しい顔で監視と見つめるだけ。辺境の地にいる彼らにとって、噂に聞く無能な姫など歓迎するつもりはなかった。
「殿下の来訪を知らないのか」
「先触れは出したはずだが、如何せん、本家の当主は偏屈で」
護衛の騎士達が密やかな声で話しているが、プルデンテの耳にはよく聞こえた。バジーレ出身の騎士から、義理の父となる辺境伯の性質を僅かながら知ることができた。
しかし、彼女は気にしない。馬車を降りた時点で、兵が門を開かないならひたすら待ち、ひたすら芸術作品のような門の彫刻を眺めているだけ。歓迎はされていないと分かっているからこそ、事を荒立てるつもりはなかった。
ややあって、落ち着いた足音と低音の美声が響くように聞こえた。閉ざされた門扉の向こうから徐々に聞こえたことで、誰かが出迎えに来てくれたのだと理解する。
「なぜ閉ざしたままでいる、すぐに門を開けろ」
聞き覚えがあるとは、女性をときめかせるような低音を心地良く思ったからだろう。
一切姿勢を崩さずに、背筋を伸ばして佇むプルデンテは、叱責の言葉のあとに開かれた門扉の奥にいる人物へと微笑を浮かべた。
「兵の対応が儘ならずに申し訳なかった、プルデンテ王女殿下。貴女がいらっしゃることを心よりお待ちしていました」
月のない夜空を思わせる黒髪に、小麦畑のような黄金の瞳。身に着けている黒い軍服には乱れなく、筋肉で引き締まった体だとよく分かる。驚くほどの長身ではないが、近付いてきた彼と目を合わせるためにプルデンテの首は傾いた。
謝罪を述べた薄い唇は引き締めていて、眉も真っ直ぐなまま。無表情であるが、だからこそ整った容貌を際立たせる美貌の男性。夫となるアストゥート・バジーレの登場に、彼女は会釈をした。
「通達したお時間よりも十分ほど早い到着でしたから、守備の方々が不審に思われるのは当然でしょう」
「一目で貴女だと分かるのに対応しなかったのは、我が兵の責です。追って謝罪をさせます」
感情の見えない金の瞳が動き、守備の兵士達に彼の目線が向けられていた。金属の擦れる音、喉が引き攣った音を耳にしつつ、彼女は淡い色の紅を引いた唇を動かした。
「アストゥート殿の采配に従いますわ。私は貴方の妻となるべくバジーレの地に参りました。これから、よろしくお願いいたします」
手を差し出せば、アストゥートは厚手の革手袋を外して、その手を取った。大きな骨ばった手であるのに、力を込めずに緩く握られて、優しい力で引き寄せられる。
「ああ、その通りだ。この城塞は俺の妻となる貴女の居城となります。用意した部屋と城内のご案内をさせていただく。では、こちらに」
手を握り締められながら、並び歩く。一旦、王家からの護衛騎士達に目を向ければ、彼らは一息吐き、すれ違ったバジーレ家の使用人達と共にプルデンテの荷物を下ろし始めていた。追うように運び出す様子を眺めていた彼女は、強い視線を感じて真横を見上げる。
全く表情のない顔。それでも瞬きせずに見つめてくるアストゥートと、視線を合わせる。
「余所見をしていては足元を取られます」
「・・・ええ、そうですね。ぼんやりとしていました。ごめんなさい」
そう言葉に出しながらも微笑めば、彼は視線をそらし、ひたすら前を見つめる。
「父は国境線が気になると兵士達と偵察に向かっています。結婚式までに顔を合わせることはほぼありませんが、だからこそ貴女も穏やかに過ごせるはずです」
「そうでしたか、お気遣いありがとうございます」
「・・・いえ、これは当然のことですから」
そうして二人並んだまま歩き続け、アストゥート自らにプルデンテは城塞の案内を受けた。用意された私室も、彼女の好きな色味の壁紙とカーペットに、好きなデザインの家具類。調度品は少ないが、生活することで増えていくはずだと彼から言葉を添えられた。
アストゥートの私室に書斎、執務室。食堂室に談話室、ダンスホールに案内された。立ち入りが禁止された義父の部屋と訓練所などは細かく説明を受けた。ここまで護衛を務めてくれた騎士達を門前まで見送ると、再びアストゥートのエスコートを受けて、荷物が運び込まれた私室に戻される。
彼女の荷物は既に使用人達の手で飾られ、収納されたいる。自らが手を加える必要はなかった。
「夕食の時間になったら侍女がお呼びします。それまでは体を休めたほうがよいでしょう」
ずっと握り締められていた手は離れ、ただアストゥートは名残惜しいと思わせるように、最後に手の甲を指先でなぞってきた。
彼は振り返らずに出入り口に向かい、躊躇いなく扉を開いて去っていく。プルデンテは、彼の手によって閉ざされた扉を眺めた。
アストゥート曰く、義父と顔を合わせるまでは穏やかな暮らしが送れるという確信を得ながら。
兵士からも使用人からも、側仕えとなった侍女ですらプルデンテに対する敬愛の念はない。この国の王女であり、結婚により臣籍降下となってもいずれはバジーレ家の女主人となるはずなのに、彼らの態度は軟化しなかった。門前で対応をしなかった兵士達に謝罪は受けたが、それだけ。彼らの不満を隠さない表情から決して誠心誠意ではないと、プルデンテが理解しただけだった。
彼女が家内に関して発言することもなく、大人しい性質と優しい顔立ちから軽く見られていた。何よりアストゥートのことが影響しているのだろう。
感情を見せない美貌の辺境伯子息は、その容貌から女性達の関心を寄せられていた。近隣の領地の貴族令嬢からの恋文は毎日届き、誘いも多い。名家であることも彼の価値を高めていて、正妻だけではなく、愛人でも構わないと関係を望む者達がいると聞かされた。プルデンテとの短い婚約期間前には恋人が尽きることなく、復縁を望む声も多いらしい。
自国の無能な姫ではバジーレ辺境伯の妻は務まらないと、直筆の手紙すら届いたことがある。躊躇いなくその手紙を手渡す使用人達、警戒すらしない兵士達から何故だか不躾な貴族令嬢達の味方になっている。それほどまでに、プルデンテは無能で信用に値しないと言われているのだろう。
本日も届いた手紙に目を通した彼女は、折り目に従って畳むと封書に戻した。音なくビューローの棚を引き出し、そっと今までの手紙の上に乗せると、再び音なく棚を閉める。その足は鏡台に向かい、椅子に腰を下ろすと自ら化粧を施した。
本日こそプルデンテとアストゥートの結婚式。一切城塞に戻ってこなかった義父となる辺境伯の望みにより、式場は領都の聖堂となっている。本来ならば、王族の結婚は王都の大聖堂で執り行われる。臣籍降下となっても王家の血を継ぐ彼女であるならば当然であるはずなのに、義父は認めなかった。プルデンテの身柄を早々にバジーレ家に送らなければ、婚姻は認めないと仲介を経て伝えられた。
これによりプルデンテの結婚は王家、つまりはディニタの主導のもと取り決められたとされ、バジーレの者達は反感を示したのだろう。プルデンテを歓迎せずに、むしろ心を折って破談になればいいと思ったのだろう。
ただ、彼女は本当に発言せず、静観と流れに身を任せている。分かりやすく態度に出す者にはアストゥートも苦言を呈し、プルデンテを敬するように発言をしていた。
それだけでも、彼女が全てを放棄して王城に戻ることがない理由となっている。
プルデンテの灰色の髪は腰まで真っ直ぐに伸びていた。彼女自身が丁寧に器用に結うと、ただ睨み付けていただけの侍女に顔を向けた。
「髪型を整えてくださいませ」
「・・・」
「職務の放棄など、貴女の経歴に瑕疵を付ける行為に他なりません。ご不満は内に秘めていただいて、今は職務に従事してくださいませ」
穏やかな口調ながらはっきりと述べる。いつもの彼女ならば、無言に対して引き下がっていたが、本日は特別な日。他の誰がどう感じて、どのような不満があろうとも、プルデンテには王家と忠臣と言われたバジーレ家の結び付きを強めるための重要な行事である。彼女は特に愛情の通った家庭など望んではいない。彼女は姉ディニタの望んだバジーレ家と結婚を成すために、自身はこの地にいるのだと思っている。
「編み込みを回したシニヨンにしていただきたいのです。私が貴女に望むのはそれだけ。お願いします」
引かない様子に侍女は悔しそうに呻くと、やや力を込めて髪型を作り始めた。頭皮を引っ張られる痛みを何度も感じたが、プルデンテは何も言わない。苦痛の声すら漏らさない。
流石の侍女も、静かすぎる彼女の様子が異様に思い、手の力を抜いた。
「ありがとうございます」
後れ毛なく完璧な仕上がりに、プルデンテは感謝の言葉だけを告げると、椅子から腰を上げた。両親が用意してくれた花嫁衣装に手をかける。
「あの」
「着替えは私自身で熟せますのでお気になさらず」
「ですが、あの、私」
今まで散々な対応をしていたと、侍女は今更恐れを抱いたようだが、プルデンテは彼女の気持ちに介さない。ただ、その紡ぐ言葉は破滅を与えるものではなかった。
「望んだ通りの髪に結っていただけたので、これ以上は望みません。貴女の技術の素晴らしさに感服しました。次回も是非お願いします」
そうして微笑みを見せて、侍女の退室を促した。恐怖を与えていると理解しても、彼女は言及しない。侍女に求めた事柄は済んだのだから。
何歩か後退をして、慌てた様子で敬礼をした侍女を見つめる。その視線にも恐れて逃げるように立ち去る姿を見届けた。
「怖がらなくともよろしいのに・・・人々から向けられる感情など些末なこと」
そう呟くと、プルデンテは花嫁衣装を身に着けた。首も肩も、腕すらレース編みの布地で隠されたエンパイアラインの衣装は、清らかな純白でありながら金糸が織り込んであることで煌めきがある。それで豪奢とはならず、照明によって僅かに輝く程度のもの。地味な色味の彼女に存在感を持たせるには十分だった。
小さな金の花のイヤリングを付けて、金の花飾りが付いたベールを被る。そして、最後に小さな白いバラのブーケを手に取った。
鏡台に映る自身の姿から、これまでの人生で一番輝いていると自負して、プルデンテは控室を後にする。
王国を統治する多忙な両親は結婚式に参加できない。王位継承者であるディニタも同様だった。王都での式であるならば参加はできただろうが、遠く離れた辺境伯の領地では不可能だった。
それも義父による采配だろう。彼はそれほどまでに王家と結び付きたくはなかったのだと、白い石造りの通路を歩きながらもプルデンテは思考する。
プルデンテとアストゥートの結婚は、敬愛するディニタの政策なのだから、折れるべきは義父の意思であると思い至っていた。
彼女の歩みは止まらない。滞りなく婚姻を結ぶべく、招待客とバジーレ家、義父とアストゥートの待つ聖堂へと向かう。
使用人や聖堂の人々に厳しい目を向けられていたとしても、自分の役目を全うすべく突き進む。
辿り着いた両開きの扉の前に立てば、門前に控えた使用人が渋る。婚姻は決定事項であり、今まさに結婚式が始まるというのに反抗を示していた。
それほどまでに嫌悪を抱かれているのかもしれないが、気にしないプルデンテは自ら扉を開く。慌てる彼らの姿を歩むことにで視界から消すと、招待客に見守られながら正装のアストゥートが待つ壇上に向かう。
王家からは、外遊中の姉スプレンディドと叔父夫婦、外戚も含めた血の連なる分家の者達が参列していた。祝福と笑みを浮かべているのはスプレンディドと叔父達のみで、あとは静観と表情すら浮かべていない。義務として参加したのだろう。
バジーレ家からは義父となる辺境伯はいたが、あとは知らない数名が席を空けて腰を下ろしていた。厳しい表情から祝福はされていないと分かる。だからこそ、プルデンテは前だけを見た。アストゥートと並び立つために、ゆっくりとした歩調で進み、段差を登って、彼の顔を見上げる。
「・・・不備があったことをお詫びしたい」
「お気になさらず、想定内でしたから」
教壇の前に並び立つ二人は密やかな声で言葉を交わした。真っ直ぐ前を見る彼女には、アストゥートの顔は見えないが、その息遣いから驚いていると分かった。
「想定内、ですか」
「皆様に厳しい対応と態度を受けていますから、本日もこのようになるとは考えていました」
「・・・貴女が受けた被害を教えてください。余すことなく全て、どんなに些細なことでも教えてください」
「問題ありませんわ、全て私の不徳の致すところ・・・アストゥート殿、そろそろ」
神父の登場にプルデンテは会話を絶った。微笑みを浮かべて前を見つめる彼女は、真横から強い視線を受けていると感じても口には出さない。態度には示さない。神父による問いかけが始まり、その言葉を聞き入る。
「我らが神の御前にて、プルデンテ・グラツィアーニを妻とし、生涯を共にすると誓いますか?」
「・・・誓います」
「では、プルデンテ・グラツィアーニ。臣籍降下をしてまでアストゥート・バジーレの妻となることを誓いますか?」
神父の言葉は正式なものではない。私的な感情が透けて見えたため、流石のプルデンテもそれほどまでに思わせる原因を追求するべきだと自分の心に誓った。公私混同など許されない教会の神父ですら、彼女への敵意を隠さないのだから。
「誓います」
だからこそ、はっきりと聖堂に響く声量で答えた。隣のアストゥートは軽く肩を跳ね、対面していた神父も目を丸くしたが、プルデンテは気にしない。
神の前で嘘を付くことは、彼女の信条に反するからだ。
「・・・それでは二人を夫婦と認めます。婚姻証書に署名を」
アストゥートが署名をすると、プルデンテへと羽ペンを手渡してくれた。彼女もしっかりと、美しい筆跡で署名をするとペンを置く。
厳かな雰囲気の中、お互い向かい合い、彼の手によって顔を覆っていたベールが捲くり上げられた。両肩を掴む大きな手の感触。見つめ合うことは一瞬で、煌めく金色の瞳が近付いてきたと分かると、彼女は静かに目を閉じた。唇に感じた柔らかな温もりも一瞬のこと。
「・・・このバジーレの地に新たな夫婦が誕生しました。皆様、祝福を」
疎らな拍手。それでも力強いものがあると、目を開いたプルデンテは肩を触れられたまま、夫と共に振り返る。
力強い拍手の主は案の定、スプレンディドのものだった。嬉しそうに目を細めて、その目を涙で潤ませた。美しい姉の祝福に、彼女も表情を緩めてしまう。
「おめでとう、プル。私のあとをヨチヨチ追いかけて来た可愛い貴女が、これほどまでに美しい花嫁になるなんて。姉は嬉しくて、貴女が離れてしまうことが寂しくて、涙が止まらないわー」
「スプレンディドお姉様、あまり泣かないでくださいませ。美しいお姉様には些末なことでしょうが、お化粧が流れて・・・お化粧、されていますよね?」
「当たり前でしょうー・・・公的な場所、何より可愛い妹の結婚式で見た目を整えないなど有り得ません」
結婚式の立食会場にて姉妹は身を寄せ合う。
スプレンディドは目元をハンカチで押さえて涙を拭っているが、ほぼ化粧の崩れてはいなかった。泣いても構わないように薄化粧は施していたようだが、それでも完璧な美貌を保ってる。絶世の美女の名に偽りはないと体現していた。
本日の二番目の姉は華やかさを抑えていた。波立つ艷やかな銀の髪は、ハーフアップで纏めている。淡いペールブルーのAラインドレスで、豊満な胸は胸元すら覆うことで押さえて隠し、長い手袋で腕すら隠していた。アクセサリーも控えめな銀のチェーンネックレスとリングピアスだけ。
主役であるプルデンテを引き立てるために落ち着いた装いを選んだようだが、スプレンディドを目にした誰もはそう感じない。
まるで美の女神といっても過言ではない彼女に心を奪われ、他の何もかもをその目に映さない。美しいスプレンディドに取り入ろうと近付く者すらいたが、護衛騎士と従者に留められていた。
「灰色の王女ではなく、スプレンディド王女殿下だったのなら、どんなに良かったか」
小さな声であったが、それでもはっきりと聞こえた言葉。プルデンテが視線を向ければ、目の合った貴族男性に眉を顰められる。彼以外も厳しい眼差しを向けていた。
「貴女のこんなにも美しい姿を、お父様もお母様も、何よりもディニタお姉様が目にすることができないなんて悲しすぎるわ・・・」
「ご公務がありますから」
「公務なんて関係ないわ。王都での結婚式にしなかったバジーレ辺境伯に問題があるの・・・何が不満なのだか、貴女のことを孤立させようとしているでしょう?神父の言葉と目に付いた使用人の態度、あちらの親族の様子から判断したわ」
「・・・まだ確定したわけではありませんが、そうだとしても今更のこと。王家の、ディニタお姉様の決定を覆すなどできませんから」
アストゥートに何かしらを熱弁している義父の辺境伯を見る。離れていても無表情だと分かる彼に、その言葉が届いているのか分からないが、反論することなく聞き入っていた。内容にもよるが、アストゥートは実父に反抗をしない性質なのだろうと、プルデンテは思う。
「・・・貴女、聞いていないの?」
「何でしょう?」
スプレンディドに向き直れば、美しい彼女は首を傾げて頬を支えるように手を添えていた。可愛らしい所作に、プルデンテも思わず頬を緩ませる。
「いえ、そうね・・・ご自身から聞いたほうがよろしいわ。そちらのほうが刺激があるもの!」
「刺激、ですか?」
「ええ、男女関係において刺激はね・・・ああ、そうだわ。刺激といえば」
スプレンディドは、小さなハンドバッグから細長い小箱を取り出した。厚手の上質な布と金属で形作られた箱を、プルデンテは躊躇わずに受け取る。
「未来を歩む貴女への選別と義務だとディニタお姉様から受け取りました。私達三人でお揃いらしいの」
ハンドバッグの中から取り出された物を目に映す。スプレンディドの白く小さい手のひらの上にあるのは、二つの金属が十字に交差したデザインのネックレス。銀のように落ち着いた輝きがあり、交差部分には細やかな装飾と、中央に鎮座する大粒のサファイアがあった。
「美しいわ」
「ええ、普段使いにしても気にならないでしょう?私も、これから隣国に向かうの。ご招待を受けたから、こちらのお姉様の贈り物を身に着けて、我が国に利益を生む話し合いをするつもりよ」
「・・・ああ、だから私の式に参加できたのですね」
「まあ!ついでじゃないわ!読み間違ったわね!貴女こそがメインなのよ!美しい貴女の晴れの舞台をこの目にして、記憶に刻みつけて、ご公務が忙しいなんて手際の悪いお姉様に『羨ましいでしょ〜』って自慢するのだから!」
「まあ、ふふっ」
胸を張ってふんぞり返るスプレンディドに、プルデンテは笑みを零す。口元は手で隠しつつも、それでも分かりやすく笑みを浮かべていることを、遠くからアストゥートが眺めているなど彼女には分からなかった。




