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不穏

三人目の妊娠期間は、テオドラの時のように楽ではなく、かと言ってファビオラの時のような食欲不振と体調の悪さはなかった。

違いは腹部の膨らみが大きくなるたびに食欲が増し、以前の倍の量を取るようになったこと。このままでは肥満になると、プルデンテは無理のない散歩で体を動かすも、胎動が激しく、行動の阻害をされることが暫しある。

上の姉妹達とは違い、大きな子が生まれるかもしれない。臨月となり、非常に大きくなった腹を撫でながら確信する。彼女は赤子に対する思考のために止まっていた手を動かした。大きな腹を締め付けないゆったりとした新緑色のドレス姿で、二十歳の誕生日、姉のディニタから贈られた万年筆を走らせる。バジーレ辺境伯領の収支の計算を再開した。

王国東の辺境で、防衛の拠点であるバジーレに嫁いだプルデンテは、二番目の姉スプレンディドが結婚式に参列してくれた以降、家族とは顔を合わせてはいない。国の統治者で多忙極まるため仕方なく、時折、健勝であるかという確認の手紙と祝い事では贈り物が届く。返答の手紙はすぐさま送り、家族の催事には彼女からも贈り物を送っていた。王家たる家族とは離れていても繋がっていると理解している。


両親である国王夫妻は、王国に住まう民のための治世に尽力していたが、年齢から退位を決定した。王家の避暑地である離宮に居を移し、以降は政治に関わらず、穏やかな日々を送るつもりだという。

つまりは一番目の姉ディニタは次期女王としての基盤を固めて、一年を待たずして王位を継ぐ。治安維持と防衛に注力し、王国に芽吹いた文化を尊ぶ彼女は、夫との間に一人の王子をもうけた。第二子を望む声は多いが唯一の王子は健康体で英才、王家の美貌を受け継いだ容姿でもあることから次代の心配はない。彼女は華やかで威風堂々とした女王として、王国の平和を守り、決して外敵に屈することもないだろう。

そして、二番目の姉スプレンディドは外交官として各国を回っている。魅惑の王女である彼女はどの国でも歓待を受け、王国と他国との友好関係を強めている。未婚だからこそ誘惑を受けるようだが、しっかりとした心根から誰にも靡かない。今は東方の果てにある国にいるようだが、常に情報が発信されるために、その動向は世界中に注目されている。


優秀な姉達を持つことにプルデンテは誇りと責任を感じる。明らかに劣ると自覚したのは幼子の頃から。だからこそ、持てる力全てを活用して自身の役目を果たさなければならないと思っていた。


(やっぱり今月も支出が増えている。防衛費用が徐々に上向き・・・当然ではあるけれど、不安だわ)


防衛費が増えた理由は知り得ていた。近頃、バジーレ辺境伯領の町村が集団による襲撃を受けている。集落を囲う障壁の破壊工作、農民の拉致事件、旗なき武装集団による強襲に、狩猟祭に現れた大熊と同格の熊の襲撃まで起きている。

防御も武器具も、人員すら少しずつ摩耗させるような攻撃。大熊こそ緑深い山間部だからかもしれないが、狩猟祭の件から確信は持てない。誰かの手引きで襲撃を受けたのではと彼女は考えてしまう。未だに、あの大熊達を放った者は判明していないのだから。

バジーレ辺境伯領の兵士や騎士が優秀な戦士であるとは、今までのことで理解できている。未知の集団による襲撃も退け、どの町村の被害も最小に留めているとは分かっている。

だがしかし、集団の人員は一人も捕縛できておらず、すぐに別所が襲撃を受けるため、統括する領軍の頭脳部、つまりはバジーレ辺境伯やアストゥートすら対処に手間取っている。本日も領の内側、西の高原にある町が襲撃を受けた。被害状況の確認のためにアストゥートが向かっている。この最中に先程北部の村が襲撃中と報告され、バジーレ辺境伯自身が奔走している。

何者かによる領内の襲撃は、訓練を受けた軍隊によるものだと分かる。その真意や理由は憶測こそできるが、不確かなものであるため言及はできない。ただ、確かにバジーレ辺境伯領は狙われているのだと理解できた。


プルデンテは、領内にある鉱山の産出量を書類で確認する。武器防具の原材料である鉄を含めた鉱物は、三年前に見つかった新たな鉱脈によって膨大な量になっている。バジーレ領の山間部の地下こそ、この領地にとって宝の山。

ディニタの結婚祝いに贈った金の花飾りが上質さと職人の技術から高い評価を得て、バジーレの金も上級品とされた。職人達も、国内の宝飾店からの依頼が増えたと喜び、彼ら自身に更なる価値が付与された。

防衛に関わる鉄、価値高い金に加えて、宝石類も産出されている。それらも注目を浴び、特に一つの鉱山が独占状態になるほどの大鉱脈があるアメジストは、その純度の高さから数多の加工品が王家に献上されている。記憶に一番新しいのは王子の胸元を飾ったブローチ。深く高貴な紫色は大きく、バジーレの職人作という付加価値によって式典では人々の目を奪ったという。


バジーレ辺境伯領は国内でも重要な鉱物の産地となっている。その潤沢な資材は領地を支える資金源であり、きちんとした管理のもと扱わねばならない。


「鉄の産出は順調、金は僅かに落ち込んでいるけれど・・・産出量の減少ではなくて管理のために採掘回数を減らしたのね。鉱山自体を閉山している。次回の採掘作業日までは資金の捻出はできないから仕方ないわ・・・あとの鉱物は順調」


計算をすれば防衛費の補填には余りあるほどになり、プルデンテは安堵と息を漏らした。書類とノートに走らせていた万年筆にしっかりと蓋をすると、ペン立てに差し込む。彼女はシエナが淹れてくれた、きちんと毒見済みの冷めた紅茶を一口飲む。

冷たさを食道に感じながら脳裏に過るものがある。幾度となく考えたこと。この襲撃者がもし想像している者達、つまりは隣国からの侵略者ビセンテ伯爵家によるものならば、彼らはこの潤沢な鉱物資源を欲するがため、今までバジーレ辺境伯領を狙っていたのではないかと。


「領土は何度か侵略を受けて、地域によっては数十年も支配されている。それこそ、この鉄鉱山がある鉱山町も一時はビセンテの手に落ちていた」


記録として残されているバジーレ領の歴史書は、嫁いですぐに読み込んだ。古代期から残る石碑や古代の居住区跡から出土した石板の写しにも、侵略者としてビセンテの名が刻まれていた。バジーレ辺境伯領が王国に与する前より、先祖であるバジーレの豪族からも仇敵だと記録されている。

彼らは先祖代々、この地を狙っているのだろう。


「今は隣国の伯爵家だからこそ国主の名には逆らえない。スプレンディドお姉様が友好の架け橋となってくださったから、今は独断で動いている・・・やはりビセンテ伯爵家による侵攻の一端では」


プルデンテは主不在のアストゥートの執務室で仕事をしていた。常に側にいるシエナも、護衛の騎士も室外に控えている。だからこそ独り言を呟いていたが、扉が叩かれたことで驚いてしまう。聞かれたかと彼女は身構えつつ、それでも短く返事をする。


「若奥様、アストゥート様がお戻りになられたそうです」


嬉しい報告に一息吐いて、プルデンテは革張りの椅子から腰を上げた。


「そうでしたか。では、お出迎えをします」


扉に近付き、ノブに手をかけながら「開きますよ」と言葉を送って扉を開いた。

見えたのは二歩ほど下がった位置で敬礼をするシエナの姿。彼女はプルデンテが執務室から出ると、姿勢を戻して後ろに控える。

頷いて答えたプルデンテは、アストゥートを出迎えるために廊下を歩き出す。シエナともう一人の若い侍女、護衛騎士三人を引き連れて進み、エントランスに辿り着いた。階段を降りつつ、部隊の副官に話しかけている黒い軍服のアストゥートの姿を捉える。足音で彼は気付いたようで、視線だけは彼女へと向けていた。


「引き続き警戒を怠るなと言っておけ。相手は少人数とはいえ軍事訓練を受けた部隊だ。次の襲撃も遠くはないと思ったほうがいい」


「畏まりました」


歩き近付く最中に聞こえた会話。背後にいる兵士達の疲労した表情もあって、緊迫感を与えられた。ただ、例えそうだとしてもプルデンテは表情に出さない。

彼女の登場に気付いた兵士達に微笑みを向け、手を伸ばしたアストゥートに身を寄せる。すぐさま厚手の革手袋をはめた手が腰に巻き付き、抱き寄せられた。


「奥様、お久し振りにございます」


副官が敬礼と頭を垂れた。プルデンテは短い言葉を送り、彼は姿勢を戻す。眉間にあった皺がなくなったことを確認すると、視線を向けるアストゥートに向かい合った。


「お帰りなさいませ、アストゥート」


「ただいま帰りました・・・」


険しかった彼の顔が緩む。それでも疲労が浮かぶことで、高原の町にて戦闘が起こったのかと思われた。腰に巻き付く手も、彼女の存在と、腹部の膨らみを確かめるかのように撫でられている。


「戦闘となられたのでしょうか?」


「障壁の破壊工作をしていた者達を発見したのですが、あちらは追跡を想定していたようで軽装の早馬で逃げられてしまった。矢で頭をかち割ってやろうかと思ったが、森の中に入ったことで撹乱されて・・・実に腹立たしい」


「身重の奥様には刺激の強すぎる発言かと」


見かねた副官が諫言を送れば、アストゥートは流し目で睨みつけた。小さな呻き声と共に副官は顔をそらし、口を閉ざした。

相手にやり込められて気が立っている。プルデンテの前ではあまり見せない姿だからこそ、抑えきれないほど苛立ちが凄まじいのだと理解できた。


「お疲れ様でした。アストゥートと皆様があって西の町は襲撃を退けることができたのでしょう。無事の帰還も含めて、私は安心しています」


部隊の兵士達にも向けて言葉を送る。分かりやすく安堵する者もいることで、今は無駄でしかない緊張は解れただろうかとプルデンテは思考した。


「以前、他の町村も含めて警備の強化をします。外敵の駆除はしなければならない。一つの集落でも陥落すれば、外敵はそこを拠点に増えていきます」


「ええ、正しく・・・お疲れの皆様はしっかり体を休めてくださいませ。戦士たるご自身の身体を気遣うのも職務の一環です」


顔を向ける兵士達に最後と言葉を送り、動きは揃わずとも全員に敬礼を返される。


「プル」


彼ら全員が姿勢を戻した瞬間、アストゥートに名前を呼ばれた。彼女は催促だと理解して、腰を押す彼と共に歩き始めた。

副官が兵士達に解散を告げる声を発する。それを耳にしつつ、アストゥートのエスコートの元、二人の部屋に向かう。

プルデンテの護衛騎士の一人が扉を開き、彼女は会釈をして中に足を踏み入れた。扉の開かれたまま入り口に顔を向け、シエナに合図を送る。礼で返した彼女の言葉で部屋の扉は閉じ、アストゥートと二人きりとなる。

彼はゆっくりとした歩調で、身を支えながら歩き進み、いつもプルデンテが腰を下ろす二人掛けのソファに誘導してくれた。感謝をして座れば、アストゥートは真横に腰を下ろす。

深く息を吐いて頭を垂れると、自身の中に渦巻く苛立ちを解消しようとしてか、そのまま深呼吸を繰り返している。

落ち着こうとする夫の姿に胸を痛めた彼女は、その広く逞しい背中に腕を伸ばすと、労りの気持ちから優しく撫でた。


「・・・敵を取り逃すなど今まではなかった。連中はバジーレの街道だけではなく、交通経路も知っている。退路も近隣の森の中を知り得ていたから躊躇せずに進んでいた。他の町村や地域を襲撃している連中だとは確信はないが、西の町周辺には詳しかった。顔はヘルムで隠していたが、もしかすれば内部の者かもしれない」


顔を上げた彼は、プルデンテを見ずに正面のどこか、鮮やかな色味の絵画が飾られた壁を睨みつけながら言う。僅かでも彼女に苛立ちを向けないための配慮だろうと分かり、だからこそ、その肩に頭を預けるほど身を寄せる。


「プル、今の俺は・・・分かりやすく言えば、この部屋の中の物を破壊したいほど暴れたい。それほど怒っているんです。貴女の存在が留めてくれてはいるが、触れられると抑えは利かない。腹に俺の子がいるのに、貴女に苛立ちの解消を願ってしまいそうなんです」


爛々とした光の宿る金色の瞳が向けられた。副官を睨みつけたときの鋭さはないが、アストゥートを知らない少女ならば、恐怖に悲鳴を上げるほどには鋭かった。

しかし、プルデンテは悲鳴を上げない。彼に対する恐怖などなく、彼を信じているから体を預ける。


「そうですか。では、お腹の子のためにも感情を抑えてくださいませ。貴方が乱暴者ではないと、私は信じています。だからこそ、こうして無事に戻ってきてくださったことを、心より喜んでいるのです」


膝の上に載っていたきつく握り拳を作る手に、彼女は手で触れた。肌を撫でて、そのまま重ねる。触れ合いで落ち着いた心音を聞かせ、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。

そうすれば、アストゥートの感情から入っていた力は抜け、息を吐き、ソファの背もたれに身を預けた。


「・・・貴女という人は、俺の心を安らがせる天才だな」


触れ合う手に視線を落としたアストゥートの目は優しい。プルデンテに応えるべく、内にある苛立ちを抑えてくれたと分かる。二人の息遣いと身動ぎで起こる衣擦れの音、そして壁掛け時計の針の音だけが聞こえるだけの室内。言葉はなく、お互いの温もりを感じ合っていた。


「・・・バジーレ辺境伯領は明確に狙われています。各町村、最近では街道含む交通経路でも何者かによる襲撃が増え、実際に被害は出ている。軍や駐在の騎士と兵士による警備、防衛戦で一次的な排除はできている。だが、誰一人捕縛が叶わないことで、犯人の詳細は一切不明となっています。今までの積み重ねから、目星はついているが、やはり確証はない」


「そうなのですか・・・もし、私が想像した方々ならば、国際問題になりますね」


「国際問題など連中にとってどうでもいいことでしょう。連中は・・・ビセンテは歴史にも記されている通り、古から支配権の主張をしていた。襲撃の実行犯には土地勘のあるが、それは内部にいるビセンテの協力者でしょう」


忌々しいと顔を顰めて吐き捨てるように言うアストゥート。プルデンテは彼の手に触れていた手を、その険しい顔に向けて頬を優しく撫でた。その手はすぐさま握られて、アストゥートは自身の口元に寄せると唇を当てる。


「・・・領都の側でも、襲撃目的とみられる集団は確認されている。軍の本陣で堅牢な障壁を少人数で突破できるはずもないが、それでも注意はすべきでしょう。万が一、領都が落とされて、この城塞まで連中が汚い足で侵入したとする。現状からそういった想像をしてしまうんです・・・下賤極まる連中が俺の大切な貴女や娘達、もうすぐ生まれるその子に危害を加えようとしたら、俺は正気を保つことができなくなる」


「・・・バジーレ領での戦争となれば、あり得ることでしょう。ただ、私も恐れによって震えるだけの女ではありません。貴女との子供達は命を懸けても必ず守り、私自身の尊厳を守るためにも戦います」


手を握りしめる力が強くなった。不安だと眉を寄せたアストゥートは、眼差しをプルデンテに向ける。


「貴女を戦わせるなど、俺がさせるわけがない。必ず俺が守ります。この連続する襲撃の実行犯共は早急に捕らえて、容疑者であるビセンテに全ての首を送って黙らせる。一切の不安を拭い去り、貴女に平穏な日々を贈ると誓いましょう」


不穏な言葉と共に贈られる誓い。真剣な眼差しにプルデンテは微笑み、決意をする。


(ディニタお姉様から贈られたネックレスを出さなければ・・・内通者が誰かは分からない。万一のことがあって、この身が危険に晒されたとしても、抵抗すらできなかったなど無様そのものだもの)

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