三人目の出産
プルデンテの陣痛が始まったのは深夜、睡眠中のときだった。湿り気を感じて意識が浮上すれば、すぐに腹部が痛み始めた。抱き締めて眠っていたアストゥートも、彼女の身動ぎと苦痛の声で目を覚まし、陣痛だと知るとすぐさま身を起こした。彼はいつでも対応できるように城塞内に招いていた医師を呼び出し、侍女達に介抱を受ける。
間隔を空けて訪れる激痛に意識を朦朧とさせながら、プルデンテが身を預けるベッドにアストゥートが腰を下ろし、自身はその腕にしがみついていると認識できた。だが、それは下腹部を絞られるような痛みで霧散する。
「若奥様、呼吸を忘れてはいけませんよ。さあ、息を吸って、吐いて・・・お子様はまたお腹の中。降りていただくために、落ち着いて息を吸って、吐いて・・・」
シエナの優しい囁きを聞きながら、言われた通り呼吸を繰り返す。次第に痛みの強さが増し、腹部の圧迫感も凄まじいものとなる。縋りついているアストゥートの腕を握って、爪すら立てていると、ふと目にしたことで理解した。しかし、すぐさま沸き起こる激痛に考え事などできなくなる。
「・・・今までのご出産よりもお時間はかかるかと」
医師の声が聞こえた。彼女の固い声色から難産になるのだと理解はできた。
「はぁ・・・ぁ・・・・はぁっ、はぁっ、あ゛、ぁ・・うぅ・・・」
「プル、苦しいでしょう。ほら、水分を補給をしましょう。少しでも楽になる。楽にしてくれるはずです」
「は、ゔぅっ、ふ・・・ん、ん・・・・ふあ゛、ぅっ」
毒見がされた水とは分からない。だが、アストゥートからグラスを向けられたことで疑うことすらしなかった。口を付けてゆっくり飲むが、痛みによって吹き出してしまう。口から胸元まで水浸しになり、彼が手ずからハンカチで拭ってくれた。
その虚ろな目、霞んだ視界の中に真剣な顔のアストゥートを捉える。睡眠の途中に起こされ、それでも甲斐甲斐しく世話をしてくれる。痛みに耐えるべく掴んだままの腕の皮膚は食い込む爪で抉れているはずなのに、痛みなど訴えず、苦しむプルデンテを支えてくれていた。
「あす、とぅ、あぅ・・・ぐ、っ、はぁ、ごめん、なさ・・・あなた、に、ごめいわく」
「プル、俺のことは気にしなくていい。今の貴女は男の俺では成し遂げられない偉業の最中なんです。無事に、苦しみがすぐに過ぎ去るように集中しましょう。何か他に欲しいものがあるのなら、何でも言ってください。何でもする、貴女の苦しみが和らぐのなら俺は何でもするから」
「は、ぁ、うぅっ・・・ふぅ、ふ・・・ん・・・うぅ」
「少し開いてきましたね。プルデンテ様、このまま落ち着いて呼吸を心がけていきましょう。ゆっくりですが、お子様が降りてきましたよ」
「シエナ」
頭上からアストゥートがシエナを呼ぶ声を発する。プルデンテの霞む視界には彼の表情などはっきり見えないが、険しい顔をしているように見えた。近付いてきたシエナに何かしら告げて、シエナは医師のもとに向かって何かを話している。耳すら遠くなっているプルデンテには周囲の声はよく拾えずに、また強くなった痛みに意識すら霞んだ。
「以前の出産よりも確実にお時間はかかりますね。ファビオラ様は難産でしたが、それ以上の困難な出産となる可能性はございます」
「俺は門外漢だから分からないが、出産を早める方法はないのか?あまりにもプルが痛ましい。これ以上は苦しめたくない」
「出産をスムーズに終えるなど不可能です。奥様の体格、体質、体調、お子様の大きさも関わります。もし逆子ならば難産は確実で、最悪、死産となることも」
「俺の子は逆子か?死ぬというのか?」
アストゥートの声が張り上がる。朦朧とするプルデンテにはその語気しか分からず、ぼんやりした眼差しでひたすら彼を見つめるだけ。だが、痛みにより、きつく瞑ることで眼差しすら向けることはできなくなる。
「足か頭かなど、お姿が出ていませんので分かりません。落ち着いてくださいませ」
「死産の提示をしたのはお前だろう」
言い合いをしていると声色で分かっても、苦しむプルデンテには何も言えなかった。
時間の経過も分からず、繰り返す凄まじい痛みにただ長いとだけ感じていた。
最中に意識を失っていたとは、目を開くたびに景色が変わることで分かった。夜から朝焼けか夕焼けに変わっていて、次に目を開けば窓から青空が見えた。薄曇りからより暗い夜だと目にしても、次に映るのは曇天から振り注ぐ雨。意識を痛みに阻害されながらも、気づいたときの目に映るものの違いに、彼女は一日以上も陣痛が続いていると理解する。
それでも、しがみついている逞しい腕と心の拠り所のような温もりは常にあった。アストゥートがずっと側にいる。シエナや侍女達、出産の進行経過を見守る医師でさえ、助手と思しき別の女性に変わっているが、彼だけは常にプルデンテの側にいて支えてくれている。
目覚めによる吸水、体力を得るためにすり潰された食料を与えられる。顔も体にも膜のように纏わりつく汗を拭い、腹の痛みを紛らわせようとして、彼は支える肩を優しく撫でる。
目を向けるたびに金色の瞳が映る。見つめられていたと自覚して手を伸ばした。弱々しく力のないその手は、アストゥートの大きな手によってしっかり握りしめられて、彼がホッと息を漏らす様が見えた。それは結局、突如の再開する激痛によって考えにまで至ることはない。
どれほどの時間を苦しめば、お腹の中の子は生まれてくれるだろうか。
部屋の照明で明るさはあるものの、夜と分かる薄暗さを感じる時刻。プルデンテは皮膚と肉の突っ張り、質量を感じるものが凄まじい痛みを与えながらも動くのを感じた。
「はぁ、はぁっ、あ゛ぁっ!はぁっ!はぁっ・・・ぁ、あぁっ、あ゛、うぅっ、ぐっ」
「頭が出てきましたよ。もう少し、もう少し、教えた呼吸をして、そうです・・・では、力んで!」
「う゛ぅぅっ!!」
言われた通り、誰が言っているかなど分からずとも、聞こえた合図に従って力む。
呼吸と力みを繰り返し、繰り返し。何度も言われた通りに続けて、そして、ふと空が明るくなっていると窓に視線を向けた瞬間。脚の付け根にあった質量のあるものが抜け落ちる感覚を得た。
「ぎゃあぁ、あぁっ!ふぎゃぁあぁっ!!」
響き渡る大声。その懸命な泣き声が彼女の耳に届く。未だに下半身の痛みは凄まじく、意識は落ちかけているが、その声に視線を向けた。
まだ膨らんだ腹、大きく開いた両足の合間、女性医師が動く赤い塊を抱き上げている。
「お生まれになりました!男のお子様ですよ!」
血に塗れた赤子はテオドラとファビオラよりも遥かに大きいと、目に映った大きさから理解しつつ、抵抗なく目を閉じた。プルデンテはそのまま意識を失ってしまう。
自身が目を開けたのだと気付く前に、視界に映る清潔な布に包まれた赤子の寝顔に意識を向ける。柔らかなクッションの敷かれた籠の中で赤子は眠っていた。穏やかな寝顔は皺だらけで赤く、布地から飛び出た手は小さい。それでも、やはりテオドラとファビオラのときよりも何もかもが大きかった。
「気を失って、眠っていて・・・この子」
呟きながら手を伸ばし、呼吸で上下していると腹に触れる。
それと同時に、プルデンテの額にかかっていた前髪が撫で上げられた。誰かの大きな手の指に髪を梳かされている。
誰であるかなど分かりきっていることで、心は落ち着いていた。心視線を向ければ、ホッと息を吐く人。柔らかな笑みを浮かべるアストゥートが、安堵から柔和な表情を見せていた。彼は彼女に顔を近付けて、その額に唇を落とす。
「やっと目を覚ましてくれた。おはようございます、プル」
「・・・おはようございます、アストゥート」
前髪を撫で上げながら、プルデンテの頭の横で眠る赤子へとアストゥートは目を向ける。
「この子を産んだ瞬間に貴女は意識を失ったんです。医者は出産の衝撃で気絶したと言っていたが、気が気じゃなかった。何事もなく目覚めてくれてよかった・・・」
「それは、ごめんなさい。ご心配をおかけしました」
「貴女が謝ることじゃない。目に見えて大きな子を産んだんです。疲労と体内のダメージは計り知れなかった・・・ああ、プル」
再び額に唇が触れた。食むように動くことで音を立たせ、そのまま頬や輪郭にも落とされた。アストゥートを熟知している彼女は、唇にも触れるつもりだと気付く。右手を上げて、立てた人差し指でその唇を制した。
間近にある顔は不満と眉を寄せたが、すぐに動いて頬同士が擦り合わされる。
「まあ、擽ったい」
「貴女の体温を感じたい・・・生きている。無事に出産を終えて、生還してくれた」
彼が深く息を吐いたことで、また頬が擽られる。プルデンテの温もりを求めて身を寄せる様子は過剰であり、だからこそ気絶で意識を失っていた最中の彼は、胸が張り裂けるような思いだったのだろうと想像できた。
「大丈夫ですよ、アストゥート。特に不調はありません。下半身こそ痛む部分がありますが、それは以前の出産でも感じたこと。休めば治るでしょう。だから、ふふっ、そのようにしがみつかれては擽ったいですわ。止めてください」
「貴女を感じたい、プル。二日間にも及ぶ出産を終えて無事に生き延びた。心臓が動いているから脈があって、体温がある。いつもより体が熱く感じるのは寝起きだからか・・・声は掠れている。悲鳴のような声を上げていたからですね。喉はまだ回復していない。水を飲みましょう」
アストゥートは手でプルデンテの体温を測り、言葉を交わすことで不調を感じ取る。すぐさま身を離した彼は、サイドテーブルにあったガラスのピッチャーを掴むと、真横に置いてあったグラスに氷ごと水を注ぐ。慌てた様子はないが気持ちははやっているようで、注がれる水は跳ね上がり、テーブルに水滴を作った。布巾は無く、水滴をそのままにして、アストゥートはなみなみと氷水が注がれたグラスをプルデンテに差し出した。
「飲めますか?」
「自分で飲めます、あっ、飲めますから・・・もう」
上体を起き上がらせれば、グラスを多少強引に口元に寄せられた。唇に触れて傾けられたことで、彼の手ずから冷たくも清らかな水を嚥下する。
汗が滲むほど熱い体は水の冷たさを強く感じ取り、口から食道、胃袋へと流れていく感覚も拾った。流れ落ちた箇所から、冷たさがじわじわと広がっていくことも感じ取る。
「・・・冷たくて美味しい」
「城塞内の井戸水と山間部の氷洞から取り寄せた清らかな氷です。勿論、毒味は済んでいる。長時間の出産では飲み食いもままならなかった。このままでは脱水症状に陥ると、医者の女に脅されたものです」
「まあ!お口の悪さが表れていますよ・・・二日間にも及ぶ出産と仰っていましたね。それほどまで時間がかかったとは思いませんでした」
再び唇にグラスの縁が押し付けられた。合図を受けて口を薄く開けば、冷たい水が口内を満たし、喉を通って体を冷やしてくれる。
「貴女は意識が朦朧としていましたから時間なんて測れるわけがない。食事も潰した果物を少しだけ食べてくれただけ。俺は体力が無いはずの貴女が力む度に事切れてしまうのではないかと不安に駆られて、ただ体を支えることしかできない自分が不甲斐なかった」
「アストゥートが寄り添ってくれていたと覚えていますよ。貴方の腕に爪を立ててしまったのも・・・ごめんなさい、痛かったでしょう?傷になっているはずです」
「貴女の痛みと苦しみに比べれば、子猫に引っ掻かれた程度のことだ」
氷だけ入ったグラスはサイドテーブルに置かれ、掴んでいた手がプルデンテの頬に触れた。ひんやりとした手の心地の良さに口元を綻ばせれば、彼の顔が近付いてきた。唇へのキスを試みようとしていると気付き、アストゥートの献身から許してしまおうと彼女は目を閉じる。
「ふぇ、あぅ」
小さな声。それでもプルデンテにはしっかりと聞こえた。彼女は目を開くと、間近にあった彼の唇に再び人差し指を立てた。
彼女が振り返れば、後頭部が深い溜め息を受ける。それでも、身を包む布を押し上げてもぞもぞと動く小さな赤子に身を寄せた。
「ぁ、うぅ」
「目が覚めたのね、おはようございます」
感情が宿る前の虚ろな眼差し。それでも、ひたすらにプルデンテを見つめる金色の瞳の目と視線を合わせて、口元を綻ばせた。
「金色の瞳。お父様と一緒ね。髪の毛も豊かで、柔らかい黒髪・・・はじめまして、私の可愛い子。私はあなたの母ですよ。分かりますか?」
赤子は緩く握っていた手を振り上げた。彼女の言葉に理解を示したわけではなく、ただ体を動かしているだけだとは分かっている。大きな体の元気な子だと、プルデンテは喜びから手を伸ばし、拳を作る右手に人差し指で触れた。
「んぁ」
動きによって一度人差し指は弾かれたが、再び赤子の手が当たると反射からか握りしめてきた。
力は弱く、手も柔らかい。か弱く可愛らしい我が子に、彼女ら居ても立ってもいられずに抱き上げて胸に寄せた。
テオドラのときよりもファビオラのときよりも、分かってはいたことだが重さを感じた。上の二人の赤子時代も思い出し、乳飲み子の我が子に対する庇護欲が湧き上がる。大事に抱えれば、赤子はプルデンテの胸に顔を寄せ、ネグリジェ越しに弄り始める。
どうやら乳が欲しいらしく、不満だと甲高い唸り声も上げた。
「お腹が空いたのですね」
「貴女の眠っている間は乳母が授乳をしていましたが、報告では凄まじい飲みっぷりだそうで、乳母自身の子供に与える分が無くなると嘆いていました」
「それは、ご迷惑をおかけしましたね。乳母の子の方は大丈夫ですか?」
「乳母二人体制にしたので事なきを得ました」
「そうですか、これからは私自らが乳を与えますから負担はなくなるでしょう」
片手でネグリジェのボタンを外した彼女は、前面をはだけさせると、胸の膨らみを赤子に寄せる。そうすれば、すぐさま食らいつかれて、乳を強く吸われ始めた。
「・・・確かに凄まじい飲み方だわ。食欲旺盛なのですね」
「その子もそうだが、テオドラもファビオラも成長期だからよく腹を減らす。この二日間、貴女の手作り料理が食べられないと不満を漏らし、ファビオラに至っては貴女以外が作った食事は食べたくないと我儘を言って皆を困らせていました。出産という大事だと教えれば、見舞いに行くと騒いで・・・あの子達も安心させなければな」
「ええ、そうですね」
仕方ないにしても、出産で娘達の顔を三日も見ずにいる。寂しい気持ちから胸が締め付けられるように痛み、視線を落とせば懸命に乳を飲む赤子の顔が目に入る。
「貴方のお姉様達と顔を合わせなければいけませんね」
食事に夢中といった様子から声は届いていないだろうが、小さな金色の瞳はプルデンテの顔を映していた。
「妹を欲しがっていたファビオラは残念に思うだろうが、テオドラは弟の誕生に喜ぶでしょう。一緒に騎士の訓練をすると言っていましたから」
「お義父様も喜んでくださいますわ。念願の男の子ですもの」
「喜ぶ前にこちらに来れるかどうか・・・貴女が難産の末に気を失ったと知ったあいつは顔面蒼白で固まっていました。引き篭もった執務室から移動できるかも分かりません」
言葉を交わす最中、突如として誰かの叫ぶ声が聞こえた。
遠くから轟いた大声は籠もっているため言葉こそは分からない。ただ、焦燥した声色だったことでプルデンテの体は緊張する。
腕の中に抱えた我が子。不安はないとひたすら見つめてくる子は、母親である彼女を信頼している。声が聞こえなかっただけかもしれないが、子から向けられた全幅の信頼から、決して手放さないと苦しくない程度に力を込める。
プルデンテが顔を上げれば、アストゥートの背中が見えた。警戒から腰に佩いた剣の持ち手に手をかけた彼は、開かれるだろう扉に顔を向けている。
何が起きたのか。ここにはいない娘達は無事か。義父であるバジーレ辺境伯はどうしているのか。
駆け足で近付いてくる者がいる。その者は寝室の扉の前でぴったりと止まると、慌てた様子で叩き、返事を待たずに開いた。
「アストゥート様!お嬢様達が!!」
現れたのは長年バジーレ家に仕えている老齢の使用人だった。顔面蒼白、焦りを滲ませた表情、緊迫した声での言葉。
察したアストゥートはすぐさまと部屋を飛び出した。使用人もあとに続き、乳飲み子を抱えた出産直後のプルデンテは、素早くベッドから降りることもできなかった。何より、降りようと身じろいだ瞬間に、アストゥートとすれ違いざまでシエナが入室してきた。プルデンテ付きの侍女達を引き連れた彼女は、すぐにベッドに身を寄せる。
「若奥様、アストゥート様が向かわれのでご安心ください」
「で、でも、テオドラとファビオラが」
「お嬢様達はご無事です。危うくという場面こそありましたが、お嬢様達の侍女達が身を挺して守りました」
「・・・何があったというのですか?」
シエナはゆるゆると首を横に振った。
「今はまだ。ですが、お嬢様達はご無事であることは確実です。大旦那様も現場にいらっしゃいましたので、アストゥート様と共に対処してくださいます」
彼女がプルデンテを安心させようとしているとは理解している。娘達も無事であるという確信はできた。
だが、何が起きたのか説明されない。それはプルデンテが不安を感じないための処置であると理解できている。つまりは重大な事柄が起こったという意味。
何も分からずじまいの彼女は、腕の中の我が子の温もりに縋るように、小さく柔い体を抱える手でゆっくりと優しく撫で続けた。
出産の描写の難しさよ




