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第6章2話 交わる (フィン in 日本) -2

4月の宮崎の海は、

フィンの想像よりもずっと冷たかった。

だが、サーフィンさえできれば、

水温などどうでもよかった。


それでも、ウェットスーツの隙間から入り込む海水が、肌を刺すように冷やす。

思わず、小さく息を吸う。


シドニーの海を思い出す。

朝日が差し込むビーチ。

裸足で歩いても苦にならない砂の温度。

肌にまとわりつく、どこか柔らかな海水。


それに比べると、宮崎の海は、どこか硬い。

水の重さが違う気がした。


フィンはボードを抱え、

波打ち際に立ったまま、しばらく海を眺める。


水平線の色。

寄せては返す波のリズム。


確かに海だ。

だが、どこか、知っている海とは違う。


――まぁ、海なんて場所で変わるもんだ。


そう自分に言い聞かせ、

ボードを水面に置いた。


パドルアウト。


腕は、自然に動いた。

水をかく感覚も、悪くない。


――大丈夫だ。


少し安心しながら、沖へ出る。


セットの波が見える。

迷わず行くサイズ。

タイミングも悪くない。


フィンはボードの上で身体を伏せ、

パドルを強めた。


立つ。


……立てない。


ボードが、前に出ない。


タイミングが、微妙に合わない。


もう一度。


次の波。


パドル。

テイクオフ。


また、前に出ない。


ボードだけが、置いていかれる。


「……?」


小さく、声が漏れた。


三本目。

四本目。


同じだった。


波は来ている。

身体も動いている。

なのに、乗れない。


胸の奥が、ざわつき始める。


――おかしい。


今までは、こんなことはなかった。


たとえ数ヶ月海に入らなくても、

身体が勝手に合わせてくれていた。


なのに。


フィンはボードにまたがり、

沖でしばらく座り込んだ。


波を見つめる。


日本の波は、オーストラリアよりも少し速い。

立ち上がる瞬間が、短い。


そして、どこか不規則だ。


――波が違う。


それは分かる。


だが、それだけじゃない。


しばらく波を眺めているうちに、

足がじんわり痺れてきた。


体勢を変えようと、

もぞもぞと腰を動かした、そのとき。


ふと、気づく。


なぜ俺は、

ボードの上で正座をしているんだ。


――は?


一瞬、思考が止まる。


ゆっくりと自分の足をみる。


両膝、ぴったり揃っている。

足の甲、きれいに寝ている。


完璧な正座。


「そういうことか!」


思わず、ひとりで声が出た。


この半年足らずで、

いつのまにか剣道の所作が、

身体に深く染みついていたらしい。


先ほどの自分のテイクオフを思い返す。


重心が、ほんのわずかに後ろ。

姿勢は安定している。

剣道的には、正しい。


だが、サーフィン的には――

少しだけ間違っている。


その、ほんの数センチのズレ。


「おいおい……しっかりしろよ、俺」


苦笑しながら、

たった数ヶ月で身体の使い方まで変えてしまう

剣道という競技の恐ろしさを思う。


気を取り直し、

本来の自分を思い出す。


胸を少し前に。

視線を上げる。


「……これだ」


懐かしい感覚が、

じんわりと戻ってくる。


次の波。


今度は、考えすぎない。


パドル。


無理に強く漕がない。


波がボードを押すのを、待つ。


立つ。


――立てた。


心地よい風が、頬をかすめる。

水面が、足元を流れていく。


「……よし。これだよ、これ」


思わず、口元が緩む。


次の瞬間、

バランスを崩して、冷たい海に落ちた。

だが、フィンは水の中で笑っていた。


もう一度。


パドル。


立つ。


今度は、少し長く乗れた。

身体が、どんどん思い出していく。


重心。

波との距離。

力の抜き方。


頭で考える前に、

身体が勝手に微調整する。


――これが、俺のサーフィンだ。


フィンは沖でボードにまたがり、

大きく息を吐いた。


「……やっぱり、俺は俺だな」


胸の奥が、じんわりと温かくなる。


完全に失ったわけじゃない。

消えてしまったわけでもない。


自分は、フィン・モーガンのままだ。


次の波が来る。


フィンは、自然とパドルを始めていた。


Easy, easy.

Everything’s gonna be fine.


フィンは、もう一度、波に向かっていった。



――フィンは、まだ知らない。

長野の自宅で、

早苗が"学会名"に違和感を覚え、

パソコンで検索していることを。


そして、早苗の前では

いつもの口癖がまったく通用しないことを……。



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