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第5章4話 変わらぬ心の行方 (フィン in 日本) -2

フィンが抱いたその不吉な予感は、

思っていたよりも早く

現実の形を伴って現れた。


翌日の午後だった。


外来が一段落し、

カルテの整理をしていたところへ

早苗が神妙な顔つきでやってきた。


「あなた……」


いつもより、明らかに硬い。


「昨日の患者さんのことなんだけど……」


その一言で、

フィンの背中に、ひやりとしたものが走る。


「ほら、若い子が様子が気になるって言ってた、あの患者さん。

 A病院に入院になったって」


どこかで予感はしていた。

それでも、実際に言葉として聞かされると、

ショックは大きい。


「……ど、どうして?」


「昨日の夜に具合が悪くなって、

 A病院の救急外来を受診して、

 そのまま入院になったそうよ。

 うちでの診療内容について、照会状が届いているわ」


「……そうか」


小さく息を吸い、

フィンは無言で立ち上がった。


院長室へ向かう廊下が、

やけに遠く感じられる。


頭の中では昨日の光景が、

何度も巻き戻されていた。


――検査値は正常だ。

――異常はない。

――帰していい。


自分の声。

自分の判断。


その言葉が、

今になって胸の奥で重く響く。


フィンは、

無意識のうちに拳を握っていた。


もし、昨日。あの時。

ほんの数分でも、

時間を取っていたら。


もし、

念のために、

もう一度診察していたら。


「……そんなの、結果論だ」


小さく呟く。


医療に、

“もし”はない。

それは、

素人ながら分かっている。


ビジネスも同じだからだ。


だが――

分かっているからこそ、

逃げ場がなかった。


幸いにも、

患者は大事には至らなかった。

早期対応により、事なきを得たらしい。


それでも院内には、

重たい空気が残った。


スタッフたちは何も言わない。

進言してきた、あの若いスタッフも。


だが、

視線がわずかに変わっているのを、

フィンは感じ取っていた。


たった一度の出来事で、

信頼が確実に揺らいでいる。


診療が終わったあと、

フィンは一人、診察室に残った。


椅子に腰を下ろし、深く息を吐く。


「……俺は、

 何をやってるんだ」


即決即断。

強いトップ。


それは確かに効率的で、

時には必要なものだ。


だが同時に、周囲の声を、

切り捨てる力でもあった。


謙一郎なら、どうしていただろう。


そんな考えがふと頭をよぎる。

あの男なら立ち止まったはずだ。


忙しくても。

混んでいても。


"気になる"という一言を、

年若い部下の、

曖昧な言葉であっても、

拾い上げていただろう。


それは、

彼の弱さであり、同時に、

強さだったのかもしれない。


「……俺は」


フィンは天井を見上げる。


強い男を演じることに、

慣れすぎてしまった。


迷わないふり。揺るがないふり。

不安などないような顔。


そうしていれば周囲は安心する。


だが――

誰も本気で止めてくれなくなる。

誰も、踏み込めなくなる。


それは、孤独と紙一重だった。


このままでは、いずれ、

独りよがりなトップになり、

誰からも信頼されなくなる。


そして、取り返しのつかない判断を、

してしまうかもしれない。


そんな自省が、胸を締めつける。


入れ替わった人生の中で、

自分は、また同じ仮面を被ろうとしている。


それに気づいてしまった以上、

もう、知らなかった頃には戻れない。


フィンは、ゆっくりと立ち上がった。


この仕事も。

この人生も。

そして、元の人生も。


――本当に、

 このやり方でよかったのか。


答えは、まだ出ない。


だが、

問いだけは、確実に、

彼の中に根を下ろし始めていた。



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