表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/54

第5章3話 変わらぬ心の行方 (フィン in 日本)

日本での生活も、

気がつけば、四ヶ月を過ぎようとしていた。

フィンは、純和風な暮らしにも、仕事にも、

すっかり慣れてきていた。


早苗との日々のやりとり。

一日、一週間のリズム。

仕事の流れ。


最初の頃にあった新鮮さと戸惑いは薄れ、

代わりに、

自信と、わずかな慢心が芽生え始めていた。


そして、

その奥に潜む焦りと不安。


――もう、元に戻れないかもしれない。


その思いは、

フィンの中で、

静かに、しかし確実に形を持ち始めていた。


そうなると、

抑えていたものが少しずつ顔を出す。


剛腕で、豪胆なワンマン社長。

“強い男”という仮面。


それは、

本来のフィン・モーガンが

長い時間をかけて身につけてきたものだった。


その仮面が、

再び、静かに戻ってきていた。



ある日の午後。

外来は、珍しく混み合っていた。


予約は詰まり、

新患が続き、

待合には人が溢れている。


スタッフの足取りも、

自然と早くなる。


そんな中、

一人の患者が診察室を出た直後、

若いスタッフが声をかけてきた。


「先生……少し、よろしいですか」


カルテを手に、

どこか言いにくそうな表情をしている。


「さっきの患者さんなんですが……」


なかなか本題に入らないその間に、

わずかな苛立ちがフィンの胸に芽生えた。


「どうした?」


「患者さんの様子が……

 いつもと、少し違う気がして……」


その言葉を遮るように、

別のスタッフが、

次の患者のファイルを置いていく。


待ち時間は、すでに長い。

これ以上、

流れを止めるわけにはいかなかった。


フィンはカルテに目を落とし、

検査値とバイタルを、

もう一度確認する。


――やはり、問題はない。


「検査値も、データも正常だ」


そう言って、顔を上げた。


「はい……ですが」


スタッフは、引き下がらなかった。


「顔色も、

 受け答えも、

 どこか普段と違うような気がして……」


その言葉に、

フィンはこれ以上付き合っていられなかった。


――忙しい日に限って、

 こういう曖昧な話を。


本来の謙一郎であれば、

ここで足を止めていただろう。


スタッフの言葉に耳を傾け、

念のために、

もう一度診察室へ呼び戻していたはずだ。


だが、

フィンは違った。


「俺が大丈夫だと言ってる」


思った以上に、

強い声が出た。


悩んでいる暇はない。

異常は見当たらない。

忙しい診療を回すには、

即決即断が必要だ。


ビジネスも同じだ。

曖昧な感覚に、

時間を割いてはいられない。


フィンの言葉に、

スタッフは一瞬、言葉を失った。


「数値に異常はない。

 そのまま帰していい」


「……でも、先生」


「帰していい。大丈夫だ」


語気は、

自然と強まっていた。


スタッフは視線を伏せ、

小さく頭を下げて、

診察室を後にした。


フィンは、

次の患者を呼び入れる。


だが――

胸の奥に、

わずかなざわめきが残った。


自分は、

何を優先したのか。


効率か。

流れか。

それとも――

自分の判断を疑われたくない、

という意地か。


いや、これでいい。

トップが部下の意見に振り回されて

判断を迷わせるようでは、

現場に不安を与える。


即断即決の強いトップでいること。

それが、

これまでも、これからも、

求められてきた役割なのだ。


そう自分に言い聞かせながら、

フィンは診療を続けた。



その日は、

特に問題も起きず、

予定通りに終わった。


だが夜になっても、

あの言葉が、

頭から離れなかった。


「様子が、

 いつもと違う気がして」


その“気がして”を、

切り捨てたのは、

自分だった。


本当に、

それでよかったのか。


問いは、

遅れてやってくる。


判断に迷わなくなった代わりに、

自分は、

何か大切なものを

置き去りにしていないか。


布団の中で、

フィンは暗い天井を見上げた。


剛腕であること。

豪胆であること。

決断を独り占めすること。


それらは、

確かに強さだった。


だが同時に、

危うい部分でもあったのかもしれない。


「…… everything’s gonna be fine.」


誰に聞かせるでもなく、

どこか頼りなげに、そう呟く。


答えはまだ出ない。


ただ、

胸の奥で、

不吉な予感だけが、

静かに、確実に膨らみ始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ