14話 嬉しい報告
アンネのデートは、どうなったのかしら。気になって仕方がなかった。
もちろん、彼女なら大丈夫だと信じている。
それでも――。初めて自分の気持ちを誰かに伝え、誰かと向き合うために一歩を踏み出したのだ。
どうか、傷つかずに帰ってきてほしい。そんな願いばかりが、頭の中を巡っていた。
「エリザベート様、先ほどから同じページをご覧になっていますよ」
紅茶を運んできたアメリアが、困ったように笑う。
「えっ?」
慌てて視線を落とす。確かに十分近く、同じ書類の同じ箇所を眺め続けていたらしい。
「やだ、私ったら」
そんな私を見て、リリィがくすりと笑った。
「アンネ様のことが心配なのですね」
図星を突かれ、私は何も言えずに両手で頬を包む。
「だって……せっかく勇気を出して、一歩を踏み出したのよ。もし、何か酷いことを言われたり……傷ついて帰ってきたらと思うと……」
すると、リリィは優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。アンネ様は、もう以前のアンネ様ではありません。お姉さまが私を変えてくださったように……アンネ様も変わりましたもの」
その言葉に、胸が温かくなる。
そうね。彼女はもう、ただ怯えているだけの少女ではない。自分の幸せのために、勇気を出して前へ進める人になったのだ。
その時――。カラン、カラン。
サロンの扉についたベルが鳴った。
「あら?」
私は顔を上げる。
「今日はもう、お客様の予定はなかったはずだけれど……」
不思議に思いながら入口へ視線を向ける。
すると扉の隙間から、ひょこりと見慣れた顔が覗いた。
「アンネ!」
思わず声が漏れる。彼女は少し恥ずかしそうに笑った。
「……す、すみません。今日は来る予定ではなかったんですけど。来たくなってしまって……来ちゃいました」
私は立ち上がり、彼女を迎える。
「いいのよ。私も、ずっとあなたのことが気になっていたの」
その瞬間、アンネの表情がふわりと緩んだ。頬はほんのり赤く染まり、瞳はきらきらと輝いていた。
その表情を見れば、もう答えは分かっていた。
「……楽しかったのね」
「え?」
アンネが驚いたように顔を上げる。
「だって、そんな顔をしているもの」
「そ、そんな顔……?」
慌てて両頬に手を当てるアンネが可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。
「ええ。とても幸せそうな顔」
「……はい。とても……素敵な人でした」
私はリリィやアメリアと顔を見合わせる。
二人も嬉しそうに微笑んでいた。
「それで? 聞かせてちょうだい」
促すと、アンネは少しずつ語り始めた。
ダミヤン子爵は、手紙で感じていた通りの優しく誠実な人だったこと。けれど彼もまた、顔の傷に苦しみ、人前に出ることを恐れていたこと。
「私たち、同じだったんです。だからこそ、彼の気持ちが分かりました」
そう語るアンネの表情は、とても穏やかだった。自分が苦しんできたからこそ、誰かの痛みに寄り添える。
以前の彼女にはなかった強さを、今のアンネは持っていた。
二人は焦らず、ゆっくりと時間をかけながら、お互いを知っていくことを選んだらしい。
その選択が、私は何より嬉しかった。
アンネはもう、自分を嫌うだけの少女ではない。
誰かを大切に想える、優しい女性へと変わっていた。
「そう、良かったわね」
私は心からそう言った。
アンネは嬉しそうに頷き、何度も今日の出来事を話してくれた。
その表情を見ているだけで、私まで幸せな気持ちになる。
やがて日が傾き、サロンの窓から差し込んでいた光も柔らかな橙色へと変わっていった。
名残惜しそうにしながらも、アンネは帰る時間になり、私たちは彼女を見送った。
「またお話を聞かせてね」
そう伝えると、アンネは嬉しそうに笑って頷いた。
扉が閉まり、彼女の姿が見えなくなる。
私は小さく息を吐いた。
今日という日は、不思議なほど温かな余韻に包まれていた。
誰かが自分を受け入れてもらえる喜び。
誰かを信じる勇気。
それをアンネ自身が掴み取ったのだと思うと、胸の奥が満たされるようだった。
「さて、私たちも帰りましょうか」
外へ出ると、夕暮れの王都は淡い金色に染まっていた。
サロンの前には、一台の馬車が停まっている。
その傍らには、見慣れた姿があった。
「カミル!」
私が名前を呼ぶと、彼は穏やかに微笑む。
「お疲れ様、エリザベート」
白衣ではなく、帰宅用の上着を纏った彼の姿を見ると、なぜだか胸が温かくなる。
今日、アンネの幸せを見届けたからだろうか。
誰かを想う気持ちの美しさを、改めて感じていた。
「迎えに来てくれたの?」
「ええ。少しでも早く、あなたの顔を見たかったので」
さらりと言われた言葉に、思わず頬が熱くなる。そんな何気ない一言が、今はとても嬉しかった。
私は微笑みながら、彼へ歩み寄る。
その瞬間だった。
――影が動いた。
「エリザベート!」
カミルの声が響く。
次の瞬間。
強い力で腕を引かれ、私は彼の胸元へ抱き寄せられていた。
何が起きたのか、理解できなかった。
ただ――。
目の前のカミルが身体が、わずかによろめく。
「……カミル?」
そして。ぽたり、と。
赤い雫が地面へ落ちた。





