9話 保養地を作るわよⅢ
しばらく林道を歩いていると、不意に視界がぱっと開けた。
目の前には、陽光を受けてきらきらと輝く清流が流れ、大小さまざまな岩が点在する静かな川原が広がっている。せせらぎの音だけが辺りに心地よく響いている。その美しい光景に見入っていた私は、ふと前方の岩場に違和感を覚えた。
「……あれは?」
巨岩が折り重なる一角から、白い湯気がゆらゆらと立ち上っている。
途切れることなく空へと昇り続けるその白い煙に、胸がどくんと高鳴った。私は思わず駆け出す。近づくにつれ、ひんやりとしていた山の空気が少しずつ温もりを帯び始める。鼻先をくすぐるのは、ほのかに硫黄を思わせる独特の香り。岩と岩の隙間からは、透き通った湯がこんこんと絶え間なく湧き出し、小さな流れとなって清流へと注いでいた。陽光を受けた湯面はきらめき、その上を白い湯気が揺らめいている。
「こんなところにも温泉が湧いているなんて!」
感動のあまり、私は湧き出る湯へ手を伸ばした。
その瞬間、不意に腕を掴まれる。
「エリィ、駄目だよ!」
振り返ると、カミルが苦笑を浮かべながら首を横に振っていた。
「安易に触れてはいけないよ。源泉は場所によって温度が大きく違う。熱湯なら、火傷では済まないこともある」
「あ……」
言われて初めて、自分がどれほど不用心だったかに気づく。
「そ、そうね……。興奮してしまって、つい……」
ぽぽっと頬が熱くなる。慌てて手を引っ込めると、カミルは「気持ちは分かるけれどね」と笑った。
そのまま何も言わず、なぜだか湧き出る源泉ではなく、まっすぐ私を見つめている。
「……なに?」
首を傾げると、カミルは小さく肩をすくめた。
「本当に君は」
「?」
「新しいものを見つけると、子どもみたいな顔をするね」
「え?」
思わず目を瞬く。
「そ、そんな顔をしていたかしら……?」
「していたよ」
迷いなく頷かれてしまい、思わず両頬に手を当てた。
うぅ、年甲斐もなくはしゃいでしまったわ。
恥ずかしさが込み上げて視線を逸らすと、カミルはくすりと笑う。
「だ、だって……楽しみなのよ。ここに温泉が出来ると思うと」
「うん、そうだね」
カミルはくすりと笑った。
「君が作る保養地なら、誰もが訪れたくなる場所になるだろうな」
「大げさよ」
「本当のことだよ。今だって、君の周りにはいつも人が集まっているからね」
サロンのお客様、働いてくれているスタッフたち、アメリアやリリィ……心強い味方たち。
思い返せば、いつも誰かが私のそばにいた。
「でも今日は――」
「今日は?」
私が首を傾げると、カミルはわずかに目を細めた。
それから、どこか照れくさそうに――けれど少しだけ独占欲を滲ませた声音で言う。
「……今だけは、独り占めしていいだろう?」
「……っ」
不意打ちのような一言に、鼓動が乱れた。
「も、もう……!」
言葉に詰まる私を見て、彼の笑みはますます深くなった。
からかわれているのは分かる。
けれど、その眼差しはどこまでも優しくて、まるで大切なものを見つめているようだった。
「君が嫌でないなら、もう少しだけここにいよう」
穏やかな声でそう付け加えられると、もう抗うことなんてできない。
私は小さく息を吐き、視線を伏せた。
「……ええ、もう少しだけ。リリィ達が待ってるもの」
その答えに、カミルは満足そうに微笑む。
「リリィには謝ればいいさ」
「もう……」
カミルは身体を寄せると、私の手に触れた。
指先がかすかに触れ合い、そのままするりと彼の指が私の指の間へ滑り込む。私も指を絡め返すと、重なった手がぴたりと収まった。
「ああ、楽しみだね。完成したら、一番最初に誰を招待するんだい?」
カミルが何気ない口調で尋ねる。
私は少し考えるふりをしてから、ふっと笑った。
「そうねぇ……」
「誰だい?」
「やだ、決まってるじゃない」
「?」
「私たちよ」
一瞬、カミルは目を丸くした。
けれど次の瞬間には、穏やかな笑みを浮かべる。
「それは名案だね」
「でしょう?」
私は少し得意げに胸を張った。
「完成祝いを兼ねて、二人でゆっくり温泉に入りましょうね」
そう言うと、カミルは優しく目を細める。
「うん。その日を楽しみにしてるよ」
その一言には、私と同じ未来を見つめる想いが確かに宿っていた。
まだ何もない土地だ。それでも、こうして二人で未来を語り合っているだけで、この場所には少しずつ命が吹き込まれていくような気がする。
視線の先では、源泉から立ち上る白い湯気が風に揺れ、青空へと溶けていく。
この場所が完成した日、きっと私たちは今日のことを思い出すのだろう。
青く澄み渡る空の下、私は隣に立つカミルを見上げた。
視線が重なると、彼は少し照れたように笑う。つられるように私も笑みをこぼした。
新しく短編作品を書きました!
『俺はお前を愛さない? ええ、私もあなたを愛しておりませんのでご心配なく』
調子に乗った男が痛い目を見る話しがお好きでしたら、是非。よろしくおねがいします。
引き続き、明日も更新予定です。





