8話 保養地を作るわよⅡ
「ごちそうさまでした」
食後のお茶を飲み終え、私はほっと息をついた。
揺れる木漏れ日が頬を照らし、爽やかな風が心地よい。
「こんなところで食事をするのも、たまにはいいものね」
「ええ、本当に」
リリィも満足そうに頷いた。
「こうして景色を眺めながらいただくと、同じ料理でもずっと美味しく感じます!」
遠くでは職人たちが測量を続けているものの、この木陰だけは別世界のようにゆったりとした時間が流れていた。
不意に、カミルが「ねえ、エリザベート」と声を上げた。
「少し、この辺りを歩いてみないかい?」
「いいわね」
私は立ち上がり、スカートの裾を軽く払う。
「リリィも一緒に行きましょう?」
そう振り返ると、リリィは籠を抱えながら首を横にぶんぶんと振った。
「私はここでゆっくりしてます!」
「そう? でも、折角だから……」
「いーえ、お二人で行ってきてください!」
「私もついていますから大丈夫ですよ」
隣りではアメリアが、まるで最初からそうするつもだったかのように、にこにこと頷いている。
……なるほど。どうやら二人とも、私たちに気を遣ってくれているらしい。
「……子供が遠慮なんてするもんじゃないよ」
カミルは呆れたように言うと、リリィは得意げに笑った。
「遠慮なんかじゃないもの」
そう言って、私とカミルを交互に見つめる。
「私は最近、サロンでお手伝いしていたから。たくさんの時間、エリザベート姉さまと一緒にいれたでしょう?」
「……そうね」
思い返してみれば、サロンでは毎日のように顔を合わせている。忙しくはあったけれど、リリィと過ごす時間は確かに多かった。
「でも、カミル兄さまは違うじゃない」
そう言って、リリィはカミルを見る。
「お医者様の仕事で忙しいし、お姉さまもライバルサロンの事が気がかりで大変だったでしょう?」
確かに、その通りだった。
同じ屋敷で暮らしていても、お互い仕事に追われ、ゆっくり二人だけで過ごす時間は取れていなかった。
「だから今日くらいは――」
リリィは立ち上がると、えいっと軽くカミルの背中を押した。
「カミル兄さまがお姉さまを独り占めしていい日!」
「おっと」
不意を突かれたカミルが苦笑する。
「……独り占め、か」
どこか照れくさそうに呟くその横顔を見て、私まで頬が熱くなってしまう。
「リ、リリィったら……」
「えへへ」
本人は悪びれる様子もなく笑っていた。
アメリアまで口元に手を添え、くすくすと笑っている。
「若いご夫婦なのですから、たまにはゆっくりお二人でお過ごしくださいませ」
「そうそう!」
リリィも元気よく頷く。
「お姉さま、楽しんできてね!」
そこまで言われてしまっては、断るほうが野暮というものだ。
私は少し照れながらカミルへ視線を向ける。
「……では、お言葉に甘えようか」
「ええ」
カミルも優しく微笑み返した。
「それじゃあ、少しだけ散歩してくるよ」
「いってらっしゃーい!」
二人に見送られながら歩き出すと、背後からリリィの弾んだ声が聞こえてきた。
「アメリアさん!」
「はい?」
「帰ってくるまで、お茶でも飲みながら待ちましょう!」
「ふふ、そういたしましょうか」
楽しそうな二人の笑い声を背中に受けながら、私は思わず小さく笑みをこぼした。
気づけば、隣を歩くカミルの歩幅は、私に合わせるようにいつもより少しゆっくりになっていた。
「静かね」
「うん」
それだけの会話なのに、不思議と気まずさはない。むしろ、この沈黙さえ心地よかった。
木立の間を抜ける風が葉を揺らし、さらさらと柔らかな音を立てる。
足元には柔らかな土と苔が続き、遠くでは鳥のさえずりがかすかに響いていた。
しばらく歩いたあと、カミルがふと口を開く。
「……リリィには聞かせないほうがよさそうな話だったから、結果的にはちょうどよかったかもしれないな」
その言い方に、私は自然と足を止めた。
「どうしたの?」
「実は、君に早く伝えたいことがあって」
カミルは少しだけ表情を引き締める。
「例のやせ薬の件で、成分の調査結果が出たんだ」
その声は穏やかなままだったが、内容は決して軽くない。
私は思わず背筋を伸ばした。
「どんなものだったの?」
「主成分は、センナをベースにした刺激の強い下剤だ。それに、フェンネルやアニス、ジュニパーのような利尿作用のある薬草が混ぜられていたらしい」
「それらは安全な薬草なの?」
「センナ自体は、昔から便秘薬として使われてきた薬草だし、ほかのものも伝統的なハーブではあるよ。だけど……」
カミルは淡々と説明する。
けれど、その瞳の奥には、医師としての静かな怒りが宿っていた。
「センナの長期使用は腸に負担をかけるし、利尿作用の強いものを重ねれば、腎臓にも悪影響が出る。ひどければ、一生付き合うことになる病となる」
私は思わず唇を引き結んだ。
やはり、そうだったのだ。やせ薬なんて、そんな都合のいいものがあるはずがないとは思っていたけれど、まさかここまで酷いものだったなんて――。
「……そんなものが、普通に出回っているなんて」
「商売としては、需要があるんだろうね」
カミルは苦く笑った。
「でも、医療の立場から見れば到底見過ごせない。少なくとも、君のサロンの理念とは真逆だ」
私は黙って頷く。
そうだ。私が目指しているのは、無理を強いる場所ではない。
身体を痛めつけてまで得る美しさではなく、自分を大切にしながら変わっていける場所だ。
「……成分が分かったなら、対策も立てられるかしら?」
「うん、そうだね。ただ、治療となると、どんな成分が入っているのかを正しく見極める必要がある。一番確実なのは、制作者を問い詰めることなんだけど」
「そう……簡単に教えてもらえるとは思えないわ」
「だけど、安全ではないことを立証して、きちんと取り締まってみせるよ。少し時間はかかるかもしれないけれど、上にも報告する。いずれ成分のことも、必ず突き止めるさ」
カミルの言葉は静かだったが、確かな決意があった。
私はそっと息を吐き、彼の横顔を見上げる。この人がいてくれるなら、私は怖がらずに前へ進める。
「……ええ。お願いするわ」
私は少しだけ目を伏せる。
「ありがとう、カミル」
私がそう言うと、彼はほんの少しだけ目を細めた。
「礼を言うのはまだ早いよ。これから、さらに詰めていくことになる」
「ええ。でも、最近は私のサロンでも話題になっていたから、ずっと気になっていたから」
貴族の夫人たちの間では、例のやせ薬の噂が日に日に広がっている。
楽に痩せられる。努力をしなくても美しくなれる。そんな甘い言葉に惹かれる人は少なくないようだった。
――クラリッサも、気にしていたわね。
ふと彼女の顔が脳裏をよぎった。
あの日、危険な薬に手を出してはいけないと伝えた時、彼女は確かに納得したように見えた。
……けれど、本当に大丈夫だろうか?
あの時のどこか思い詰めたような表情が、不意に心のどこかに引っ掛かる。
私は小さく首を振った。今は信じるしかない。彼女もまた、自分なりに考えているはずだ。





